韓国併合とは? わかりやすく解説

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かんこく‐へいごう〔‐ヘイガフ〕【韓国併合】


韓国併合

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/01/19 05:53 UTC 版)

韓国併合(かんこくへいごう、: 한국병합、: Japanese annexation of Korea)とは、朝鮮半島の権益を巡った日露戦争後の1910年明治43年)8月29日に「韓国併合ニ関スル条約」へ基づき、大日本帝国大韓帝国[注釈 1]併合して統治下に置いた出来事を指す。朝鮮併合日韓併合日韓合邦とも表記される[1]日本による朝鮮半島の統治は大日本帝国がポツダム宣言による無条件降伏後も行われ、実質的には1945年昭和20年)9月9日朝鮮総督府連合国軍への降伏文書に調印するまでの約35年間、韓国併合は続いた。


注釈 

  1. ^ 今日の大韓民国朝鮮民主主義人民共和国に相当する地域。旧韓国、朝鮮国(李氏朝鮮)領域。間島については一部に領有権について主張がある。
  2. ^ 全体の構図から「漁夫の利」などと称されて紹介されることも多い。
  3. ^ 日韓議定書 第四条「第三国ノ侵害ニ依リ若クハ内乱ノ為メ大韓帝国ノ皇室ノ安寧或ハ領土ノ保全ニ危険アル場合ハ大日本帝国政府ハ速ニ臨機必要ノ措置ヲ取ルヘシ。而シテ大韓帝 国政府ハ右大日本帝国ノ行動ヲ容易ナラシムル為メ十分便宜ヲ与フル事」
  4. ^ 「日省録」や「承政院日記」などの分析から高宗は日韓保護条約に賛成しており、批判的だった大臣たちの意見を却下していたとする研究結果も、2001年(平成13年)にハーバード大学アジアセンター主催で開かれた国際学術会議で出されている[42][43][44]
  5. ^ a b 「ハーグ密使事件は皇帝の責任に属す ことはもちろんだが、統監府が未然に防止できなかったことは統監の迂闊を世界に公表したものである。しかも、これは統監一人の身にとどまらず、日本の名誉毀損・威厳の侮辱・信用の抹殺である」(大阪毎日新聞 1907年7月16日の社説)[45]
  6. ^ 火田民も参照。
  7. ^ 李氏朝鮮時代も土地売買は可能であり経国大典(1460年)や続大典(1744年)で届出制を規定していたが、これら官許方式は衰退し民間同士での私的売買が横行しており公証機能が衰退していた。『最新韓国実業指針』岩永重華(宝文館、明治37年)や雑誌『韓半島』第2年2号(明治35年)などは朝鮮末期の不動産売買や制度の混乱について記録している。
  8. ^ 後述。高麗大学名誉教授・政治学者韓昇助の事例など。
  9. ^ 名誉毀損及び外患煽動の容疑で逮捕されたり、国会傍聴中や裁判において暴行される(暴行犯の朴琦緖は英雄とされ逮捕もされていない)などの被害に遭っており、身の安全のため住所すら公表していない。
  10. ^ 金星出版社の教科書を批判して2008年に出版された教科書フォーラム編集の教科書。
  11. ^ 崔文衡は2010年夏に刊行した『韓国近代の世界史的理解』(知識産業社)でも、「世界史のなかの韓国史」を提唱している。
  12. ^ 3党共同宣言ともいわれるが、金丸訪朝団の議事録が公開されていないが故に内実はわからない。項目金丸信を参照。

出典 

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  11. ^ 田保橋潔 『近代日鮮関係の研究(下巻)』朝鮮総督府中枢院、1940年、443頁https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1276051/253。"七月二十三日午前政変後戚臣以下多く逃亡して、景福宮は国王及び少数の宗臣・近臣を残留して、殆ど空虚に帰したが……既に日本国公使が兵力によって戚族を廟堂より駆逐し、大院君を首脳とした新政権を樹立した以上、国王・王妃の好む好まぬに関せず、廟堂を改造し、内政改革に着手せざるを得ない。"。 
  12. ^ 塩島仁吉 『日清戦史. 第1-4巻』経済雑誌社、1895年、33-34頁https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/993957 
  13. ^ 田保橋潔 『近代日鮮関係の研究(下巻)』朝鮮総督府中枢院、1940年、445頁https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1276051/254。"杉村書記官は大院君が既に古稀の齢に達し、時勢に通ぜず、徒らに私見を主張して、政務を渋滞せしめるのを見て、早くも金弘集を以て之に代へようとし、其領議政任命を要した。大院君も之に従ひ、七月二十五日領議政金炳始の辞職を待ち、金弘集を後任とした。"。 
  14. ^ 田保橋潔 『近代日鮮関係の研究(下巻)』朝鮮総督府中枢院、1940年、447-449頁。"大鳥公使は七月二十三日政変が一段落告げると共に、清韓宗属関係の廃棄に注意し、七月二十五日景福宮に於て、大院君及び督弁趙督弁趙秉稷に会見し、明治二十七年七月二十日最後通牒の趣旨に従ひ、中朝商民水陸貿易章程の廃棄を宣言し、並に朝鮮国駐留清国軍の駆逐を請求する件について協議した。然るに大院君、趙秉稷共に将来清より報復懲戒を加へられることを恐怖して、躊躇決することが出来ない。最後に大鳥公使の強硬な要求に屈して承諾し、同日清代理交渉通商事宜唐紹儀に清韓通商三章程破棄を通告したが、清兵駆逐に関する大鳥公使宛照会は頗る不満足のものであった……朝鮮国内駐留清国軍の駆逐については、統理衙門照会の内容が頗る不満足なため、大鳥公使より修正を要求したが、督弁は容易に同意を与へない。けれども形式的には朝鮮国政府が日本国公使に清兵駆逐を依頼したと見るも支障がないので、大鳥公使は七月二十六日混成旅団長大島陸軍少将に左の如く通告した。  在牙山清兵ヲ撤回セシムル儀に付キ、昨二十五日朝鮮政府ヨリ、外務督弁ノ記名調印ヲ以テ、右取計方代弁ノ依頼有之候間、御承知ノ上、可然御取計相成度此段申進候也。明治二十七年七月二十六日 特命全権公使大鳥圭介  大島陸軍少将は既に前日二十五日混成旅団の主力を率ゐて南下の途に就き、又仁川水道豊島沖に於ては、日清両国艦隊既に戦闘を開始したので、此照会の修正は問題外となったのである。"。 
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韓国併合

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/05 02:17 UTC 版)

小村壽太郎」の記事における「韓国併合」の解説

「韓国併合」も参照内閣結んだ第三次日韓協約によって日本の韓国支配はさらに強化されたが、小村はさらにそれを進めて韓国日本の領土組み込む方針であった1909年4月10日小村首相とともに一時帰国中の伊藤博文韓国統監のもとを訪ね併合方針示した伊藤併合反対派として知られていたので、当然反対するであろう思って訪問したのであるが、意外にも彼はあっさりと同意した。自ら統監に就任し穏やかな手段韓国産業の育成教育発展図ろうとした伊藤であったが、穏健な支配でも義兵闘争などの抵抗はむしろ強まり収ま気配がみえなかったので辞任考えていたのである伊藤同意によって併合への動き加速した7月6日、「韓国併合に関する件」が閣議決定され、同時に対韓施設大綱」も策定された。7月下旬には、大韓帝国皇帝廃位して皇帝一族東京に移すことや日本外国との条約基本的に韓国にも適用することなどを記した意見書提出し閣議了承された。 1910年2月28日小村外国駐在の大使電報送り、韓国併合に関する注意促した4月5日本野一郎駐露大使は、第二次日露協約交渉中に韓国併合に関するロシア側の意向探った当初はイズヴォルスキー外相懸念を表明していたが、4月10日ロシア首相ピョートル・ストルイピンは、ロシアには反対する理由権利もないと語った4月19日小村本野訓令発し適当な時期に韓国併合を実施することについて理解を求めるよう伝えさせたが、ロシアからの反対その後もなかった。 イギリスに対しては、1910年5月19日小村自身マクドナルド駐日大使との会談際に韓国併合問題について話し合い日本の韓国併合に異存はないとの同意得たが、税率変更については懸念表明なされた日本当時関税自主権の完全回復目指しており、イギリスとも交渉中であったが、イギリス過去に韓国結んだ条約について改正後関税率適用されることを危惧したのである。これに対し小村関税をしばらく現状のままとし、開港場から馬山除いて新義州加えるなどの措置をとったため、エドワード・グレイ外相安心して満足の意表し8月3日併合同意意思伝えた5月30日文官併合反対派だった曾禰荒助代えて第3統監として寺内正毅陸相選ばれた寺内7月23日韓国へ到着して皇帝純宗挨拶し8月13日小村に対して一週間以内併合条約調印する予定である伝えた併合既定路線であったため、小村細かい指示与えず寺内交渉委ねた1910年8月22日韓国併合条約調印された。

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韓国併合

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高宗 (朝鮮)」の記事における「韓国併合」の解説

1910年明治43年8月の韓国併合にともない太王王族)の称号与えられ、「徳寿宮李太王」と称された。 1919年1月21日三・一運動起きるおよそ1ヶ月前に67歳薨去した。日本の王公族徳寿宮李太王㷩として1919年大正8年3月3日国葬執り行われた。薨去に際して日本による毒殺説流布され葬儀の日三・一独立運動引き起こすきっかけとなった御陵は洪陵。 なお、日本政府立場においては、「高宗」の廟号および「皇帝」の名称を含む諡号公認するものではなかったが、李王家の「私儀」として黙認した。しかし、墓を「洪陵」と命名し、その石碑立て動き起こるに及び、宮内省皇族待遇李王家の前当主には「天皇陵」と同等の呼称許されないとして(皇族なら「墓」になる)、「陵」の呼称差し止め図った。しかし、洪陵の管理人独断建碑したという形で、「大韓高宗皇帝洪陵」の碑が建った。これは、民族独立機運高まる中、事態紛糾朝鮮貴族離反恐れた朝鮮総督府黙認のもと、朝鮮貴族らが協力して実現したことであり、総督府働きかけにより宮内省妥協することになった

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