ダンケルク_(戦艦)とは? わかりやすく解説

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ダンケルク (戦艦)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/08/15 08:07 UTC 版)

ダンケルク (Dunkerque) は、フランス海軍ワシントン海軍軍縮条約の規定により建造し[1]第二次世界大戦で運用した戦艦[2]。 列強各国からは巡洋戦艦と見做されることもある[3][4][注釈 1][注釈 2]


注釈

  1. ^ (三)佛國ノ巡洋戰艦「ダンケルク」竝ニ独逸ノ一萬噸級「ポケット」戰艦[5] 獨國「ドイツチランド」級一萬噸級「ポケツト」戰艦竝ニ之ニ對抗シテ佛國ニテ建造中ノ二六,五〇〇噸級主力艦「ダンケルク」ニ就テ述ベントス此ノ兩艦ノ要目大約次ノ如シ(ダンケルク、アドミラルシェーア要目略)
  2. ^ a b 佛國海軍の英國諸港訪問[6] 昨年度中には佛國軍艦の英國來訪が數度行はれた。(中略)五月及び六月に佛國の大西洋艦隊の多數が英國港灣を訪問した。即ち巡戰のダンケルク(ゲンソール中将の旗艦)及ストラスブルグはリヴァプールオーバンスカッパフロー、及フォース・オブ・フォースを歴訪した。(中略)六月には佛國の巡戰及び巡洋艦がフォース・オブ・フォースに來箸したとき、サア・チャーレス・フォーブス大将麾下の内國艦隊に依つて歓迎を受けた。彼等は五日間滞泊し、其の間、訪問者に對する饗應の設備萬端十分に行届き又民間、海軍兩者とも力を併せて或はスポーツの競技を行ひ、或る軍事上の相談をも行つた。(以下略)
  3. ^ 戰艦 “ダンケルク Dunkerque[9] 全要目{排水量26,500噸 速力29.5節 備砲33糎砲8門、13糎砲16門 起工1932年12月 竣工1936年12月 建造所 ブレスト海軍工廠 } 華府條約締結後始めて生れた新造戰艦として列強注視のものである。この外に35,000噸の最大級戰艦“ジャンバール Jean Bart” “リシユリ Richelieu”(38糎砲8門)の二艦が建造中であることを忘れてはならないが、戰艦ダンケルクの誕生はたしかに歐洲のみならず世界の海軍史に一つの大きな里標を築くものである。むしろ古典的ともいふべき舊戰艦數隻ありとはいへ、佛國は未だ戰艦を持たなかつたといつてよい。世界最初の四聯装砲にしてしかも主砲であり尚且つ思ひ切つた艦首集中の方式である。ネルソンに似てネルソンに非ずミシシピに似てミシシピではない。副砲は四聯砲、要目は嚴重に秘密となつてゐるが、信ずるに足る報導によれば全長213.6米、幅31.0米、平均吃水8.5米、カタパルトは艦尾に二臺あるといふ。同型艦一隻“ストラスブール Strasbourg
  4. ^ フランス語ではNavire de ligne、またはBâtiment de ligneと表記する。
  5. ^ a b 佛國[10](中略)戰艦 建造中の三五,〇〇〇噸級戰艦二隻。即ちリシュリューは一月ブレスト乾船渠より、ジャンバールは十一月サン・ナゼールに於て昨年進水した。前者の船臺には代つてクレマンソー龍骨が据えられた。佛國海軍年鑑「Les Flottes de Combat」に依れば、上記戰艦は主要性能に於てダンケルクの設計を踏襲したものであるが、但し煙突は極めて風變りなもの一箇で、煙路は全く新しい形式で後方に曲り、之に接著せる大檣は幾分獨逸風に倣つてゐる。
     軍艦ストラスブールに關して昨年述べた要目は幾分正確を缺いた點がある。同艦の兵装は三三糎(一三吋)砲八門と一三糎砲十六門の外四七粍砲四門、三七粍高角砲八門、對空機關砲三十二門である。乗組定員は士官六六、兵一,三六五名である。同艦と其の姉妹艦ダンケルクの艦種は公式にはリシュリュー級と同様Bátimenr de ligne(cuirassés)(註ships of line)に編入されてゐることを注意すべきである。
  6. ^ 第四節 佛蘭西/一、造艦政策[24] 佛國は華府會議後、四圍の状勢竝に國策遂行上、全然主力艦の建造を行はない。専ら巡洋艦其の他の輕快艦艇の建造に努めて來たが、獨逸に於てドイッチランド型装甲巡洋艦出現以來、從來の一萬噸巡洋艦では、到底之に對抗することが不可能であることを觀破し、之を凌駕し得べき艦種を建造する必要を痛感するに至り、一九三一年度計畫中に於ては、主力艦(二六,五〇〇噸)一隻の建造を計畫し、之を昨年末起工し、目下建造中である。(以下略)
  7. ^ 航空母艦も、ノルマンディー級戦艦の「ベアルン」を改造したのみ[26]
  8. ^ 建艦計畫(中略) 佛國の補助艦勢力[28] ロンドン條約の制限を受けなかつた佛國は、伊國と共に補助艦の自由なる建艦を行ふことが出來たので、其の勢力は頗る優勢であり、特に驅逐艦、潜水艦の勢力は右の如く強大であつて、箇艦の性能に於ても卓越せるものがある。/ 尚主力艦に於ても、ワシントン條約の許容範圍内に於て新艦建造の餘裕を持つてゐた佛・伊は獨のポケット戰艦出現を動機として、自ら三國に建艦競爭の事態を惹起してゐたのである。/ すなはち佛は獨のドイッチランド級戰艦に對して、ダンケルク、ストラスブール(二六,五〇〇噸)二戰艦を起工し、又伊國のリットリオヴィットリオ・ヴェネトの二艦に對して、同じく三五,〇〇〇噸戰艦リイシュェリウジャンバールの起工となり、更に獨が二六,〇〇〇噸級戰艦シャルンホルストグナイゼナウの二艦、竝に三五,〇〇〇級戰艦(未命名)を起工すると云ふ状況で、これ等が逐次竣工して、無條約時代に於ける新主力艦の先驅をなすに至つたのである。
  9. ^ ドイッチュラント級が建造された時代のドイツ海軍はヴァイマル共和国海軍英語版ドイツ語版であり、ドイツ再軍備宣言後にドイツ国防軍 (Wehrmacht) のKriegsmarineとなった。
  10. ^ ドイツ海軍はポケット戦艦の建造計画を見直し[35]、ダンケルク級に対抗できる性能のシャルンホルスト級戦艦を建造した[36][37]
  11. ^ 佛獨軍備 競爭に現るゝ睨み合の状態 [40]【巴里】フランス外務當局は戰債問題對策に多忙を極めブリアン外相は歐洲平和の爲め努力してゐるが閉會前のフランス議會上院は二日政府案を拒絶し百六十五對百三十一票で海軍擴張決議文を通過した。/決議文は、次議會開會劈頭政府の現海軍建築豫定以外に二万三千噸の一等巡洋艦一隻費用三千万弗を加ゆべきを要求している。/政府の建艦プログラムは 二等巡洋艦二隻、通報艦近海運送船各一隻運送船四隻 を含んでゐて下院を通過したものである。/尚乗員の同決議文討議中に新優秀艦建造目的がドイツの新造艦に對する均衡上のものなる事が示されてゐる 尚獨逸の新一万噸巡洋艦の速力、艦側鋼鐵、搭載砲着彈距離等に對抗するにはフランスでは二万三千噸の軍艦を要すると。(記事おわり)
  12. ^ 二萬六千五百噸の装甲巡洋艦建造 佛國海軍の新優秀艦[45]【巴里二十六日聯合】フランス海相レークは二十六日、二萬六千五百噸の装甲巡洋艦ダンケルクの即時建造を命じた 同艦は三百三十ミリ砲9門、速力卅ノツトの優秀艦である(記事おわり)
  13. ^ 本艦進水後、ブレスト海軍工廠ではリシュリュー級戦艦リシュリューが起工した。
  14. ^ 四、佛蘭西(中略)[46] (ロ)戰艦 建造中又は設計濟の戰艦は四隻を下らず、即ち二六,五〇〇噸のダンケルク(Dunkerque)は進水し、其の姉妹艦ストラスブルグ(Strasbourg)及び三五,〇〇〇噸のフランス(France)は建造中である。而して三五,〇〇〇噸のパトリー(Patrie)も亦ストラスブルグが進水すれば、直ちに其の造船臺に於て起工される筈である。
     ダンケルクは一九三五年十月一日、ブレスト軍港の乾船渠に於て進水した。該船渠の長さは艦の全長六九一呎を容れるに不充分なりしため、同艦をエノン造船所に曳航した後、艦首を増設した。ストラスブルグはダンケルクよりも二年後に起工されたのであるが、一九三八年以前に竣工が豫期せられ、兩艦の竣工期は著しく早められたと言はれてゐる。(以下略)
  15. ^ 第四節、佛蘭西(中略)[47] 二、主力艦 (中略)ダンケルクは一九三六年末に迫り其の公試を完了した。而して其の結果、速力は計畫の二九.五節を超過したと報道されてゐる。素より公試速力は其の時の吃水如何に關係すること大であり、然かも當時の吃水は發表されぬので、専門的の適確なる速力は分らない。同艦は目下大西洋艦隊(Escadre de l'stlantique)として一般に知られてゐる第二戰隊に編入せられた。因みに同艦に關する全要目は昨年版の本年鑑に載せてある。(譯註、前年版の譯書四二頁参照)
  16. ^ (中略)[55] 次は佛伊兩海軍の新主力艦の装備問題てある 此新主力艦は備砲口徑十二吋を越えぬ事になつて居るか「佛蘭西當局か口徑十二吋を最大限として受諾したのは英米兩國か主力艦備砲口徑に關する華府條約の規定を變更するのに同意を與へる事を條件として居るのである」と佛紙は傅へて居る 若し事實とせは本協定に對する佛國の誠意を疑はしむるものてある 然らすんは本協定の成立と共に将来の軍縮會議に於ける此種問題發言の留保とも見らるゝ(以下略)
  17. ^ (イ)主砲ノ選定[57] 新主力艦ノ主砲トシテハ曩ニ海軍高等會議ニ於テ技術會議ノ推進ニ基キ三三〇粍砲採用ノコトニ満場一致議決セル所三國協定當時海軍大臣ハ英國ノ反対ニ遭ヒ何等深ク謀ル所ナク容易ニ 三〇五粍砲 ヲ搭載スルコトニ譲歩シタリトテ部内並ニ議員(前海軍「ジョルジュ・レーグ」其ノ他)間ニ不満ノ聲アリ(本建艦案ニ対スル下院報告者ノ報告中ニモ少クモ三〇五粍出來得レバ三三〇粍以上ヲ希望スト記載シアリ)而シテ新軍令部長ノ意見トシテハ三三〇粍砲ヨリハ寧ロ佛海軍ニ於テ多年ノ経験ヲ有シ且ツ一層有力ナル三四〇粍砲ヲ採用シ度意嚮ナリト。
  18. ^ 戰艦 “ネルソン Nelson[60] 全要目{排水量33,500噸 速力23節 備砲 40糎砲9門 15糎砲12門 10糎高角砲6門 魚雷發射管2門(61糎)起工1922年12月 竣工1927年6月 建造所 アームストロング社} 英國海軍の至寶戰艦としてその名ネルソンとともに英國民の渇仰の的であり、わが陸奥長門と對抗する40糎主砲の大戰艦である。主砲の装備法もその前檣も思ひ切つた進化振りで副砲また双聯砲塔で後部兩舷にある。全長216.90米、幅32.30米、平均喫水9.14米。速力23.0節の軸馬力45,000馬力、魚雷發射管は艦首に配置され、檣楼と上甲板は對空兵装に一分のすきもない。佛伊の新戰艦が多少ともネルソンを模倣したものであることは、注目すべきことである。
  19. ^ La gran Revista Naval de 1937 por la Coronacion de Jorge VI記念観艦式の説明のあるページ。参加艦艇の写真がある。
  20. ^ 1939年9月の開戦時、ドイツ海軍が保有していた戦艦はシャルンホルスト級2隻であったが[66]、まだ訓練を必要としていた[67]ビスマルク級戦艦2隻(ビスマルクティルピッツ)は完成間近だったが[68]、その竣工は1940年に入ってからだった[69]
  21. ^ ブレスト軍港を拠点とするL部隊[71](ダンケルク、ベアルン、軽巡3隻)[72]。ストラスブールは空母ハーミーズなどと共にN部隊を編成、西インド諸島に配置された[71]
  22. ^ フランス海軍も地中海艦隊を増強するため、ゴッドフロイ英語版フランス語版提督が指揮する戦艦ロレーヌや巡洋艦部隊でX部隊英語版フランス語版を編成し、アレクサンドリアに配備した。
  23. ^ H部隊:巡洋戦艦フッド(サマヴィル提督旗艦)、戦艦ヴァリアントレゾリューション、空母アーク・ロイヤル、軽巡アリシューザエンタープライズ、随伴駆逐艦多数など[92]
  24. ^ フランス艦隊に使者として派遣されたのは、アーク・ロイヤル艦長セドリック・ホランド大佐であった。
  25. ^ 英國海軍砲撃損傷の佛國主力艦修繕成る[98](ヴイシー一日同盟)フランス政府當局は一日昨年九月廿三日ダカールにおいて英國海軍のため損傷をうけた新鋭主力艦リシユー號(三万五十トン)は、今回修理を完了し航海可能となつた、また北アフリカのオラン沖において英國海軍の砲撃によつて損傷を受けた主力艦ダンケルク號(二万六千五百トン)も近く修理成つて就役の見込みであると發表した、なほ沈没せる軍艦は主力艦ブルターニユ號(二万二千百八十九トン)巡洋艦ラ・トゥール・ドウーベルニユ號(四千七百七十三トン)驅逐艦六隻、潜水艦十一隻である(記事終わり)
  26. ^ 姉妹艦ストラスブールや僚艦ラ・ガリソニエールは閉塞船となったが、航路を塞ぐ前に空襲で沈没した。

脚注

  1. ^ a b JACAR(アジア歴史資料センター)華府海軍条約関係雑件/軍艦建造通告関係(B-11-1-0-1_3)(外務省外交史料館)3.仏国建造通告之部」 アジア歴史資料センター Ref.B04122571300  p.7(ダンケルク建造通告)
  2. ^ ミリタリー選書(6)世界の戦艦 2005, pp. 178a-181戦艦ダンケルク級(フランス)/走攻守のバランスがとれた高速戦艦
  3. ^ a b 三野、地中海の戦い 1993, pp. 248–255(2)メルス・エル・ケビル港の悲劇
  4. ^ 海軍要覧、昭和8年版 1933, p. 75a佛國新巡洋戰艦ダンケルク
  5. ^ #列国海軍造艦術現状 pp.6-8
  6. ^ ブラッセー海軍年鑑 1940, p. 13原本10頁
  7. ^ 海軍読本 1937, p. 54(原本87頁)佛國戰艦ダンケルク 排水量26,500噸、速力30.0節、主砲33糎8門、起工1932年12月(ダンケルク右舷写真)
  8. ^ ジョーダン、戦艦 1988, pp. 22a-23フランス/ダンケルク級
  9. ^ a b c ポケット海軍年鑑 1937, p. 123(原本228-229頁)戰艦ダンケルク
  10. ^ ブラッセー海軍年鑑 1940, pp. 24–25原本33-34頁
  11. ^ a b c ジョーダン、戦艦 1988, p. 23.
  12. ^ a b c d ビスマルクの最期 1982, pp. 101–103.
  13. ^ a b c ミリタリー選書(6)世界の戦艦 2005, p. 180.
  14. ^ a b 三野、地中海の戦い 1993, pp. 65–67(2)フランスとイギリスの海戦
  15. ^ ペイヤール、潜水艦戦争 1970, p. 122.
  16. ^ ミリタリー選書(6)世界の戦艦 2005, p. 140.
  17. ^ a b 三野、地中海の戦い 1993, p. 250.
  18. ^ 三野、地中海の戦い 1993, p. 66.
  19. ^ ヨーロッパ列強戦史 2004, pp. 194–195.
  20. ^ a b ヨーロッパ列強戦史 2004, pp. 202–204.
  21. ^ 条約本文 - 国立国会図書館デジタルコレクション
  22. ^ 次の軍縮会議と日英米の海軍 1934, p. 94-96(原本157-160頁)イ、「ワシントン」會議
  23. ^ Nichibei Shinbun, 1922.08.27、jan_19220827(スタンフォード大学フーヴァー研究所)」 アジア歴史資料センター Ref.J20010729900 、p.1〔 ●佛國戰艦坐礁沈没(中略)▲沈没戰艦は全損 ケプロン灣にて沈没せる戰艦フランス號乗組員は現状に急行せる巡洋艦パリー號及びストラスブルグ號に依つて救助されたり、行方不明者は十五名なり、フランス號は坐礁して艦體に大破損を受けたる後に顛覆沈没せるが故に引揚の見込みなく多分全損なり(同上) 〕
  24. ^ 海軍要覧、昭和8年版 1933, p. 73.
  25. ^ 海軍及海事要覧、昭和2年版 1927, p. 21第三節 佛國(二)造艦政策
  26. ^ 海軍及海事要覧、昭和2年版 1927, p. 50第四節 航空母艦/佛國
  27. ^ 海軍要覧、昭和8年版 1933, p. 151.
  28. ^ 海軍読本 1937, pp. 158–159295-297頁
  29. ^ 海軍及海事要覧、昭和6年版 1931, pp. 108–111第二節 小海軍國の海軍現状/(一)獨逸
  30. ^ 福井、世界戦艦物語 2009, pp. 215–217条約下であえいだドイツ戦艦
  31. ^ ミリタリー選書(6)世界の戦艦 2005, pp. 152–155装甲艦ドイッチュラント級(ドイツ)
  32. ^ ジョーダン、戦艦 1988, p. 8.
  33. ^ ポープ、ラプラタ沖海戦 1978, p. 366.
  34. ^ 福井、世界戦艦物語 2009, pp. 67–69史上最大の戦艦建造ブーム
  35. ^ 福井、世界戦艦物語 2009, p. 102.
  36. ^ 福井、世界戦艦物語 2009, pp. 219–220.
  37. ^ ミリタリー選書(6)世界の戦艦 2005, pp. 156–159巡洋戦艦シャルンホルスト級(ドイツ)
  38. ^ Shin Sekai 1931.02.14、tnw_19310214(スタンフォード大学フーヴァー研究所)」 アジア歴史資料センター Ref.J21021740400  p.1〔 佛の海軍擴張案 前年度よりも一千萬弗増加 英は佛伊の和解に努む【パリ十二日】〕
  39. ^ 「2 昭和6年7月10日 その1」、仏国内政関係雑纂/予算関係第二巻(A-6-7-0-1_3_002)(外務省外交史料館)」 アジア歴史資料センター Ref.B02032277900  p.1
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  41. ^ #仏国海軍予算(12) pp.6-7〔 甲案 一七,五〇〇噸型 〕
  42. ^ #仏国海軍予算(12) pp.7-8〔 乙案 三五,〇〇〇噸型 〕
  43. ^ #仏国海軍予算(12) pp.8-9〔 丙案 二三,〇〇〇噸 ― 二五,〇〇〇噸型 〕
  44. ^ #仏国海軍予算(12) pp.1-2〔 (ハ)排水量 〕
  45. ^ Hoji Shinbun Digital Collection、Nippu Jiji, 1932.10.27 Edition 02、p.1、2023年5月9日閲覧
  46. ^ ブラッセー海軍年鑑 1936, p. 38原本42頁
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  49. ^ 海軍読本 1937, p. 64(原本106-107頁)現存三大戰艦の防禦力
  50. ^ 海軍読本 1937, p. 55(原本88-89頁)列強の新主力艦(性能一覧表)
  51. ^ 海軍及海事要覧、昭和6年版 1931, pp. 121–124小型主力艦論
  52. ^ 次の軍縮会議と日英米の海軍 1934, p. 100-101(原本168-170頁)二、壽府一般軍縮會議(1932年2月)
  53. ^ 海軍要覧、昭和8年版 1933, pp. 75a, 93–94.
  54. ^ 次の軍縮会議と日英米の海軍 1934, pp. 110–112(原本188-193頁)ハ、英國の態度
  55. ^ #仏伊海軍協定に就て p.13
  56. ^ #仏国海軍予算(12) p.10
  57. ^ #仏国海軍予算(11) p.49
  58. ^ ジョーダン、戦艦 1988, p. 22b.
  59. ^ 福井、世界戦艦物語 2009, pp. 141–144主砲は四連装砲塔を採用
  60. ^ a b ポケット海軍年鑑 1937, p. 69原本120-121ページ(戦艦ネルソン)
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  62. ^ 福井、世界戦艦物語 2009, pp. 114–116画期的だった砲塔集中艦
  63. ^ ポープ、ラプラタ沖海戦 1978, p. 25.
  64. ^ ミリタリー選書(6)世界の戦艦 2005, p. 154.
  65. ^ 酒井、ラプラタ沖海戦 1985, pp. 132–135海上交通破壊戦と海上権力
  66. ^ 撃沈戦記 1988, pp. 269–272ドイツ巡洋戦艦、出撃
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  69. ^ ミリタリー選書(6)世界の戦艦 2005, p. 160.
  70. ^ ポープ、ラプラタ沖海戦 1978, pp. 99–100.
  71. ^ a b ポープ、ラプラタ沖海戦 1978, pp. 102–103.
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  101. ^ ヨーロッパ列強戦史 2004, pp. 199–200.
  102. ^ a b c ヨーロッパ列強戦史 2004, p. 207.


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