解放後の時代
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「東洋劇場 (ソウル特別市)」の記事における「解放後の時代」の解説
1945年(昭和20年)8月15日、第二次世界大戦が終了し、同年9月8日から1948年(昭和23年)8月15日に大韓民国が建国されるまでの間は、在朝鮮アメリカ陸軍司令部軍政庁がこの地域を統治した。終戦直後の時点での同館の館主は金田泰潤であった。大韓民国が成立した年の12月26日から、同館で趙健の戯曲を金春光(朝鮮語版)が演出した『恋しい人が通る道』(朝鮮語: 임오시는길)を上演した新聞広告が残っている(右写真)。 1950年(昭和25年)前後の時期に、映画館に業態変更している。同館では韓国映画を中心に上映しており、1969年(昭和44年)11月8日には、『黒山島娘』(朝鮮語: 흑산도 아가씨、監督權赫進、主演尹静姫(朝鮮語版))をオスカー劇場(大邱広域市)、韓一劇場(朝鮮語版)(同)、南大門劇場(ソウル特別市)、永寶劇場(同)と同時に、同館でも封切り上映を行っている。1976年(昭和51年)2月に閉館した。現代グループが同館を買収したが、1990年(平成2年)にこれを解体、演劇人の間に抗議の声が起こった。 跡地については、1991年(平成3年)3月25日、文化日報が同地の建築許可を得て再開発を開始、1994年(平成6年)9月20日、同社が新ビルディングに入居し現在に至る。同地には「東洋劇場址」の石碑が2003年(平成15年)に建てられた。2001年(平成13年)6月9日 - 9月9日には、KBS第2テレビジョンが1930年代の同館を舞台にしたテレビドラマ『東洋劇場』を製作・放映、同作の日本語版は2010年(平成22年)9月26日からKBSワールドが放映した。
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解放後の時代
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「平和劇場 (ソウル特別市)」の記事における「解放後の時代」の解説
1945年(昭和20年)8月15日、第二次世界大戦が終了し、同年9月8日から1948年8月15日に大韓民国が建国されるまでの間は、在朝鮮アメリカ陸軍司令部軍政庁がこの地域を統治した。1950年9月28日、当時満26歳の林和秀(1924年 - 1961年)が同館を安価に払い下げ、翌1951年8月24日には平和劇場と改称、林は同館を拠点に韓国映画界に君臨した。1953年3月29日には、同館で李蘭影(朝鮮語版)の楽団による歌劇『春香歌』『姉妹誕生』の公演が行われた記録がある。 林は韓国芸能株式会社を設立して映画製作を開始し、1957年10月16日には、林が製作者としてクレジットされた最初の作品『港の一夜』(朝鮮語: 항구의 일야、監督金火浪(朝鮮語版))をソウル市内の國都劇場で公開した。以降、19作の映画を製作している。1959年(昭和34年)12月5日には、林が製作し、申相玉が監督して李承晩を描いた『独立協会の青年 李承晩』(朝鮮語: 독립협회와 청년 리승만、日本未公開)を国際劇場・國都劇場で2館同時に公開し、翌1960年1月1日には、「新春特別プロ」として同館と城南劇場で同時に上映した際の広告が残っている(右写真)。同年3月10日にソウル市内の国際劇場で公開された映画『娘』(朝鮮語: 딸、監督金火浪)が、結果的には林が製作した最後の作品になった。 同年4月18日、高麗大学校の学生約3,500名のデモ隊を同館近辺で襲撃し、死傷者を出した「高麗大生襲撃事件」を同館の経営者であった林が指揮し、これが引き金となっていわゆる「四月革命」が勃発、同年4月27日には李承晩が大統領を辞職して亡命、崔仁圭(朝鮮語版)ら政府サイド、林ら暴力団サイドも逮捕された。林は裁判の結果、死刑を宣告され、1961年12月21日には処刑されている。林の没後、妻が経営を継承したが、韓一劇場に経営が移り、同館は韓一劇場と改称した。1969年11月8日には、『黒山島娘』(朝鮮語: 흑산도 아가씨、監督權赫進、主演尹静姫(朝鮮語版))が同館のほかオスカー劇場(大邱広域市)、南大門劇場(ソウル特別市)、東洋劇場(同)、永寶劇場(同)で封切られている。 韓国映画に特化した映画館として経営継続されたが、1977年3月10日、経営難により閉館した。跡地には、1984年10月2日、地下3階・地上13階建の韓一ビルディングが竣工し、現在(2013年12月)に至る。
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解放後の時代
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1945年(昭和20年)8月15日、第二次世界大戦が終了し、同年9月8日から1948年8月15日に大韓民国が建国されるまでの間は、在朝鮮アメリカ陸軍司令部軍政庁がこの地域を統治した。終戦直後の時点での同館の館主は松尾國三(1899年 - 1984年)であった。終戦の年の10月21日には、同館を始めとして、浪花館(のちの明洞劇場)、明治座 (京城府)(現在の明洞芸術劇場)等、全地域の映画館で『解放ニュース』(朝鮮語: 해방뉴쓰 특보)というタイトルの朝鮮自主製作の短篇映画シリーズの第1作(9分)が上映された。この時点での同館の館名は「京城劇場」であり、多くがまだ日本統治時代の館名を名乗っていた。1946年に発行された、日本統治下を離れて初めての年鑑である『朝鮮年鑑』にはソウル劇場として同館が記載されており、所在地は忠武路3街である。同年から1948年にかけて、同館では韓国人による演劇の公演が行われた。正確な時期は不明であるが、同館は忠武路3街から鍾路3街エリアであるに観水洞に移転している。 1958年5月2日に行われた同国の第4代総選挙で国会議員に選出された鞠快男(1922年 - 2007年)が、同年、同館を買収、世紀劇場と改称するとともに、同館を経営する会社として世紀商事を設立している。鞠は大韓劇場(朝鮮語版)も創設しており、同館と同時封切りで多くの映画を公開した。同年7月16日には、韓国初のシネマスコープサイズの大画面による劇映画『生命』(朝鮮語: 생명、監督李康天(朝鮮語版))が、同館および首都劇場(のちのスカラ劇場_)の2館で同時公開された。世紀商事は1968年に興行界では初めて、株式を上場しており、鞠は韓国映画界の発展に大きく寄与した。同年7月12日には、「明洞・鍾路2大劇場同時大公開」と銘打ち、明洞にあったコリア劇場(現存せず、明洞2街50番地14号、現在のユネスコ会館の位置)および鍾路にある同館で『審判』(朝鮮語: 심판、監督高榮男)を公開している。韓国初の巨大ロボットアニメとされる長篇アニメーション映画『ロボットテコンV』(朝鮮語: 로보트태권V、監督金青基)が1976年7月24日、同国で初公開されたが、このときの旗艦劇場が、同館および大韓劇場であった。 1977年9月16日には、韓国の本格戦争映画『ドクスリ戦線』(朝鮮語: 독수리전선、監督高榮男)が、同館および大韓劇場で同時公開されたが、同年、それまで映画監督として活動していた郭貞煥(1930年 - 2013年)が同館を買収した。従来の建物を取壊し、鉄筋コンクリート造4階建のビルに改築し、翌1978年9月17日、ソウル劇場と改称して再開館した。こけら落とし作品は『最後の冬』(朝鮮語: 마지막 겨울、監督鄭素影)であった。郭は、1964年に合同映画を設立、映画の製作・監督を行っていたが、同館を経営することで興行業に大きくシフトした。1982年1月5日、当時の大統領全斗煥がソウル市内ほかの夜間外出禁止令を解除したのを受け、同館は、同年2月6日から深夜興行を開始、その第1作としてのちに同国の官能映画の代表作とされる、安昭英(朝鮮語版)主演による『愛麻夫人(朝鮮語版)』(朝鮮語: 애마부인、監督鄭仁燁(朝鮮語版))を公開、4か月のロングラン興行になり同館のみで31万5,738人を動員した。 1997年には同館を改築し、7スクリーンをもつマルチプレックスシアターに業態を変更した。現在、同劇場の入口に Since 1964 (「創業1964年」の意)と記されているのは、合同映画の創立年である。同館の近代化に寄与した郭が2013年11月8日に死去、すでに会長に退いた後であり、同館ならびに合同映画の経営は、女優であり、同社社長であり郭夫人である高銀兒(朝鮮語版)が引き続き行う。
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解放後の時代
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1945年(昭和20年)8月15日、第二次世界大戦が終了し、同年9月8日から1948年(昭和23年)8月15日に大韓民国が建国されるまでの間は、在朝鮮アメリカ陸軍司令部軍政庁がこの地域を統治した。1946年(昭和21年)1月31日、館名を團成社に戻し、観客定員数も1,117名と増やして営業を開始している。1953年(昭和28年)ころには、『浮気なカロリーヌ(フランス語版)』(監督ジャン・ドヴェーヴル(フランス語版)、フランス公開1953年3月6日、日本公開同年12月2日)や、『デカメロン夜話(英語版)』(監督ヒューゴー・フレゴネーズ(英語版)、イギリス公開1953年1月13日、日本公開1954年2月15日)を同館で上映したことを示す写真が残っている(右写真)。同時期、『モガンボ』(監督ジョン・フォード、アメリカ公開1954年4月5日、日本公開同年4月9日)も同館で公開されている。同作は「改築新装開館披露特別プロ」である旨が、当時の同館の広告に記載されている。 1974年(昭和49年)8月15日には、至近に地下鉄1号線の鍾路3街駅が開業、1996年(平成8年)12月30日には地下鉄5号線が開通した。 2001年(平成13年)8月31日、同日をもって長年親しまれた旧来の建物での上映は終了して休館に入り、翌9月1日、建物の解体に入る。2005年(平成17年)1月、現在の地下4階、地上9階のビルが新築落成し、同ビルの内部に7スクリーンのマルチプレックスシアターとして再開館した。2006年(平成18年)9月、さらに3スクリーンを追加、10スクリーンとなる。2008年(平成20年)4月には、メガボックス(朝鮮語版)と組んでシノス團成社を設立したが、同年9月23日には倒産、同年11月19日には「株式会社ASAAN M 團成社」が設立され、以降、同社が同館を経営している。
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