解放後の時代とは? わかりやすく解説

解放後の時代

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/07/11 04:45 UTC 版)

東洋劇場 (ソウル特別市)」の記事における「解放後の時代」の解説

1945年昭和20年8月15日第二次世界大戦終了し同年9月8日から1948年昭和23年8月15日大韓民国建国されるまでの間は、在朝鮮アメリカ陸軍司令部軍政庁がこの地域統治した終戦直後時点での同館の館主金田泰潤であった大韓民国成立した年の12月26日から、同館で趙健の戯曲金春光(朝鮮語版)が演出した『恋しい人が通る道』(朝鮮語: 임오시는길)を上演した新聞広告残っている(右写真)。 1950年昭和25年前後時期に、映画館業態変更している。同館では韓国映画中心に上映しており、1969年昭和44年11月8日には、『黒山島娘』(朝鮮語: 흑산도 아가씨、監督權赫進、主演尹静姫(朝鮮語版))をオスカー劇場大邱広域市)、韓一劇場朝鮮語版)(同)、南大門劇場ソウル特別市)、永寶劇場(同)と同時に、同館でも封切り上映行っている。1976年昭和51年2月閉館した現代グループが同館を買収したが、1990年平成2年)にこれを解体演劇人の間に抗議の声が起こった跡地については、1991年平成3年3月25日文化日報同地建築許可得て再開発開始1994年平成6年9月20日同社が新ビルディング入居し現在に至る。同地には「東洋劇場址」の石碑2003年平成15年)に建てられた。2001年平成13年6月9日 - 9月9日には、KBS第2テレビジョン1930年代の同館を舞台にしたテレビドラマ東洋劇場』を製作・放映同作日本語版は2010年平成22年9月26日からKBSワールド放映した

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解放後の時代

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/06/15 18:13 UTC 版)

平和劇場 (ソウル特別市)」の記事における「解放後の時代」の解説

1945年昭和20年8月15日第二次世界大戦終了し同年9月8日から1948年8月15日大韓民国建国されるまでの間は、在朝鮮アメリカ陸軍司令部軍政庁がこの地域統治した1950年9月28日当時26歳林和秀(1924年 - 1961年)が同館を安価に払い下げ、翌1951年8月24日には平和劇場改称は同館を拠点韓国映画界に君臨した1953年3月29日には、同館で影(朝鮮語版)の楽団による歌劇春香歌』『姉妹誕生』の公演が行われた記録がある。 韓国芸能株式会社設立して映画製作開始し1957年10月16日には、製作者としてクレジットされた最初作品『港の一夜』(朝鮮語: 항구의 일야、監督金火浪(朝鮮語版))をソウル市内の國都劇場公開した以降19作の映画製作している。1959年昭和34年12月5日には、製作し申相玉監督して李承晩描いた独立協会青年 李承晩』(朝鮮語: 독립협회와 청년 리승만、日本未公開)を国際劇場國都劇場で2館同時に公開し、翌1960年1月1日には、「新春特別プロ」として同館と城南劇場同時に上映した際の広告残っている(右写真)。同年3月10日ソウル市内の国際劇場公開され映画『娘』(朝鮮語: 딸、監督金火浪)が、結果的に製作した最後作品になった同年4月18日高麗大学校学生約3,500名のデモ隊を同館近辺襲撃し死傷者出した高麗大生襲撃事件」を同館の経営者であった指揮し、これが引き金となっていわゆる四月革命」が勃発同年4月27日には李承晩大統領辞職して亡命、崔仁圭(朝鮮語版)ら政府サイド暴力団サイド逮捕された。裁判結果死刑宣告され1961年12月21日には処刑されている。没後、妻が経営継承したが、韓一劇場経営移り、同館は韓一劇場改称した1969年11月8日には、『黒山島娘』(朝鮮語: 흑산도 아가씨、監督權赫進、主演尹静姫(朝鮮語版))が同館のほかオスカー劇場大邱広域市)、南大門劇場ソウル特別市)、東洋劇場(同)、永寶劇場(同)で封切られている。 韓国映画特化した映画館として経営継続されたが、1977年3月10日経営難により閉館した跡地には、1984年10月2日地下3階地上13階建の韓一ビルディング竣工し、現在(2013年12月)に至る。

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解放後の時代

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/27 09:35 UTC 版)

ソウル劇場」の記事における「解放後の時代」の解説

1945年昭和20年8月15日第二次世界大戦終了し同年9月8日から1948年8月15日大韓民国建国されるまでの間は、在朝鮮アメリカ陸軍司令部軍政庁がこの地域統治した終戦直後時点での同館の館主松尾國三1899年 - 1984年であった終戦の年の10月21日には、同館を始めとして、浪花館(のちの明洞劇場)、明治座 (京城府)現在の明洞芸術劇場)等、全地域映画館で『解放ニュース』(朝鮮語: 해방뉴쓰 특보)というタイトル朝鮮自主製作短篇映画シリーズ第1作(9分)が上映された。この時点での同館の館名は「京城劇場」であり、多くがまだ日本統治時代の館名を名乗っていた。1946年発行された、日本統治下離れて初めての年鑑である『朝鮮年鑑』にはソウル劇場として同館が記載されており、所在地忠武路3街である。同年から1948年にかけて、同館では韓国人による演劇公演が行われた。正確な時期不明であるが、同館は忠武路3街から鍾路3街エリアであるに観水洞移転している。 1958年5月2日行われた同国の第4代総選挙国会議員選出され鞠快男1922年 - 2007年)が、同年、同館を買収世紀劇場改称するとともに、同館を経営する会社として世紀商事設立している。鞠は大韓劇場朝鮮語版)も創設しており、同館と同時封切り多く映画公開した同年7月16日には、韓国初のシネマスコープサイズの大画面による劇映画生命』(朝鮮語: 생명、監督李康天(朝鮮語版))が、同館および首都劇場(のちのスカラ劇場_)の2館で同時公開された。世紀商事1968年興行界では初めて、株式上場しており、鞠は韓国映画界の発展大きく寄与した同年7月12日には、「明洞鍾路2大劇場同時大公開」と銘打ち明洞にあったコリア劇場現存せず、明洞2街50番地14号現在のユネスコ会館位置)および鍾路にある同館で『審判』(朝鮮語: 심판、監督高榮男)を公開している。韓国初の巨大ロボットアニメとされる長篇アニメーション映画ロボットテコンV』(朝鮮語: 로보트태권V、監督金青基)が1976年7月24日同国初公開されたが、このときの旗艦劇場が、同館および大韓劇場であった1977年9月16日には、韓国本格戦争映画『ドクスリ戦線』(朝鮮語: 독수리전선、監督高榮男)が、同館および大韓劇場同時公開されたが、同年それまで映画監督として活動していた郭貞煥(1930年 - 2013年)が同館を買収した従来建物取壊し鉄筋コンクリート造4階建のビル改築し、翌1978年9月17日ソウル劇場改称し再開館した。こけら落とし作品は『最後の冬』(朝鮮語: 마지막 겨울、監督鄭素影)であった。郭は、1964年合同映画設立映画の製作監督行っていたが、同館を経営することで興行業に大きくシフトした。1982年1月5日当時大統領全斗煥ソウル市内ほかの夜間外出禁止令解除したのを受け、同館は、同年2月6日から深夜興行開始、その第1作としてのちに同国官能映画代表作とされる、安昭英(朝鮮語版主演による『愛麻夫人朝鮮語版)』(朝鮮語: 애마부인、監督鄭仁燁(朝鮮語版))を公開、4か月ロングラン興行になり同館のみで315,738人を動員した1997年には同館を改築し、7スクリーンをもつマルチプレックスシアターに業態変更した。現在、同劇場入口に Since 1964 (「創業1964年」の意)と記されているのは、合同映画創立年である。同館の近代化寄与した郭が2013年11月8日死去、すでに会長退いた後であり、同館ならびに合同映画経営は、女優であり、同社社長であり郭夫人である高銀兒(朝鮮語版)が引き続き行う。

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解放後の時代

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/06/20 05:09 UTC 版)

團成社」の記事における「解放後の時代」の解説

1945年昭和20年8月15日第二次世界大戦終了し同年9月8日から1948年昭和23年8月15日大韓民国建国されるまでの間は、在朝鮮アメリカ陸軍司令部軍政庁がこの地域統治した1946年昭和21年1月31日、館名を團成社戻し観客定員数も1,117名と増やして営業開始している。1953年昭和28年)ころには、『浮気カロリーヌフランス語版)』(監督ジャン・ドヴェーヴル(フランス語版)、フランス公開1953年3月6日日本公開同年12月2日)や、『デカメロン夜話英語版)』(監督ヒューゴー・フレゴネーズ(英語版)、イギリス公開1953年1月13日日本公開1954年2月15日)を同館で上映したことを示す写真残っている(右写真)。同時期、『モガンボ』(監督ジョン・フォードアメリカ公開1954年4月5日日本公開同年4月9日)も同館で公開されている。同作は「改築新装開館披露特別プロ」である旨が、当時の同館の広告記載されている。 1974年昭和49年8月15日には、至近地下鉄1号線鍾路3街駅開業1996年平成8年12月30日には地下鉄5号線開通した2001年平成13年8月31日同日をもって長年親しまれ旧来の建物の上映は終了して休館入り、翌9月1日建物の解体に入る。2005年平成17年1月現在の地下4階地上9階ビル新築落成し、同ビル内部に7スクリーンのマルチプレックスシアターとして再開館した。2006年平成18年9月、さらに3スクリーン追加10スクリーンとなる。2008年平成20年4月には、メガボックス朝鮮語版)と組んでシノス團成社設立したが、同年9月23日には倒産同年11月19日には「株式会社ASAAN M 團成社」が設立され以降同社が同館を経営している。

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