第二次日露協約とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > ウィキペディア小見出し辞書 > 第二次日露協約の意味・解説 

第二次日露協約

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/05 02:17 UTC 版)

小村壽太郎」の記事における「第二次日露協約」の解説

日露協約#第二次日露協約」も参照 アメリカでは2期大統領務めたセオドア・ルーズベルトに代わって同じ共和党ウィリアム・タフト大統領となり、従来とは異なり、「ドル外交」と呼ばれるアメリカの経済力を背景とする政策転換したタフト政権国務長官フィランダー・ノックス(英語版)は、1909年11月12月に「満洲鉄道中立化案」をヨーロッパ諸国日本対し提案した。それは、満洲鉄道列強買収して共同管理するか、満鉄並行線となる錦州璦琿(現、黒河市)間鉄道の建設支持するかを求めるというもので、英露仏独に打診されたのち、日本には12月20日、トーマス・オブライエン(英語版駐日大使通じて伝えられた。 もとより小村は、この提案には大反対であり、1910年1月18日小村主導中立化拒否閣議決定なされた1月21日には日本とロシア共同拒否通告発したイギリスフランスも、それぞれの同盟国ならって反対表明しアメリカ試み失敗帰した。そして、これにより、日本にはロシア・フランスとの親密化がもたらされた。1909年12月24日、ニコライ・マレフスキー=マレーヴィチロシア語版駐日ロシア大使対し小村日露協約一歩進めるべきと提案したのに対し1月21日にはイズヴォリスキー外相賛意示し3月2日閣議決定経て協約交渉始まった交渉順調に進み7月4日サンクトペテルブルクで第二次日露協約が成立した

※この「第二次日露協約」の解説は、「小村壽太郎」の解説の一部です。
「第二次日露協約」を含む「小村壽太郎」の記事については、「小村壽太郎」の概要を参照ください。


第二次日露協約

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/10 06:11 UTC 版)

日露協約」の記事における「第二次日露協約」の解説

全権大使ロシアアレクサンドル・イズヴォリスキー外相日本本野一郎在ロシア日本大使 1910年明治43年7月4日調印アメリカ南満州鉄道中立案(ノックス提案)の拒否協定し両国満州権益確保確認した

※この「第二次日露協約」の解説は、「日露協約」の解説の一部です。
「第二次日露協約」を含む「日露協約」の記事については、「日露協約」の概要を参照ください。

ウィキペディア小見出し辞書の「第二次日露協約」の項目はプログラムで機械的に意味や本文を生成しているため、不適切な項目が含まれていることもあります。ご了承くださいませ。 お問い合わせ



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「第二次日露協約」の関連用語

第二次日露協約のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



第二次日露協約のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
Text is available under GNU Free Documentation License (GFDL).
Weblio辞書に掲載されている「ウィキペディア小見出し辞書」の記事は、Wikipediaの小村壽太郎 (改訂履歴)、日露協約 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。

©2024 GRAS Group, Inc.RSS