二月二十七日昼戦直前の経過
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/09 15:04 UTC 版)
「スラバヤ沖海戦」の記事における「二月二十七日昼戦直前の経過」の解説
「敵艦隊発見」の報を受けたとき、第五戦隊部隊と第二水雷戦隊は第一護衛隊(第四水雷戦隊)及び輸送船団の北東約50浬を西進し、正午前後にそれぞれ南に転舵して第一護衛隊に続行した。日本艦隊はPBYカタリナ飛行艇やB-17爆撃機少数機の爆撃を受けたものの、高高度からの爆撃だったので、何の被害も受けなかった。この頃、日本艦隊は航空隊から『敵巡洋艦五隻、駆逐艦六隻、「スラバヤ」ノ310度63浬針路80度速力12節 1150』の報告を受け、日本艦隊指揮官(第五戦隊司令官高木武雄少将)は直ちに敵方に向かって増速、第二水雷戦隊に合同命令を出した上で旗艦の重巡那智の水偵による偵察を下令する。那智機は14時5分、連合軍艦隊を発見、日本艦隊に位置を通報した。また第四水雷戦隊も輸送船団の護衛指揮を若鷹艦長に任せると、第五戦隊に合同する運動を開始した。日本艦隊は連合軍艦隊が船団攻撃に向うのか、スラバヤに退避するのか判断しかねており、第五戦隊は速度を落とし、二水戦はそのまま南東進を続け、四水戦は反転して船団護衛の位置に戻った。 一方で連合軍艦隊はスラバヤに入港しようとしたところ、総司令部より日本軍船団発見の報が入ったため反転、当該海域へ向かった。巡洋艦部隊は先頭からデ・ロイテル - エクセター - ヒューストン - パース - ジャワの単縦陣で、英駆逐艦3隻が巡洋艦部隊前方、蘭駆逐艦2隻は左舷前方、米駆逐艦4隻は後方に配置されていた。これらの動きは全て上空触接していた那智機によって逐一日本艦隊へ送信されており、第五戦隊部隊・二水戦は連合軍艦隊による船団攻撃阻止のために敵艦隊との会敵予想針路を取った。第四水雷戦隊は那智機の電報を受信するのが遅れ、船団護衛を第24駆逐隊司令(駆逐艦海風座乗)に任せると、第五戦隊・第二水雷戦隊の後を追って予想会敵地点へ向った。1650頃、日本軍の第五戦隊、二水戦、四水戦から成る重巡2隻、軽巡2隻・駆逐艦14隻はおおむね並行してABDA艦隊方向へ進撃。天候は晴れ、日没1950、月出1653、月齢12であった。
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