本賞の受賞者からの批判
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/04 09:25 UTC 版)
「ノーベル経済学賞」の記事における「本賞の受賞者からの批判」の解説
受賞者の中にも快く思わない者がいる。 1974年に受賞したフリードリヒ・ハイエクは、授賞晩餐会でのスピーチにおいて、もし自分が相談されていたら経済学賞の設立には「断固反対しただろう」と述べて、理由を次のように説明した。「ノーベル賞は個人に大きな権威を与えるが、これは経済学者には不適当だ。これが自然科学なら問題ない。なぜならその人の影響力が及ぶ範囲は同分野の専門家たちなので、もしそれが過大ならすぐ実力相応に改まるからだ。ところが、経済学者は政治家やジャーナリスト、官僚、公衆全般と言った非専門家の方にむしろ大きな影響を及ぼす」。このため只でさえ不当に持てはやされる場合があるところを、ノーベル賞という権威はいたずらに煽るというのである。同じく1974年に受賞したグンナー・ミュルダールは、もっと辛辣に、ハイエク(や後年のミルトン・フリードマン)のような反動主義者に授賞したという理由で、本賞を廃止すべきと考えていたという。1969年に物理学賞を受賞したマレー・ゲルマンは「彼ら(経済学賞受賞者)と一緒に授賞式に並べというのか」と不満を漏らしたとされている。 1989年に受賞したトリグヴェ・ホーヴェルモは、受賞後のロイターからの電話インタビューに対し「このような賞には感心しない」と答え、それ以上の会話を断った。他のインタビューでは「(受賞は)光栄ではあるが、私はこの賞とは何の関わりもない」「この賞は現実世界の問題とは全く無関係だ」ともつけ加えた。 ゲーリー・ベッカーは自身の研究が科学的・客観的である点を強調し、ノーベル賞を政治的に利用しようとする受賞者を批判している。また、ベッカーは他分野のノーベル賞受賞者についても「物理・化学といった分野でノーベル賞を受賞した連中ともずいぶん付き合ったが、みんな経済問題についてはうるさいだけで、ろくなものじゃなかった」と述べている。 ミルトン・フリードマンは、1976年の自身のノーベル賞受賞式典で「受賞の発表が、受賞者を様々な分野すべてのにわか専門家に変えてしまった。まさにノーベル賞の全世界的名声のゆえである。脚光を浴びることは嬉しいことではあるが、一方で人間を堕落させる。ノーベル賞受賞者の専門外の領域に対して与えられる過度な脚光と、受賞者が身につけてしまう危険のある過度なエゴ、この両方に解毒剤が必要である。私自身は、解毒剤としてこの種の賞をもっと多く創設して競争させるべきと考える。しかし、これは容易ではない。今後も受賞者の腫れ上がった自尊心は、長きに渡って安全に存続するであろう」と述べている。フリードマンは「私はノーベル賞が、良いことであるのかどうかについては大いなる疑問を抱いている。ただし、そのような経済学賞についての疑問は、ノーベル物理学賞についても等しく当てはまる」と述べている。
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