第二次昼戦
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/09 15:04 UTC 版)
1837、連合軍艦隊の変針および混乱を見て、高木少将は直ちに「全軍突撃せよ」を下令。当時の日本艦隊陣形は、ABDA艦隊より第五戦隊、第二水雷戦隊、第四水雷戦隊の順番だった。これを見て西村祥治少将の四水戦が真っ先に突撃を始めた。四水戦旗艦の那珂は連合軍艦隊に距離12,000mまで近づくと魚雷4本を発射して避退した。四水戦の子隊である、第2駆逐隊・第9駆逐隊は肉薄攻撃をかけるために突撃した。この間に四水戦に続いた二水戦が戦場に到着し、まず田中少将座乗の神通が距離18,000mで魚雷を発射し反転離脱。駆逐艦8隻(雪風、時津風、天津風、初風、山風、江風、潮、漣)は9,000mまで接近して魚雷を発射、神通の後を追い離脱する。第二水雷戦隊が発射した魚雷は64本にのぼる。那智、羽黒はアウトレンジからの砲撃を続けた。しかし、これら発射した魚雷は連合軍艦隊が再び煙幕を張りつつ大回頭をしたため全て外れ、また砲撃も距離が遠すぎてまともに命中弾が出ず、第五戦隊・第二水雷戦隊とも気迫にかけていた。なお、コルテノールの轟沈はこの時点であるという見解もある。 こうした膠着状態を打破したのは、連合軍艦隊に肉薄攻撃を仕掛けた第四水雷戦隊子隊であった。第2駆逐隊(村雨、五月雨、春雨、夕立)は7,500mまで接近すると魚雷を発射し反転離脱。しかし第9駆逐隊(朝雲、峯雲)は駆逐隊司令 佐藤康夫大佐が発射命令を出さず、敵艦隊に接近し続けた。朝雲では日本艦隊の他隊が次々に魚雷を発射し反転していくのを見た水雷長が司令に早期発射を意見具申したが、佐藤大佐は発射命令を出さなかった。たまりかねた朝雲駆逐艦長(岩橋透中佐)が早期の発射、反転を具申すると佐藤大佐が「艦長、後ろを見るなッ!前へ!」と大喝するシーンもあったという。連合軍艦隊と日本艦隊の間には既に連合軍艦隊が展張した煙幕が漂っており、接近しなければ照準は難しい状態であった。距離5,000mに接近しようやく佐藤大佐は「発射はじめ」の号令をかけ、朝雲、峯雲は一斉に魚雷を発射した。これらの魚雷は結局命中しなかったが、第9駆逐隊はそのまま反転離脱せず、さらに接近を試みた。 これに対して、ドールマン少将は被弾し速力の低下した英重巡エクセターの避退を援護するためイギリス駆逐艦のエレクトラ(駆逐隊司令艦)、エンカウンター、ジュピターに対し第9駆逐隊への阻止攻撃を下令。第9駆逐隊からは煙幕から駆逐艦2隻(エレクトラ、エンカウンター)が飛び出してくるのを確認し、距離3000mで砲撃戦となる。朝雲、峯雲はエレクトラを撃破したが、反撃の一弾が朝雲の機械室に命中、電源故障を起こした朝雲は一時航行不能に陥った。電源が止まった朝雲ではあったが佐藤大佐の「砲は人力で操作せよ、砲撃を続行せよ」との命令の下、砲塔の各個照準砲撃をおこなった。なおもエレクトラは魚雷で反撃したが命中せず、峯雲に撃ち負けてまもなく戦闘力を完全に失った。エレクトラの艦長C・W・メイ中佐は総員退去を命じ、自身は19時54分、艦と運命を共にした。朝雲・峯雲の活躍を見ていた村雨水雷長は佐藤司令の一瞬の決心と実行力に感嘆しており、第五戦隊司令官高木武雄少将も、この第9駆逐隊と佐藤大佐の奮闘ぶりを特筆し、称賛している。もっとも第9駆逐隊の戦果報告(速報)は『巡洋艦1隻・駆逐艦2隻撃沈』であり、後日行われた戦果検討の席上で異存を唱える者に対し佐藤司令は「遠くに逃げていた奴になにがわかる」と怒鳴り、第五戦隊は第9駆逐隊の報告を受け入れざるを得なかったという。 この戦闘が行われている間にエクセターをはじめ連合軍艦隊は全艦戦域を離脱した。また19時50分、戦闘海面は日没して暗くなり、煙幕と砲煙により視界は極度に悪化。さらに陸岸にて機雷らしき大爆発(酸素魚雷の自爆)があり、20時5分、これ以上の追撃は危険と判断した高木少将は追撃を中止し、麾下の各艦に対し集結し夜戦準備を整えるように下令した。第二水雷戦隊は1940に各隊の集結を命じ2015に潮、漣、山風、江風が合同した。第16駆逐隊は朝雲を支援すべく一旦反転していたため、2037に神通と合流した。第四水雷戦隊は2000に第2駆逐隊と合同したが第9駆逐隊の状況は不明、敵艦隊の動向もわからなかったため、西村司令官は2015に輸送船団の反転を命じた。この間の各艦消耗弾数は、20cm砲302発、14cm砲50発、12.7cm砲515発、25mm機銃256発、魚雷98本と記録されている。二時間以上にわたる砲撃戦により弾薬庫の温度は急上昇し、羽黒では熱射病により2名の戦死者を出した。
※この「第二次昼戦」の解説は、「スラバヤ沖海戦」の解説の一部です。
「第二次昼戦」を含む「スラバヤ沖海戦」の記事については、「スラバヤ沖海戦」の概要を参照ください。
- 第二次昼戦のページへのリンク