解放後の時代・国営化までとは? わかりやすく解説

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解放後の時代・国営化まで

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/09/22 14:03 UTC 版)

明治座 (京城府)」の記事における「解放後の時代・国営化まで」の解説

1945年昭和20年8月15日第二次世界大戦終了し同年9月8日から1948年8月15日大韓民国建国されるまでの間は、在朝鮮アメリカ陸軍司令部軍政庁がこの地域統治した。同館は、戦後間もなく復興し1946年1月には国際劇場改称し映画館として営業開始した。この名称は2年足らずのものであり、世宗大路149番地にのちに建てられ国際劇場とは異なる。同年10月21日には、高麗映画協会製作した映画『自由歳(朝鮮語版)』(監督崔寅奎)が、同館をトップ封切り15万人もの動員記録している。 1947年12月には、ソウル市買収し公館改称している。朝鮮戦争時期経て1954年昭和29年4月6日には『獨流』(朝鮮語: 탁류、監督興)、同年5月1日には『コリア』(朝鮮語: 코리아、監督金聖珉(朝鮮語版))が同館を封切館として公開している。 その後、国が買収し1957年6月1日明洞芸術会館改称し国営劇場となる。国営化したあともしばらくは「市公館」と呼ばれており、同館の正面入口には右に「중앙국립극장」(中央国立劇場)、左に「시공관」(市公館と書かれていた。同年8月8日上演された同館での歌手の髙福壽朝鮮語版引退公演広告には、「市公館」と大書されている。映画の上映も引き続き「市公館」の名称で行われており、翌1958年4月20日には、『地獄花』(監督申相玉)が同館を封切館として公開している。同作主演した崔銀姫朝鮮語版)は、同年第2回釜日映画賞朝鮮語版主演女優賞受賞した1962年3月21日には明洞国立劇場改称したが、1973年10月には国立劇場南山への移転に伴い閉鎖され1975年には金融機関売却されオフィスとして使用される1990年代になって地元建築界を中心にこの建物価値見直されて、老朽化解体危機瀕した同館の修復復元のための運動起こり、これを背景2003年12月同国文化観光部(現在の文化体育観光部)が買収外観残した形での復元が行われ、2009年6月5日明洞芸術劇場として再開館し、今日に至る。 詳細は「韓国国立劇場」および「明洞芸術劇場」を参照

※この「解放後の時代・国営化まで」の解説は、「明治座 (京城府)」の解説の一部です。
「解放後の時代・国営化まで」を含む「明治座 (京城府)」の記事については、「明治座 (京城府)」の概要を参照ください。

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