スラバヤ沖海戦とは? わかりやすく解説

スラバヤ沖海戦

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/04/12 02:31 UTC 版)

スラバヤ沖海戦(スラバヤおきかいせん、英語: Battle of the Java Seaオランダ語: Slag in de Javazee)は、太平洋戦争最初の水上部隊間の海戦である。1942年2月27日に勃発した。当時、日本軍はジャワ島の攻略に向かっており、その輸送船団を護衛するために艦隊が派遣された。そしてスラバヤ沖でカレル・ドールマン司令官率いるアメリカイギリスオランダオーストラリア連合艦隊と遭遇し攻撃を受けた事で戦いが勃発。日本側は高木武雄司令官率いる巡洋艦4隻と駆逐艦14隻であり、連合国側は巡洋艦5隻と駆逐艦10隻であった。戦いは7時間にわたって続き、その砲撃戦や魚雷戦は結局日本側の勝利に終わり、連合国側は巡洋艦2隻と駆逐艦5隻が沈没し、ドールマン司令官は戦死した。一方日本側の被害は駆逐艦1隻の損傷であった[1]


注釈

  1. ^ 第五戦隊は妙高型重巡洋艦4隻(妙高、那智、足柄、羽黒)で編制されていたが、足柄は太平洋戦争開戦直前の1941年10月10日付で第三艦隊に編入され、同艦隊旗艦となった[22]。また開戦直後の1942年1月4日にダバオ停泊中の妙高がB-17の爆撃により損傷して内地に帰投[23]、しばらく那智(旗艦)と羽黒の2隻で行動していた[24]
  2. ^ 第24駆逐隊の駆逐艦海風は輸送船団護衛を続行し、砲雷撃戦には関与せず。24駆所属の涼風は損傷修理のため不在。
  3. ^ 第9駆逐隊には駆逐艦夏雲が所属するが、同艦は輸送船団護衛に従事しており砲雷撃戦には関与せず。
  4. ^ 妙高の修理は2月19日完了、翌20日に佐世保を出発してスラウェシ島マカッサルにむかった[23]。2月26日、マカッサル到着[25]
  5. ^ 松風は第五水雷戦隊麾下の第5駆逐隊所属だが、28日より龍驤の護衛に派遣されていた[26]
  6. ^ この際アメリカ・イギリス・オーストラリアの士官達がオランダ語を話せない為、ドールマン少将は流暢に話すことができた英語にて説明を行った[29]
  7. ^ 第五戦隊部隊(重巡〈那智、羽黒〉、駆逐艦〈山風、江風、潮、漣〉)、二水戦(軽巡神通、第16駆逐隊〈雪風、時津風、初風、天津風〉)、四水戦(軽巡那珂、第2駆逐隊〈村雨、五月雨、春雨、夕立〉、第9駆逐隊〈朝雲、峯雲〉)。
  8. ^ 第8駆逐隊所属の大潮満潮バリ島沖海戦で損傷し、不在。
  9. ^ 既にシンガポールは陥落しており、マラッカ海峡通過は不可能だった。
  10. ^ 駆逐艦ヴィテ・デ・ヴィットは3月2日、日本軍の空襲により撃沈された。
  11. ^ 同じく雪風に救助されたデ・ロイテルの下士官が軍事的な話も全て喋ってしまったので、スペンサー大尉の黙秘は無駄になった。

出典

  1. ^ a b c d e f g h i スラバヤ沖海戦”. コトバンク. 2023年12月9日閲覧。
  2. ^ #ニミッツの太平洋海戦史pp.31-32『日本軍、蘭印に進撃す』
  3. ^ 軽巡二十五隻(光人社) 2014, p. 88.
  4. ^ a b 勇躍インド洋作戦 1994, p. 12b.
  5. ^ 勇躍インド洋作戦 1994, pp. 52–53スラバヤ沖海戦
  6. ^ a b c d e #戦史叢書26pp.441-444『東部ジャワ攻略船団の進航』
  7. ^ 聯合艦隊作戦室 2008, p. 41.
  8. ^ 落日の日本艦隊 2014, p. 54二 支援部隊
  9. ^ 海軍水雷戦隊 2016, pp. 235–240スラバヤ沖海戦
  10. ^ a b #戦史叢書26pp.440-441『第四航空戦隊の進出、間に合わず』
  11. ^ #連合国艦隊壊滅すp.121
  12. ^ #連合国艦隊壊滅すp.141
  13. ^ #連合国艦隊壊滅すp.200
  14. ^ #連合国艦隊壊滅すp.152
  15. ^ #連合国艦隊壊滅すp.153
  16. ^ a b #ニミッツの太平洋海戦史pp.35-36
  17. ^ #連合国艦隊壊滅すp.148
  18. ^ #連合国艦隊壊滅すp.175
  19. ^ #戦史叢書26p.482
  20. ^ #連合国艦隊壊滅すp.173
  21. ^ a b c d e f g #ニミッツの太平洋海戦史pp.36-39『ジャヴァ海海戦』
  22. ^ 歴群57、真実の艦艇史(3) 2007, p. 85.
  23. ^ a b 歴群57、真実の艦艇史(3) 2007, p. 86.
  24. ^ 竹本定男 1971, p. 133.
  25. ^ 落日の日本艦隊 2014, p. 50.
  26. ^ 第五水雷戦隊戦闘詳報〔 二月二十八日〇一二〇松風分離「カリマタ」海峡ニ引返シ4sfノ護衛ニ從事 〕
  27. ^ 勇躍インド洋作戦 1994, pp. 12a-13スラバヤ沖海戦バトル・オーダー ―米英蘭豪連合国部隊vs日本軍部隊参加比較―
  28. ^ #連合国艦隊壊滅す178頁
  29. ^ a b #連合国艦隊壊滅す181頁
  30. ^ #戦史叢書26pp.446-447『第二空襲部隊、東部ジャワをほぼ制圧』
  31. ^ #連合国艦隊壊滅すp.185
  32. ^ #連合国艦隊壊滅すp.186
  33. ^ #連合国艦隊壊滅すp.193
  34. ^ 聯合艦隊作戦室 2008, p. 43.
  35. ^ #連合国艦隊壊滅すpp.196-197
  36. ^ a b c #戦史叢書26pp.448『敵有力水上部隊出現(二月二十七日)』
  37. ^ 軽巡二十五隻(光人社) 2014, p. 89.
  38. ^ #連合国艦隊壊滅すpp.188-189
  39. ^ a b #戦史叢書26p.449
  40. ^ #巡洋艦戦記p.119
  41. ^ #連合国艦隊壊滅すp.199
  42. ^ a b c d #戦史叢書26p.450
  43. ^ a b c #戦史叢書26p.451『第一次昼戦(自一七五〇至一八五〇』
  44. ^ #連合国艦隊壊滅すp.203
  45. ^ #連合国艦隊壊滅すp.204
  46. ^ a b c d #戦史叢書26付図第五『スラバヤ沖海戦(昭和十七年二月二十七日)第一次昼戦(1725〜1850)合戦図』
  47. ^ #連合国艦隊壊滅すp.206
  48. ^ #連合国艦隊壊滅すp.207
  49. ^ a b c d e f #戦史叢書26p.452
  50. ^ a b #連合国艦隊壊滅すp.208
  51. ^ #巡洋艦戦記pp.125-126
  52. ^ #波濤と流雲と青春とp.188
  53. ^ #外交官回想p.68
  54. ^ a b #連合国艦隊壊滅すp.211
  55. ^ a b #生涯海軍士官38頁
  56. ^ 勇躍インド洋作戦 1994, pp. 53–54酸素魚雷命中せず
  57. ^ 海軍水雷戦隊 2016, pp. 22–23ショックだった欠陥魚雷
  58. ^ a b c d #生涯海軍士官40頁
  59. ^ a b #5戦隊日誌(1)pp.30-31
  60. ^ #五月雨p.71
  61. ^ a b c d e #戦史叢書26p.453
  62. ^ 勇躍インド洋作戦 1994, p. 54a全軍突撃を開始
  63. ^ #連合国艦隊壊滅すpp.212,214
  64. ^ a b c d e f g h #戦史叢書26pp.478-479『連合軍側の状況』
  65. ^ a b #連合国艦隊壊滅すp.217
  66. ^ a b c #連合国艦隊壊滅すp.218
  67. ^ 軽巡二十五隻(光人社), 2014 & p94.
  68. ^ #外交官回想p.69。エンカウンターは900m離れた位置。
  69. ^ 敵兵を救助せよ!p231
  70. ^ #戦史叢書26付図第五『スラバヤ沖海戦(昭和十七年二月二十七日)第一次昼戦その一(1850〜1920)合戦図』
  71. ^ a b c d e f g h i #戦史叢書26p.454『第二次昼戦(自一八五〇至一九五〇)』
  72. ^ #連合国艦隊壊滅すp.216
  73. ^ a b c 艦長たち続編 1984, p. 244.
  74. ^ #巡洋艦戦記p.140-141『猛進駆逐隊』
  75. ^ #連合国艦隊壊滅すp.219
  76. ^ #連合国艦隊壊滅すp.223
  77. ^ 佐藤 艦長続編(文庫)p.445
  78. ^ a b c #戦史叢書26付図第五『スラバヤ沖海戦(昭和十七年二月二十七日)第一次昼戦その二(1920〜1950)合戦図』
  79. ^ #連合国艦隊壊滅すp.226
  80. ^ 艦長たち続編 1984, p. 245.
  81. ^ 四水戦スラバヤ(4) p.25〔 (ロ)「スラバヤ」沖海戰ニ於テ朝雲峯雲ハ巡洋艦三隻駆逐艦三隻ノ優秀ナル敵ト交戰勇戰敢闘的巡洋艦一隻駆逐艦二隻ヲ撃沈シ以テ我ガ水雷戰隊ノ本領ヲ遺憾ナク發揮シ帝國海軍ノ傳統ニ光輝アラシメタリ 〕
  82. ^ #巡洋艦戦記p.142-143
  83. ^ a b c d e #戦史叢書26p.455
  84. ^ #巡洋艦戦記p.134
  85. ^ a b c d e f #戦史叢書26p.456『第一次夜戦(自二〇五〇至二一一〇)』
  86. ^ #巡洋艦戦記p.144
  87. ^ #連合国艦隊壊滅すp.227
  88. ^ #連合国艦隊壊滅すp.231
  89. ^ 勇躍インド洋作戦 1994, p. 54b.
  90. ^ #連合国艦隊壊滅すp.235
  91. ^ #巡洋艦戦記p.145
  92. ^ #波濤と流雲と青春とp.190
  93. ^ #連合国艦隊壊滅すp.236
  94. ^ #巡洋艦戦記p.146
  95. ^ #戦史叢書26付図第六『スラバヤ沖海戦(昭和十七年二月二十七日〜同年三月一日)第一次夜戦(2050〜2110)合戦図』
  96. ^ a b c d e f g h i j k #戦史叢書26p.457『第二次夜戦(自〇〇三〇至〇一〇〇)』
  97. ^ #連合国艦隊壊滅すp.237
  98. ^ #連合国艦隊壊滅すp.238
  99. ^ a b #連合国艦隊壊滅すp.239
  100. ^ a b #連合国艦隊壊滅すp.240
  101. ^ a b #戦史叢書26付図第六『スラバヤ沖海戦(昭和十七年二月二十七日〜同年三月一日)第二次夜戦(0030〜0100)合戦図』
  102. ^ #巡洋艦戦記pp.150-151
  103. ^ a b c d #戦史叢書26pp.458-459
  104. ^ #連合国艦隊壊滅すp.242
  105. ^ #連合国艦隊壊滅すp.243
  106. ^ #巡洋艦戦記p.153『長蛇を逸す』
  107. ^ 海軍水雷戦隊 2016, p. 239.
  108. ^ a b c d e f g h i #第二氷川丸の航跡pp.273-278『オランダ側資料で見るオプテンノール号事件』
  109. ^ a b c d e f #戦史叢書26pp.460-461『輸送船団クラガン入泊』
  110. ^ #5戦隊日誌(2) pp.22-23〔 2-28|(略)(4)1630頃蘭国病院船1隻上陸泊地附近ニ航行中ナルヲ認メ夕立之ヲ臨検次テ天津風之ヲ「バウエアン」島北方ニ抑留ス 〕
  111. ^ #第二氷川丸の航跡pp.52-60『オプテンノール号の謎めいた動き』
  112. ^ #4水雷戦闘詳報(2) p.23〔 (28日)1555村雨140度方向20粁ニ商船ラシキ檣ヲ認メ(蘭国病院船「オプテンノルト」)1635之ヲ臨検次イデ天津風ニ引渡ス 〕
  113. ^ #連合国艦隊壊滅すp.244
  114. ^ #外交官回想p.69
  115. ^ a b c d #ニミッツの太平洋海戦史pp.39-40『ジャヴァから退却』
  116. ^ a b #外交官回想p.70
  117. ^ #連合国艦隊壊滅すp.245
  118. ^ #撃沈戦記pp.129-130『スラバヤを脱出』
  119. ^ #連合国艦隊壊滅すp.246
  120. ^ a b #撃沈戦記pp.130-131『有力部隊に挟撃される』
  121. ^ #外交官回想p.71
  122. ^ 海軍水雷戦隊 2016, p. 240.
  123. ^ #5戦隊日誌(1)p.16
  124. ^ #奇蹟の海からp.138
  125. ^ #5戦隊日誌(1)p.18
  126. ^ #5戦隊日誌(1)p.19
  127. ^ #大高海戦記p.196
  128. ^ a b #第二氷川丸の航跡p.61
  129. ^ #5戦隊日誌(1)pp.22,54
  130. ^ a b c d e #戦史叢書26p.461『残存敵艦隊を撃滅』
  131. ^ #巡洋艦戦記pp.157-159『"牛刀"来援す』
  132. ^ #5戦隊日誌(1)p.22
  133. ^ a b c d e #戦史叢書26付図第六『スラバヤ沖海戦(昭和十七年二月二十七日〜同年三月一日)三月一日昼戦(1100〜1340)合戦図』
  134. ^ #大高海戦記p.199
  135. ^ #連合国艦隊壊滅すp.252
  136. ^ #5戦隊日誌(1)p.57『敵ハ艦首方向ニ発砲中トスルヲ認ム』
  137. ^ #2水雷日誌(2)p.12、#5戦隊日誌(1) pp.22,58〔 敵ノ前方ニ味方d×1、砲戦中1140 〕
  138. ^ #5戦隊日誌(1) pp.22,59〔 敵ヲ我ニ誘致セヨ1145 〕、#2水雷日誌(2) p.12、#大高海戦記p.201
  139. ^ #外交官回想p.72
  140. ^ #大高海戦記p.202
  141. ^ a b #外交官回想p.73
  142. ^ #安永索敵機p.122
  143. ^ #安永索敵機p.123、#大高海戦記p.204
  144. ^ #戦史叢書26pp.462-463
  145. ^ #5戦隊日誌(1)p.61「煤煙のため敵を見失う」
  146. ^ #安永索敵機pp.122-123
  147. ^ a b c #撃沈戦記pp.132-135『咆哮する二〇センチ砲』
  148. ^ #外交官回想p.74、#2水雷日誌(2) p.13〔 我スコールにて射撃中止中 〕
  149. ^ #外交官回想p.74
  150. ^ 敵兵を救助せよ!p235
  151. ^ #5戦隊日誌(1) pp.23,63〔 砲撃開始(24500m) 〕
  152. ^ #5戦隊日誌(1)p.23
  153. ^ a b c #5戦隊日誌(1)p.24
  154. ^ #5戦隊日誌(1) p.64〔 1237:山風、江風、敵駆逐艦ニ対シ砲戦開始(註)コノ報告以前ニ既ニ砲戦ヲ開始シアリ 〕
  155. ^ #5戦隊日誌(1) p.64〔 敵駆逐艦面舵変針近づく(註)後刻判明、敵駆は舵機故障等のため自然と我方に向首せるものの如し 〕
  156. ^ #外交官回想p.76、フォール中尉談。
  157. ^ #2水雷日誌(2)p.13
  158. ^ #5戦隊日誌(1)pp.24,66
  159. ^ 敵兵を救助せよ!p236
  160. ^ #連合国艦隊壊滅すp.253、#5戦隊日誌(1)p.67『敵巡ハ火災ヲ発生セリ』
  161. ^ #5戦隊日誌(1)p.25
  162. ^ #奇蹟の海からp.143
  163. ^ #敵兵救助pp.238,246、#安永索敵機p.125
  164. ^ #5戦隊日誌(1) p.67〔 1257:足柄、妙高砲戦開始 〕
  165. ^ a b c #5戦隊日誌(1)p.26
  166. ^ #安永索敵機pp.125-156
  167. ^ HMS Exeter Final Days
  168. ^ 「写真週報215号」p.10
  169. ^ #5戦隊日誌(1) p.68〔 主砲、高角砲ヲ以ッテ敵駆逐艦ヲ砲撃ス 〕
  170. ^ #外交官回想p.77
  171. ^ #外交官回想p.82、#5戦隊日誌(1)pp.26,71
  172. ^ #奇蹟の海からp.144、#5戦隊日誌(1)p.72
  173. ^ #連合国艦隊壊滅すp.254
  174. ^ #龍驤飛行隊調書(2)pp.24-25
  175. ^ #戦史叢書26p.478『第四航空戦隊の戦闘』
  176. ^ #連合国艦隊壊滅すp.253
  177. ^ #安永索敵機p.129
  178. ^ #安永索敵機p.130
  179. ^ 小泉信吉 1975, pp. 117–118.
  180. ^ 竹本定男 1971, p. 44.
  181. ^ 勇躍インド洋作戦 1994, pp. 14–15スラバヤ沖激闘7時間35分
  182. ^ a b 勇躍インド洋作戦 1994, p. 15.
  183. ^ a b c #戦藻録(1968)96頁
  184. ^ #5戦隊日誌(1)p.29
  185. ^ 落日の日本艦隊 2014, pp. 55–56.
  186. ^ 聯合艦隊作戦室 2008, p. 42.
  187. ^ <光人社「重巡最上、出撃せよ」(雑誌「丸」重巡那智、神技の砲雷戦を語れ)>
  188. ^ 落日の日本艦隊 2014, p. 58.
  189. ^ <雑誌(丸)重巡那智、神技の砲雷戦を語れ、>
  190. ^ 軽巡二十五隻(光人社) 2014, pp. 98–99スラバヤ沖に消えた英艦隊
  191. ^ #連合国艦隊壊滅すpp.255-256
  192. ^ #戦藻録(1968)92頁
  193. ^ a b c d #戦史叢書26pp.470-471『艦政本部魚雷担当部員竹大孝志大佐(当時中佐)談』
  194. ^ a b #波濤と流雲と青春とp.191
  195. ^ 雪風ハ沈マズ 2004, pp. 103–106.
  196. ^ #陽炎型、2014137頁
  197. ^ a b #連合艦隊栄光、1996 p226-227
  198. ^ #2水雷戦闘詳報(1) p.31-32
  199. ^ 雪風ハ沈マズ 2004, p. 108.
  200. ^ 南太平洋の凱歌 1968, pp. 99–100スラバヤ沖海戦
  201. ^ #5戦隊日誌(2) p.31〔 3-1|(1)支援隊「クラガン」北方哨戒中(28日夜戦ニテ敵艦沈没位置附近海面)0020頃漂流救助ヲ求ムルモノアリ江風ヲシテ之ヲ救助セシメタルニ蘭巡ジャバ乗員ニシテ37名アリ全部江風ニ救助収容ス 〕
  202. ^ a b c d 『わが愛する重巡足柄青春海戦記〜栄光の旗艦のもとに生きた四年間の艦隊勤務裏話』(リバイバル戦記コレクション6〜証言・昭和の戦争)p.234-239
  203. ^ S1703五戦隊日誌(1) p.30〔 尚山風ヲシテ敵駆(H10)[(註)後日山風ノ捕虜トセシハエクセター乗員ニシテ5S指令ノH10ノ乗員ナラザリシコト判明セリ]ノ乗員67名(内士官6)ヲ捕虜トセシメタリ 〕
  204. ^ #5戦隊日誌(2) p.31〔 3-1|(3)1453蘭印部隊指揮官ヨリ ケンタリ ニ回航スベク下令セラル山風江風燃料残額ノ関係上バンジャルマシン経由ノコトトシ戦場ヲ引揚ゲ捕虜ノ処理ニ関シ左ノ通指令ヲ仰グ 3月1日1840(5Sキデ756)発5S司令官宛2F3F参謀長受報大海三部長軍務局長GF参謀長 当隊ケンダリ回航中ナル処3月1日収容ノジャバ乗員三七3月1日午後ノ戦斗直後救助セル英駆H10ノ乗員六七名ノ俘虜ノ処理ニ関シ至急指示ヲ得度 〕
  205. ^ 敵兵を救助せよ!p249
  206. ^ 敵兵を救助せよ!p263
  207. ^ 敵兵を救助せよ!p262
  208. ^ 敵兵を救助せよ!p265
  209. ^ #5戦隊日誌(2) pp.33-34〔 3-2|(略)俘虜ノ処理ニ関スル発受報左ノ通 3月2日0800(3Fキデ582)発3F参謀長宛5S2sd司令官 5S機密第760番電関聯 捕虜ハ駆逐艦1隻ニ収容ノ上「マカツサル」佐聯特陸ニ之ヲ引渡シ同艦ハ「マカツサル」又ハ「バンジャルマシン」ニ於テ補給終了後原隊ニ復帰セシメラル 〕
  210. ^ S1703五戦隊日誌(2) p.35〔 3-3|5S(妙高欠)江風「セレベス」島南方経由「スターリング」湾ニ航行 山風「マカツサル」着収容中ノ俘虜ヲ佐聯特ニ引渡シ同日出港「バンジャルマシン」ニ向フ 〕
  211. ^ 敵兵を救助せよ!p247
  212. ^ #外交官回想p.82
  213. ^ #外交官回想p.97
  214. ^ #奇蹟の海からpp.144-145
  215. ^ 雪風ハ沈マズ 2004, pp. 103–109.
  216. ^ 竹本定男 1971, p. 146.
  217. ^ #5戦隊日誌(2) p.35〔 3-3|5S(妙高欠)江風「セレベス」島南方経由「スターリング」湾ニ航行 山風「マカツサル」着収容中ノ俘虜ヲ佐聯特ニ引渡シ同日出港「バンジャルマシン」ニ向フ 〕
  218. ^ 海軍水雷戦隊 2016, p. 238.
  219. ^ “オランダ沈没艦の残骸消える=旧日本軍が撃沈-インドネシア沖”. 時事通信. (2016年11月16日). http://www.jiji.com/jc/article?k=2016111600519&g=int 
  220. ^ “海底の6隻、消えた 旧日本軍撃沈の英・オランダ艦船 インドネシア沖調査”. 朝日新聞. (2016年11月22日). http://www.asahi.com/articles/DA3S12669742.html 


「スラバヤ沖海戦」の続きの解説一覧

スラバヤ沖海戦

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/10/26 00:49 UTC 版)

Battlestations: Pacific」の記事における「スラバヤ沖海戦」の解説

敵の駆逐艦主力大型攻撃部隊から輸送船護衛駆逐艦を守る。

※この「スラバヤ沖海戦」の解説は、「Battlestations: Pacific」の解説の一部です。
「スラバヤ沖海戦」を含む「Battlestations: Pacific」の記事については、「Battlestations: Pacific」の概要を参照ください。


スラバヤ沖海戦

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/12 14:15 UTC 版)

ヒューストン (重巡洋艦)」の記事における「スラバヤ沖海戦」の解説

「スラバヤ沖海戦」も参照 1942年昭和17年2月中旬、ABDA海軍部隊指揮官ハート提督アメリカ海軍)からコンラッド・ヘルフリッヒ英語版オランダ語版中将オランダ海軍)に交代した日本軍ジャワ島占領目的として陸軍の上船団部隊派遣する。その報を受けたドールマン少将旗艦デ・ロイテル)は上陸阻止するため、オランダ軽巡デ・ロイテル (HNLMS De Ruyter) 、オランダ軽巡ジャワ (HNLMS Java) 、ヒューストンオーストラリア軽巡パース (HMAS Perth, D29) 、イギリス重巡エクセター (HMS Exeter, 68) 、および英駆逐艦3隻、和蘭駆逐艦3隻、米駆逐艦5隻の多国籍艦隊率い2月26日出撃する2月27日夕刻多国籍艦隊日本軍輸送船団護衛していた第五戦隊司令官高木武雄少将指揮する妙高型重巡洋艦2隻(那智羽黒)と、二つ水雷戦隊二水戦、四水戦)に遭遇した(スラバヤ沖海戦)。 米英連合艦隊(ABDA艦隊)は奮戦したものの、航空援護の不足、多国籍艦隊ゆえの訓練不足という弱点抱えていた。両艦隊夕方遭遇し17時45分軽巡神通二水司令官田中頼三少将)が砲撃開始した両軍砲撃戦開始し1838分、エクセター妙高重巡8インチ砲弾命中、その混乱陣形乱れる。駆逐艦エレクトラ (HMS Electra, H27) はエクセター援護する間に四水戦麾下の第9駆逐隊交戦、やがて沈没した1845分には駆逐艦コーテニアー (HNLMS Kortenaer) に魚雷命中して轟沈米英艦隊戦場離脱した両軍夜戦入り2255分に駆逐艦ジュピター (HMS Jupiter, F85) が触雷沈没したその後エンカウンター (HMS Encounter, H10) はコーテニアーの生存者救助に当たり、エクセター駆逐艦4隻はスラバヤ退避した護衛駆逐艦無くなったドールマン少将艦隊は、日本軍ジャワ侵攻阻止のため巡洋艦4隻(デ・ロイテルジャワパースヒューストン)を率いて北へ向かう。 翌28日0時33分に艦隊は再び日本艦隊遭遇した。約20分の砲戦続いて那智羽黒酸素魚雷発射デ・ロイテルジャワ命中して両艦は沈没した。ドールマン少将デ・ロイテル運命を共にしたが、沈没前パースヒューストン退却命じていた。

※この「スラバヤ沖海戦」の解説は、「ヒューストン (重巡洋艦)」の解説の一部です。
「スラバヤ沖海戦」を含む「ヒューストン (重巡洋艦)」の記事については、「ヒューストン (重巡洋艦)」の概要を参照ください。


スラバヤ沖海戦

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/03/01 22:32 UTC 版)

佐藤康夫」の記事における「スラバヤ沖海戦」の解説

詳細は「スラバヤ沖海戦」を参照 佐藤康夫当時海軍大佐、第9駆逐隊司令)は、1942年昭和17年2月27日-3月1日起きた『スラバヤ沖海戦』で名を馳せた2月27日昼戦において、第五戦隊重巡那智羽黒)、第二水雷戦隊司令官田中頼三少将軽巡神通)、第四水雷戦隊司令官西村祥治少将軽巡那珂)は酸素魚雷の長射程頼り一万m以上で魚雷発射した高木少将からの全軍突撃命令くだされたあとの第四水雷戦隊子隊の第2駆逐隊村雨五月雨夕立春雨)による雷撃も、距離8000mほどだった。ところが第四水雷戦隊・第9駆逐隊佐藤司令)は指揮下の駆逐艦2隻(朝雲峯雲)を率いて、さらに敵艦隊に接近した日本艦隊の他隊が次々魚雷発射し反転していくのを見て朝雲水雷長が「司令、もう撃ちましょう」と何度も催促するのを「もうちっと、もうちっと」と発射号令を下さなかった。仮屋雄大尉(朝雲砲術長)によれば岩橋中佐朝雲艦長)が「第2駆逐隊同じく距離8000mでの発射退避」を進言したのに対して佐藤司令は「艦長後ろを見るな」と一言し肉薄攻撃続けた5000m戦史叢書では6000m)まで接近したところで魚雷発射。しかし尚も反転せずにそのまま直進続け敵艦隊に肉薄しつづけた。これに対して連合軍艦隊から、イギリス駆逐艦エンカウンター(HMS Encounter, H10) とエレクトラHMS Electra,H27)が反撃した。距離3000mでの砲撃戦エレクトラ航行不能となったが、反撃の一弾が「朝雲」の機械室命中し電源故障起こした電源止まった朝雲ではあったが、佐藤大佐の「砲は人力操作せよ砲撃続行せよ」との命令の下、砲塔各個照準砲撃と「峯雲」の砲撃により、ついにエレクトラ撃沈した。9駆(朝雲峯雲)の活躍見ていた村雨水雷長(第2駆逐隊)は佐藤司令一瞬決心実行力感嘆している。2月27日昼戦の日本指揮官であった第五戦隊司令官高木武雄少将もこの第9駆逐隊佐藤大佐の奮闘ぶりを特筆し称賛している。もっとも第9駆逐隊は、エレクトラ撃沈エンカウンター撃退戦果対し軽巡1隻・駆逐艦2隻の撃沈報告しており、戦果検討席上異論対し佐藤が「遠くへ逃げてばかりいた奴になにがわかるか!」と怒鳴り付け一幕もあった。

※この「スラバヤ沖海戦」の解説は、「佐藤康夫」の解説の一部です。
「スラバヤ沖海戦」を含む「佐藤康夫」の記事については、「佐藤康夫」の概要を参照ください。


スラバヤ沖海戦

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/10 06:42 UTC 版)

那珂 (軽巡洋艦)」の記事における「スラバヤ沖海戦」の解説

詳細は「スラバヤ沖海戦」を参照 1942年2月末、ジャワ島占領のためジャワ島東部陸軍48師団坂口支隊輸送することとなり、第五戦隊那智羽黒妙高)、第二水雷戦隊旗艦神通)、第四水雷戦隊旗艦那珂)などからなる護衛艦隊がその護衛についた2月27日輸送艦隊はマカッサル海峡南下してジャワ海航行していた。連合国軍のABDA艦隊はこれを迎撃すべくスラバヤ出撃したが、連日戦闘配置により乗員疲労高まっていたこともあり、カレル・ドールマン司令官補給のため一旦艦隊スラバヤ帰投させることにした。基地航空隊から『敵巡洋艦五隻、駆逐艦六隻接近』の報告受けた第五戦隊司令官高木武雄少将は、第五戦隊那智羽黒)・第二水雷戦隊神通、第16駆逐隊雪風時津風初風天津風》、臨時編入艦《潮、漣、山風江風》)・第四水雷戦隊各隊戦闘準備下令する。12時5分(現地時間。以下同じ)、那智偵が連合軍艦隊発見し日本艦隊位置通報した第四水雷戦隊輸送船団護衛若鷹任せて敵艦隊に向かう第五戦隊合流しようとしたが、連合軍艦隊輸送船団攻撃向かっているのか、帰投ようとしているのか判断しかねており、四水戦反転して一旦輸送船団護衛戻った一方連合軍艦隊スラバヤ入港しようとしたところ日本軍船団発見の報を受けて反転日本艦隊那智機の報告受けて敵艦隊との会敵予想針路取った第四水雷戦隊那智機の電報受信するのが遅れ、西村司令官船団護衛を第24駆逐隊司令指揮下2隻(海風夏雲)に任せると那珂・第9駆逐隊朝雲峯雲)・第2駆逐隊村雨五月雨春雨夕立)を率い第五戦隊第二水雷戦隊の後を追って予想会敵地点向かった16時1750)ごろ第四水雷戦隊戦闘戦域到着退避する神通以下第二水雷戦隊の前を突っ切って連合国軍艦隊接近した。四水戦は距離15,000mで一斉に27発の魚雷発射神通は四水戦外側か魚雷4本を発射したいずれも自爆、だが日本側は大口径砲機雷爆発とみて混乱する遠距離砲戦繰返しながら時間経過していくうち、連合軍艦隊態勢立て直すために変針したのを見て高木少将は『全軍突撃セヨ』を下令した。日本艦隊は、四水戦二水戦―第五戦隊という順番突撃開始旗艦那珂連合軍艦隊に距離12000mまで近づく魚雷4本を発射して避退、四水戦の子隊である第2駆逐隊村雨五月雨夕立春雨)と第9駆逐隊朝雲峯雲)は更に接近する。第2駆逐隊は距離10000〜7500mで魚雷発射佐藤康夫9駆司令指揮下の第9駆逐隊朝雲峯雲)は距離6000mまで近づいて魚雷発射したが、これらは命中しなかった。しかしドールマン少将が英重巡エクセター避退させるために英駆逐艦2隻(エレクトラエンカウンター)に攻撃下令し、英駆逐艦2隻と第9駆逐隊朝雲峯雲)は3000m砲戦交えた。第9駆逐隊朝雲峯雲)はエレクトラ撃沈エンカウンター避退させたが朝雲損傷したこの頃戦闘海域砲煙煙幕日没重なって視界極度に悪化日本艦隊司令官達は輸送船団反転と、配下駆逐隊集結命じた。スラバヤ沖海戦はその日日没後、および3月1日にも戦闘があったが、これらに四水戦は関わっていない3月第四水雷戦隊ジャワ島セレベス島の間の海域哨戒任務就いた

※この「スラバヤ沖海戦」の解説は、「那珂 (軽巡洋艦)」の解説の一部です。
「スラバヤ沖海戦」を含む「那珂 (軽巡洋艦)」の記事については、「那珂 (軽巡洋艦)」の概要を参照ください。

ウィキペディア小見出し辞書の「スラバヤ沖海戦」の項目はプログラムで機械的に意味や本文を生成しているため、不適切な項目が含まれていることもあります。ご了承くださいませ。 お問い合わせ



固有名詞の分類


英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「スラバヤ沖海戦」の関連用語

スラバヤ沖海戦のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



スラバヤ沖海戦のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアのスラバヤ沖海戦 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。
ウィキペディアウィキペディア
Text is available under GNU Free Documentation License (GFDL).
Weblio辞書に掲載されている「ウィキペディア小見出し辞書」の記事は、WikipediaのBattlestations: Pacific (改訂履歴)、ヒューストン (重巡洋艦) (改訂履歴)、佐藤康夫 (改訂履歴)、那珂 (軽巡洋艦) (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。

©2024 GRAS Group, Inc.RSS