チョン‐ドファン【全斗煥】
全斗煥
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/11 14:50 UTC 版)
全 斗煥(チョン・ドゥファン、朝: 전두환、日本語読み: ぜん とかん、1931年3月6日(陰暦1月18日)[1] - 2021年11月23日[2])は、韓国の軍人、政治家。第11・12代大統領(在任:1980年 - 1988年)。本貫は、旌善全氏。号は「日海」(イレ/イルヘ、일해)。
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- ^ a b 張甲済『別冊宝島89 軍部!』 黄民基訳、JICC出版局、1989年、181頁
- ^ 英語版 en:9th Infantry Division (Republic of Korea)。猛虎師団、青龍師団などと共にビンディン省等攻撃と大量虐殺を行ったことで有名。
- ^ a b 池東旭『韓国大統領列伝』中公新書、2002年154頁。
- ^ ラングーンで爆弾テロ韓国閣僚ら犠牲 - NHK放送史
- ^ 韓国の全斗煥大統領が国賓として来日 - NHK放送史
- ^ “全斗煥元大統領、訪日前に日本に圧力…天皇、初めて過去の歴史に遺憾表明”. 中央日報. (2015年3月31日) 2019年10月6日閲覧。
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- ^ a b “日朝貿易へ「用意ある」 中曽根首相、中国に提起 韓国の国交樹立要望伝達 86年会談、外交文書”. 日本経済新聞. (2017年12月20日) 2017年12月20日閲覧。
- ^ 特別談話
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- ^ KBSニュース9(韓国語)(1995年12月3日)
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- ^ KBSニュース9(韓国語)(1996年8月26日)
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- ^ KBSニュース9(韓国語)(1997年12月22日)
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- ^ なお全斗煥は、全財産は29万ウォンしかないと主張している。
- ^ “全斗煥元大統領がアルツハイマー病で裁判に出廷できず 夫人が明らかに”. 産経新聞 (2018年8月27日). 2018年8月27日閲覧。
- ^ “社説 全斗煥氏はこれ以上遅れないよう光州の英霊の前にひざまずけ”. ハンギョレ. (2018年8月28日) 2018年8月29日閲覧。
- ^ “팩트체크 재판 불출석 전두환, '알츠하이머 투병' 이후 행적 어땠나(ファクトチェック 裁判欠席全斗煥、「アルツハイマー病闘病」以後の行跡どうだったか)”. 聯合ニュース. (2018年8月28日) 2018年8月29日閲覧。
- ^ “'알츠하이머 불출석' 전두환에게 왜 분노하나(「アルツハイマーで欠席」全斗煥になぜ怒りしかないか)”. 世界日報. (2018年8月28日) 2018年8月29日閲覧。
- ^ “「アルツハイマーで裁判に行けない」とした全斗煥氏、ゴルフはしっかり打っていた”. ハンギョレ. (2019年1月16日) 2019年1月17日閲覧。
- ^ “全斗煥氏回顧録が出版・販売禁止 韓国・光州事件の映画好調 ”. 千葉日報 (2017年8月19日). 2019年3月11日閲覧。
- ^ “韓国の全斗煥氏が光州地裁に出廷”. 産経新聞 (2019年3月11日). 2019年3月11日閲覧。
- ^ “'골프, 12·12 오찬' 전두환 재판 불출석 허가 놓고 법정공방(「ゴルフ、12・12午餐」全斗煥裁判欠席許可めぐり法廷攻防)”. 聯合ニュース. (2019年12月16日) 2019年12月17日閲覧。
- ^ “全斗煥元大統領に有罪判決 光州事件めぐり名誉毀損―韓国”. 時事通信社. (2020年11月30日) 2020年11月30日閲覧。
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- ^ MBCニュースデスク(韓国語)(2021年11月23日)
- ^ SBS8ニュース(韓国語)(2021年11月23日)
- ^ “韓国の全斗煥元大統領が死去 90歳、クーデターで実権”. 日本経済新聞. (2021年11月23日)
- ^ “【政界地獄耳】韓国元大統領・全斗煥死去 光州事件の真実、明かされぬまま”. 日刊スポーツ (2021年11月25日). 2021年11月25日閲覧。
- ^ “全斗煥氏死去 国葬も国立墓地埋葬もなし=光州事件などで反省示さず”. 聯合ニュース. (2021年11月23日) 2022年1月5日閲覧。
- ^ 韓国併合
- ^ http://www.chosunonline.com/site/data/html_dir/2017/01/18/2017011801825.html
- ^ a b 韓国元大統領「昭和天皇」に遺憾と反省求める…“植民地支配”「最大限強い言葉で反省を」 韓国外交文書で発覚 産経新聞(2015.3.30)web魚拓[リンク切れ]
- ^ a b http://ironna.jp/article/2232
- ^ 古田博司『朝鮮民族を読み解く 北と南に共通するもの』筑摩書房、1995年]
- ^ 全斗煥氏「朴槿恵氏に大統領職は困難と判断」=回顧録で語る - 聯合ニュース、2017年3月30日
- ^ “【写真】市民の殴打で破損した「全斗煥の恥辱の銅像」”. 中央日報 (2020年11月19日). 2020年11月19日閲覧。
- ^ “全斗煥元韓国大統領の銅像の首切断した50代、現行犯逮捕”. 中央日報 (2020年11月19日). 2020年11月19日閲覧。
- ^ 今日の歴史(3月20日) 聯合ニュース 2009/03/20
全斗煥
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/06 07:37 UTC 版)
韓国10、11代元大統領。軍事独裁政権の権力者として民主化運動を弾圧したため、韓国国民、特に左派からの評判は悪かったが光復節の演説では「日本帝国主義を責めるだけではなく、我々の責任を顧みるべきだ」と発言するなど行き過ぎた反日運動に歯止めを呼びかけた。また1983年に韓国大統領として初めて公式来日し、昭和天皇と会談した。日本の政財界とのパイプも深く、特に瀬島龍三とは若手将校時代から親しく、ソウルオリンピック開催を巡り援助があったという説もある。1985年に中曽根康弘が靖国神社参拝をした際には、強い抗議をせず、韓国内部から弱腰と批判されている。
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全斗煥
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/15 05:54 UTC 版)
中曽根の首相就任から間髪を入れない訪韓は、教科書問題が沸騰した直後にという微妙な時期であったが、晩餐会での韓国語でのスピーチ や全大統領のカラオケで韓国語の歌を披露するといったパフォーマンスも奏功してか、学生など少数の左翼過激派を除く韓国人一般に好意的に受け止められた。この訪日での全大統領による要請で胡耀邦と親交があり、中国と国交もある日本の中曽根首相は中韓の仲介を行った。日韓関係はその後、紆余曲折を経ることとなり、全大統領も部下だった盧泰愚が大統領となるや政治力を奪われ、金泳三政権の下で冷遇された。そうした中でも、全の来日の際には必ず付き添うなど、中曽根の過去の盟友に対する一貫した友情は、日韓併合時代も経験した保守的な韓国人高齢者の間でも好意的に受け止められている。
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