解放後の時代・国営化まで
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「明治座 (京城府)」の記事における「解放後の時代・国営化まで」の解説
1945年(昭和20年)8月15日、第二次世界大戦が終了し、同年9月8日から1948年8月15日に大韓民国が建国されるまでの間は、在朝鮮アメリカ陸軍司令部軍政庁がこの地域を統治した。同館は、戦後間もなく復興し、1946年1月には国際劇場と改称し、映画館としての営業を開始した。この名称は2年足らずのものであり、世宗大路149番地にのちに建てられた国際劇場とは異なる。同年10月21日には、高麗映画協会が製作した映画『自由万歳(朝鮮語版)』(監督崔寅奎)が、同館をトップに封切り、15万人もの動員を記録している。 1947年12月には、ソウル市が買収し市公館と改称している。朝鮮戦争の時期を経て、1954年(昭和29年)4月6日には『獨流』(朝鮮語: 탁류、監督李萬興)、同年5月1日には『コリア』(朝鮮語: 코리아、監督金聖珉(朝鮮語版))が同館を封切館として公開している。 その後、国が買収し、1957年6月1日、明洞芸術会館と改称し、国営劇場となる。国営化したあともしばらくは「市公館」と呼ばれており、同館の正面入口には右に「중앙국립극장」(中央国立劇場)、左に「시공관」(市公館)と書かれていた。同年8月8日に上演された同館での歌手の髙福壽(朝鮮語版)引退公演の広告には、「市公館」と大書されている。映画の上映も引き続き「市公館」の名称で行われており、翌1958年4月20日には、『地獄花』(監督申相玉)が同館を封切館として公開している。同作に主演した崔銀姫(朝鮮語版)は、同年の第2回釜日映画賞(朝鮮語版)主演女優賞を受賞した。 1962年3月21日には明洞国立劇場と改称したが、1973年10月には国立劇場の南山への移転に伴い閉鎖され、1975年には金融機関に売却されてオフィスとして使用される。1990年代になって地元や建築界を中心にこの建物の価値が見直されて、老朽化、解体の危機に瀕した同館の修復・復元のための運動が起こり、これを背景に2003年12月、同国の文化観光部(現在の文化体育観光部)が買収、外観を残した形での復元が行われ、2009年6月5日、明洞芸術劇場として再開館し、今日に至る。 詳細は「韓国国立劇場」および「明洞芸術劇場」を参照
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