トーチ作戦とダルランの降伏とは? わかりやすく解説

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トーチ作戦とダルランの降伏

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/27 01:53 UTC 版)

トゥーロン港自沈」の記事における「トーチ作戦とダルランの降伏」の解説

1940年43年 北アフリカ戦い) (1942年11月8日 トーチ作戦)も参照 1942年11月8日北アフリカカサブランカアルジェオラン連合国軍上陸したオランカサブランカでは在地フランス軍との間に戦闘発生したが、アルジェにたまたまフランス軍総司令官兼海大臣にしてペタン後継候補目されるダルラン提督居合わせたこともあって、10日までに現地での停戦協定発効した。ところが事態それだけに留まらなかった。ダルラン提督北アフリカフランス軍連合国軍に加わることに同意しトゥーロンのド・ラボルド大将向けて命令発したのである。 「直ちに全艦隊率いて北アフリカ英・米占領の港へ急行せよ。途中英国艦隊一部フランス艦隊護衛する予定である。至急出港せよ」 しかし、艦隊は従わなかった。この状況では相手ドイツではないだけで、敵の軍門に降ることに変わりはなかった。加えて艦隊ドイツから妨害工作として燃料人員充足率低く抑えられていたので、脱出難しくなっていた。どちらの「敵」にも軍艦渡さないために取れ方策は、限られていた。 一方ヒトラー北アフリカフランス軍降伏の報を受け、アントン作戦発動命令した作戦11日開始され、ブラスコヴィッツ上級大将指揮下のドイツ第一軍(第7戦車師団、第327歩兵師団)が大西洋沿岸スペイン国境まで南下同時にフェルバー大将指揮下の軍支隊"フェルバー"(第10戦車師団、第161歩兵連隊)はヴィシー急襲した。またイタリア第四軍11日コート・ダジュールを、13日にはコルシカ島占領した。しかし、この時点でなおドイツイタリア両軍にはフランス艦隊脱出阻止する用意ができていなかった。このため現地ドイツ軍には艦隊刺激しないよう、マルセイユトゥーロンへの進軍控え命令出されていた。

※この「トーチ作戦とダルランの降伏」の解説は、「トゥーロン港自沈」の解説の一部です。
「トーチ作戦とダルランの降伏」を含む「トゥーロン港自沈」の記事については、「トゥーロン港自沈」の概要を参照ください。

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