トーチ作戦
トーチ作戦
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/04/06 09:04 UTC 版)
「サンガモン (護衛空母)」の記事における「トーチ作戦」の解説
サンガモンはチェサピーク湾とバミューダ諸島近海で調整を行った後、換気装置を改修するため基地に戻った。修理後の10月25日、サンガモンはトーチ作戦で空中援護を提供するため、第34任務部隊に加わって北アフリカに向かった。11月8日に北部支援部隊とともにポールリョーテ沖に到着したサンガモンは、第26混成航空隊 (VC-26) を空中警戒待機 (CAP)、対潜哨戒 (ASP)、および地上作戦支援に活用した。11月中旬、サンガモンは北アフリカを離れてアメリカ本国に向かい、ノーフォークに帰投して修理の後、パナマ運河を経由して太平洋方面に移動した。
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トーチ作戦
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/05/16 17:13 UTC 版)
「ウィチタ (重巡洋艦)」の記事における「トーチ作戦」の解説
「トーチ作戦」も参照 10月5日、ウィチタはカスコ湾に向かい、6日に到着した。同地で10月下旬まで第34.1任務群と訓練を行った後、ボストンで弾薬を搭載してカスコ湾に戻ってきた。ウィチタはオーガスタ(USS Augusta, CA-31)に座乗する第34任務部隊司令官ヘンリー・ケント・ヒューイット(英語版)少将の指揮下、戦艦マサチューセッツ(USS Massachusetts, BB-59)、タスカルーサ、第8巡洋戦隊および第8、第11駆逐艦群とともにトーチ作戦に参加し、北アフリカ戦線に向かった。 11月8日5時40分、ウィチタは総員配置を令しカサブランカ周辺の海岸砲台と港内のヴィシー政権海軍艦艇を監視する任務に入った。ヴィシー政権側があいまいな態度を取ったため敵対行為とみなされ、戦闘状態に入った。これに対しヴィシー政権軍は反撃に出てきた。6時23分、ウィチタは観測機を飛ばして砲撃を開始した。この観測機をヴィシー政権側のD.520とP-36が攻撃し、1機を撃墜してもう1機は不時着水し、パイロットは僚艦に救助された。7時4分に至り、カサブランカ港内に未完成の状態ながら兵装があったヴィシー政権の戦艦ジャン・バールが砲撃を開始。これに対しマサチューセッツはすぐさま反撃し、タスカルーサもこれに呼応して砲撃を開始した。 7時6分、ウィチタはエル・ハンクにある砲台に対して艦砲射撃を開始し、反撃してきたヴィシー政権機を撃墜。次いでカサブランカ港内のヴィシー政権側の潜水艦と、新たな海岸砲台に対して砲撃を行った。8時35分にいったん砲撃が中止されたが、9時19分に再開。港内にいたヴィシー海軍軽巡洋艦プリモゲと駆逐艦に対し砲撃を行った。11時28分にウィチタはエル・ハンク砲台の19.4ミリ砲の反撃によりボート甲板に被弾し損傷。14名の乗組員が負傷し火災が発生したが、火災はすぐさま消し止められた。ウィチタは潜水艦の雷撃も受けたが、2本の魚雷を回避した。その後もカサブランカ港内のプリモゲおよびその他の船舶に対して、15時5分まで砲撃を加えた。その夜は夜襲を避けるため洋上に出たウィチタは、カサブランカ沖を哨戒した後、作戦終了に伴って11月12日にハンプトン・ローズに針路を向けた。途中ニューヨークに寄港し、11月19日に到着。その後、ウィチタは太平洋戦線に投入されることとなった。
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