アドミラル・グラーフ・シュペー_(装甲艦)とは? わかりやすく解説

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アドミラル・グラーフ・シュペー (装甲艦)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/06/05 01:44 UTC 版)

アドミラル・グラーフ・シュペー (Die Admiral Graf Spee) は、ドイツヴァイマル共和政)が海軍休日時代に建造し、ドイツ海軍 (Kriegsmarine) が第二次世界大戦で運用した軍艦


注釈

  1. ^ 戰艦"アドミラル・グラーフ・シュペー Admiral Graf Spee"[2] 全要目{排水量10,000噸 速力26節 備砲28糎砲6門 15糎砲8門 8.8糎高角砲6門 魚雷發射管(53糎)8門 起工1932年10月 進水1934年6月 建造所ウイルヘルウスハーフエン海軍工廠} 對英三割五分の海軍力保有量を贏ち得た獨逸は、目下26,000噸の本式の戰艦二隻を建造中である。この新戰艦が出來あがつた暁は、ポケット戰艦は28糎主砲をもつた一萬噸重巡として、英佛伊の20糎主砲甲級巡洋艦の一枚上を行く、怖るべき存在となるであらう。獨逸はもともとこの事を注意深く念頭に置いてゐたものであらうか。空からの攻撃に對する防禦に於いても、航續距離の延長、戰闘速力の躍進についても、四聯装魚雷發射管を整備した周到振りを見ても再び海外に雄飛せんとする新獨逸國にふさはしい海軍の中堅部隊をなしてゐることを痛感する。
  2. ^ 【本社特約INS電送寫眞】[4] 英國巡洋艦三隻と激戰十五時間の後モンテビデオ港に入港した獨逸豆戰艦グラフ シュペー號(上圖)と英艦の砲彈が同艦の舷側に明けた大穴(下圖) 上圖前面は右豆戰艦の襲撃を受けつゝある際英國巡洋艦の来援によつて危い所を助かつた佛國商船フオルモーズ號が敵艦と同じく中立國の港へ入港してゐる處(記事おわり)
  3. ^ 【本社特約INPS電送】[5] 今は亡きランクスドルフ艦長の命令一下轟然たる爆音と共に沈み行く獨袖珍戰艦グラーフシュペー號を空から撮影した寫眞(記事おわり)
  4. ^ (三十日ウイルヘルムスハーフエン發)[9] 獨逸第三の豆戰艦は本日進水しスピー提督の名をそのまゝ同艦名とした、進水式にはスピー提督の令嬢が綱を切り且つ命名に當つた(記事おわり)
  5. ^ 【ベルリン二十三日發國通】[14] ドイツ袖珍戰艦アドミラル・グラーフ・シュペー號は二十三日急遽スペイン近海へ向け出動した、袖珍戰艦アドミラル・シエーア號、ニュールンベルグ號、巡洋艦ケルン號、驅逐艦テイーゲル號ルツクス號ゼーアドラ號アルバトロス號等も既にポルトガル又はスペイン近海に遊弋し、シュペー號はこれ等と合體、權益保護の任に就く筈である(記事おわり)
  6. ^ (モンデビデオ十六日特報)[73] 十三日午前六時頃ブラジル沖で英巡洋艦エクゼター號を遠方に撥見したがその時本艦は爆彈缺乏のため危險状態にあつたのでこれと交戰を避けて南方へ向つたところ間もなくアジヤツクス及びアキレスの兩巡洋艦と遭遇した。敵の二艦は本艦が東方に迂廻して英艦の沖合へ逃避するを防止せんとする隊形を取つたが本艦は燃料不足のため沖には出られず淺瀬に坐礁しさうになるのを辛うじて切り抜けやうとしたが遂に進退兩難の窮地に追いつめられ、進んで攻勢に出でこの圍みを逃れる氣如かずと意を決して窮鼠の逆襲に出た本艦は 先づ最も大 きな敵のエクセダー號を砲撃大打撃を與へたのち他の兩艦に對抗したが驚くべしこの輕巡二隻の火力は實に猛烈で六インチ砲とはいひながら砲彈は續々わが艦に命中大損害を與へ艦上は死傷者が相次いで出た。敵の砲撃ぶりは實に天晴なもので余(艦長)も負傷したほどであつた その後幾度か沖合へ逃れんとしたが敵の輕巡二隻は實に巧みな操縦と快速をもつて本艦の行動を妨害しつゝある時は大膽にも一マイルの近くに接近して命中彈を浴びせた。こゝでわが方はモンテビデオ入港を決心し敵を壮烈な移動戰(追撃戰)を交へつゝ幾度か追ひつかれさうになりながらたちまち開き直つて一薺射撃を加へるといふ戰法を取つてつひに港内に入つたのである。これは最初から振りな情勢を知りつゝ止むを得ず戰つたのである(記事おわり)

出典

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  12. ^ 十七ヶ國の軍艦参加し威風堂々の大觀艦式 足柄第四位に ― 英帝御親閲 伊艦だけは不参加 ― 英伊關係の反影か?”. Shin Sekai Asahi Shinbun, 1937.05.23. pp. 02. 2024年5月18日閲覧。
  13. ^ 西班牙内亂をめぐり歐洲の天地再び風雲急 獨伊の軍事行動積極化 地中海待機中の英佛艦隊頓に緊張/獨伊軍艦待機 スペイン沖に集合”. Nippu Jiji, 1937.06.24. pp. 12. 2024年5月18日閲覧。
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  71. ^ a b c d 「ヒトラーの軍艦自沈の真相」ナショナルジオグラフィックチャンネル
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  75. ^ #独英海戦記 p.37〔 獨艦の戰死者は三十六名で負傷者は約六十名であつた。前記専門委員の報告によれば、同艦は少くも二十七回命中弾をうけ、その中の少くも一回は司令塔にあたつてゐた。〕
  76. ^ 戰死三十六勇士の葬儀執行さる ウ國儀仗兵も参列す”. Nippu Jiji, 1939.12.15. pp. 01. 2024年5月18日閲覧。
  77. ^ 英艦七隻に佛戰艦も参加 スペー號の出港を待機 獨逸潜水艦隊來援説も傳へられ 大海戰の時期刻々と迫る/世界注目の的獨逸袖珍戰艦グラーフ・スペー號(正面から見た主砲と艦橋写真)”. Nippu Jiji, 1939.12.16. pp. 01. 2024年5月18日閲覧。
  78. ^ a b 「ヒトラーの軍艦自沈の真相」ナショナルジオグラフィックチャンネル(生存者の証言より)
  79. ^ #独英海戦記 pp.41-42〔 ラングスドルフ大佐の自決 〕
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  81. ^ "Starshell" by The Naval Officers Association of Canada; Volume VII, Number 34, Spring 2006
  82. ^ ウルグワヰ政府 英佛の壓迫に屈せり 國際法違反だと獨逸政府大憤慨 國際法違反だと獨逸政府大憤慨”. Burajiru Jihō, 1939.12.20. pp. 01. 2024年5月18日閲覧。


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