本貫
本貫
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龍宮は慶尚北道醴泉郡に属している地名。 慶尚北道龍宮郡であったが、1914年郡面併合で廃止され、申下面は義城郡に、残りは龍宮面などに分割され、醴泉郡に編入された。
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草渓は、現在慶尚南道陜川郡草渓面地域にあたる。新羅時代は草八兮県と呼ばれており、757年に江陽郡の領県となった。 940年に草渓に改名され、1334年には、草渓県に昇格した。 1914年の府郡面統廃合で陜川郡草渓面となった。
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安陰は現在の慶尚南道咸陽郡と居昌郡の一部である。新羅時代は南内県であり、757年に余善と改称し、居昌郡の管轄になり、940年に感陰に変り、1018年に陜州総管となった。 1390年感陰県に監務が派遣され、利安県を隷属させた。 1417年に、行政官庁が利安県に移転し、安陰県となった。 「世宗実録地理志」に感陰の姓として孔・黄・西門・徐が記録されている。 1728年に安陰県を安義県に改称した。 1895年に安義郡となったが、1914年の安義郡が廃止され、安義面など4つの面は咸陽郡へ、馬利面など3つの面は、居昌郡にそれぞれ編入された。
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沃川は忠清北道の沃川郡を指す。「世宗実録地理志」に忠清道沃川郡の土姓として陸・黄・全・申の4姓が記録されている。 1896年忠清北道沃川郡となった。
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衿川は、現在の永登浦区・九老区・衿川区・冠岳区・光明市一帯の古い地名。
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寧海は慶尚北道東北部にあった地名である。元は高句麗の于尸郡であったのを新羅による朝鮮半島統一後有隣郡となった。高麗初期には禮州に改められ、1310年に領海部で改称、1913年盈徳郡に統合された。一部地域は寧海面として残る。
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孝令は慶尚北道軍威郡孝令面一帯の昔の地名である 「世宗実録地理志」に孝靈を本貫とする姓に劉・司空の二姓が記録されている。 1914年軍威郡孝令面となった。
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海美は忠清南道瑞山の地名で、貞海と餘美二つ県合わさった地名である。
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寿城は、大邱広域市寿城区にあたる。本来は喟火郡であったが、757年に寿昌郡、940年に寿城郡に改称した。 1394年に大邱兼官となったが、1414年に大邱に合属され、1419年に水城県司により、大邱任內に属するとされた。 「世宗実録地理志」に大邱府寿城の姓に賓・羅・曺・嵇が記録されている。寿城のほか、全羅道羅州市、霊光郡六昌の姓に賓氏があった。 1914年に達城郡寿城面に編制されたが、1938年に大邱府に編入された。1980年に寿城区が新設された。
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