メルセルケビール海戦とは? わかりやすく解説

メルセルケビール海戦

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/06/22 09:27 UTC 版)

メルセルケビール海戦[5](メルセルケビールかいせん、Attack on Mers-el-Kébir)は[6]第二次世界大戦でのイギリス海軍フランス海軍との間の海戦[7]地中海攻防戦[注釈 4]北アフリカ仏領アルジェリアの主要港オランメルス・エル・ケビール)に停泊していたヴィシー陣営海軍艦艇に対し、1940年7月3日にイギリス海軍のH部隊艦砲射撃を加えて甚大な被害を与えた[9]カタパルト作戦フランス語版の一局面であり[10]英仏関係の悪化につながった[8]


  1. ^ イギリスなど、一部の史家や資料ではダンケルク級戦艦を「巡洋戦艦」と評する[2][3]
  2. ^ スクア2機、ソードフィッシュ3機。
  3. ^ ダンケルクは7月5日に空母アーク・ロイヤルのソードフィッシュに攻撃されて大破、着底した[4]レバー作戦)。
  4. ^ メル・エル・ケビル事件とも[8]
  5. ^ パリ無防備都市宣言をおこない、フランス政府は6月10日をもってパリからトゥールに移転した[19]。6月14日、フランス政府はトゥールからボルドーに移転した[20]
  6. ^ 7月1日、フランス政府はヴィシーに移動した[24]
  7. ^ 未完成のリシュリュー級戦艦[30]、1番艦リシュリュー (Richelieu) が仏領西アフリカダカール[31]、2番艦ジャン・バール (Jean Bart) が仏保護領モロッコカサブランカに避難していた[32][33]
  8. ^ 5月10日、ネヴィル・チェンバレン首相が辞任してチェンバレン戦時内閣が崩壊[15]、チャーチル海軍大臣が首相に任命されて挙国一致内閣が樹立した[35][36]
  9. ^ ルーズベルト大統領はカナダ首相のウィリアム・ライアン・マッケンジー・キングと連絡をとり、イギリス海軍のカナダ移転について相談している[37]
  10. ^ 第一二、佛海軍歸属を繞る爭奪戰[39] フランス艦隊の一部には新政府の命を奉じて本國に歸るべしとなすもの、反對に他方には仇敵ドイツに兜を脱ぐやうな政府は承認し得ない。飽までもイギリス艦隊と共に行動を續けてドイツを屈服せしむべきだとの強硬態度を執るものと二つに分裂するに至つた。
     以上のやうに艦隊内部が混亂を來し、議論が二分したのは敗戰といふ打撃が餘りにも大きかつたから已むを得ぬ事であらう。軍隊は指揮系統が一本になつて居てこそ強大な威力を發揮し得るであるが、事こゝに至つては烏合の衆に近くなり、實力の十分の一も發揮することは不可能となる。
     たゞこゝに問題となる事は獨英何れの側から考へてもこれが敵方に完全に接収された場合には、舊に倍した威力を發揮することが豫想される事だ。海軍力に劣るドイツは是が非でもフランス艦隊を無疵のまゝ手に入れたい。少くともイギリスの手に渡したくないのはあたりまへの事である。将棋でいふなら大駒を敵に渡すやうなものだ。飛車がないところへもう一つ角を渡せば敵は飛車角四枚を持つことになり、名人上手でも指し難くなる。
     イギリスとても思ひは同じでドイツへフランス艦隊を委ねてしまへば、鬼に金棒の強さになる事は明かであるから、ドイツに渡す位ならむしろフランス艦隊を潰してしまふ方が賢明の策だ、背に腹はかへられない。こゝにおいて昨日までは味方同士だつたフランス艦隊に對し、矛をさかさまにする非友誼、非人情を敢てしたのはオラン沖及びダカールにおけるイギリス艦隊のフランス艦隊に對する攻撃である。
  11. ^ 第一三、佛艦隊英の手中に落つ[49] 獨佛停戰協定成立の直後七月三日午前主力艦三隻、航空母艦一隻、驅逐艦三隻其他よりなるイギリス艦隊は北阿アルゼリア領のオラン港に停泊中のダンケルク、ストラスブール兩主力艦以下のフランス艦隊に對して降伏又は自沈を勸告した。回答の期間は六時間であつたが、之に先立ちイギリス側は港口に磁氣機雷を敷設し、逃亡を阻止して置いた。拒絶の回答に接したイギリス艦隊は午後五時四十分直ちに砲撃を開始した。チャーチル英首相は四日の下院で「ドイツの手に渡ることを阻止する強硬手段である」と言明してゐる。ドイツ側の宣傳では回答期限を待たずに發砲したと報じその非を難詰してゐる。
     フランス艦隊は港内の足場の惡いところに碇泊してゐた上、イギリスの砲戰開始當時は汽罐の火を落してゐたので、應戰の遑のない中に大打撃を蒙つてしまつたのである。闇打的攻撃の犠牲となつたものは主力艦三隻、航空母艦一隻、驅逐艦二隻、その他數隻である。
     ヴイシー政府はイギリスの不法行爲を知るや否やアレキサンドリア軍港にあつて英艦との共同作戰に從事中だつた主力艦一隻、巡洋艦四隻、八吋砲装備艦三隻外小艦艇數隻に對し「即時アレキサンドリアを脱出して公海に出でよ、場合によつては砲撃しても差支なし」」との命令を發したが、優力なイギリス艦隊に立向ふを得ず、拿捕のうへ武装を解除されてしまつた。ダカール港には就役後間もない新鋭の主力艦リシュリュー號が碇泊してゐたが、七月八日英艦並に飛行機の魚雷攻撃を受け大破し艦尾を沈下してしまつた。カサブランカ港でも未完成の主力艦二隻が捕拿された。その他本國にあつて接収されたものは主力艦二隻、輕巡洋艦二隻、潜水艦、驅逐艦等多數に上つた。
     右のやうにフランスの主力艦は八隻の中或は撃沈され、或は武装解除され、或は接収されて滿足に殘つてゐるのは僅かにストラスブール一隻といふ惨めな有様である。
     今までの同盟國からかういふ惨酷な仕打を受けてはフランスとても黙してはゐられない。對英宣戰布告の説さへ出た程であつたが完全にフランスがイギリスを敵に廻し、ドイツと共にヨーロッパの新秩序を建設するに決したのはドイツ外交の成果が現れた極く最近の事である。今後フランスはアフリカ西岸の諸基地を提供し、殘つた海軍力もドイツと協力する事にならうが、早く手を打つてフランス艦隊を潰滅せしめたチャーチル首相は海上の勝利を得たが、フランスを完全にドイツに委ねた點に於て必ずしも上乗の策とは云へまい。さるにてもドイツにとつてフランス艦隊の喪失は惜みても餘りある事に相違ない。
  12. ^ イギリス地中海艦隊はマルタを母港としていたが、第二次世界大戦前にアレクサンドリアへ根拠地を変更した[55]
  13. ^ イタリア王国が第二次世界大戦前から建造していたリットリオ級戦艦は、1940年中盤に就役した[57]
  14. ^ イギリス本土上陸作戦の前哨戦としてバトル・オブ・ブリテンが始まろうとしていたが[58]、これはドイツ空軍 (Luftwaffe) とイギリス空軍 (Royal Air Force) が主役であった。
  15. ^ 1940年6月下旬の時点ではイラストリアス級航空母艦の配備が間に合わず、アークロイヤル以外のイギリス残存空母は4隻(改造空母フューリアス、改造空母イーグル、軽空母ハーミーズ、軽空母アーガス)に過ぎなかった[59]
  16. ^ 駆逐艦フォークナー (HMS Faulknor, H62) 、フォックスハウンド (HMS Foxhound, H69) 、フィアレス (HMS Fearless, H67) 、フォレスター (HMS Forester, H74) 、フォアサイト (HMS Foresight, H68) 、エスコート (HMS Escort, H66) 、ケッペル (HMS Keppel, D84) 、アクティヴ (HMS Active, H14) 、ウェスタ― (HMS Wrestler, D35) 、ヴィデット (HMS Vidette, D48) 、ヴォアティガーン (HMS Vortigern, D37) 。
  17. ^ モガドール級大型駆逐艦2隻(モガドールヴォルタ)、ル・ファンタスク級大型駆逐艦1隻(ル・テリブル)、ヴォークラン級大型駆逐艦ケルサン英語版フランス語版シャカル級大型駆逐艦リンクスティーガー)。
  18. ^ ホランド大佐は、フランス駐在武官の経験を持つ[70]
  19. ^ 戦闘機輸送任務中だった空母ベアルンや練習巡洋艦ジャンヌ・ダルクマルティニークに退避した。
  20. ^ ダンケルク級戦艦の主砲は、艦尾側に死角がある。
  21. ^ 『撃沈戦記』(1988年)308頁では「ブルターニュ沈没時に、ル・パパーン艦長と第2戦隊司令官ボーザン少将が艦と運命を共にした。」と記述する[74]。実際は、ルイーズ・ルネ・エドモン・ル・パパーン大佐はブルターニュ沈没から生還し、1962年3月8日に死去した。第2戦隊司令官ジェームズ・フェリックス・エマニュエル・ボーザン少将はプロヴァンスを旗艦としており、1977年2月13日に死去した。
  22. ^ ほかにカーチスH.75P-36のフランス輸出仕様)が、スクア2機を撃墜したという。
  23. ^ ブルターニュは爆沈し、ダンケルクは15インチ砲による艦砲射撃とレバー作戦で大破着底、プロヴァンスも着底した[68]
  24. ^ 1940年アメリカ合衆国大統領選挙を経て11月5日にルーズベルトが合衆国大統領に再選され、チャーチルは安堵した[80]

脚注

  1. ^ ナチ占領下のフランス 1994, pp. 47a-48イギリス嫌い
  2. ^ a b c ビスマルクの最期 1982, pp. 103–104.
  3. ^ a b c d e f g h ビーヴァ―、第二次世界大戦(上) 2015, p. 255.
  4. ^ ジョーダン、戦艦 1988, p. 22-23フランス/ダンケルク級
  5. ^ 福田誠、光栄出版部 編集『第二次大戦海戦事典 W.W.II SEA BATTLE FILE 1939~45』、光栄、1998年、ISBN 4-87719-606-4、252ページ
  6. ^ a b c d e ビーヴァ―、第二次世界大戦(上) 2015, p. 253.
  7. ^ a b 三野、地中海の戦い 1993, pp. 65–67フランスとイギリスの海戦
  8. ^ a b c ナチ占領下のフランス 1994, pp. 47b-48.
  9. ^ a b 三野、地中海の戦い 1993, pp. 248–255メルス・エル・ケビル港の悲劇
  10. ^ 撃沈戦記 1988, pp. 302–304「カタパルト」作戦
  11. ^ ナチ占領下のフランス 1994, p. 63ドイツ軍の電撃戦、フランス進攻(1940年5月~6月)
  12. ^ キーガン、チャーチル 2015, p. 147.
  13. ^ 三野、地中海の戦い 1993, pp. 18–25(1)参戦前の状況
  14. ^ ビーヴァ―、第二次世界大戦(上) 2015, p. 223.
  15. ^ a b ナチ占領下のフランス 1994, pp. 56–57.
  16. ^ 撃沈戦記 1988, pp. 301–302フランスの降伏
  17. ^ ヨーロッパ列強戦史 2004, pp. 55–56.
  18. ^ 三野、地中海の戦い 1993, p. 90第一期/一九四〇年三月~十二月の年表
  19. ^ ナチ占領下のフランス 1994, pp. 59a-60パリ陥落す
  20. ^ ナチ占領下のフランス 1994, pp. 59b-60.
  21. ^ ナチ占領下のフランス 1994, pp. 60–62フランス降伏
  22. ^ ナチ占領下のフランス 1994, pp. 77–78国土の三分の二が占領された
  23. ^ キーガン、チャーチル 2015, p. 148.
  24. ^ a b ナチ占領下のフランス 1994, p. 61.
  25. ^ a b ヨーロッパ列強戦史 2004, p. 71.
  26. ^ 三野、地中海の戦い 1993, pp. 60–64フランスとの戦争
  27. ^ a b 歴史群像、図説ドイツ海軍全史 2006, p. 77フランス海軍の悲劇
  28. ^ ビーヴァ―、第二次世界大戦(上) 2015, p. 250.
  29. ^ 列強の臨戦態勢 1941, pp. 116–117原本209-211頁(第一一、敗戰フランスの海軍力)
  30. ^ 世界の戦艦、大艦巨砲編 1998, p. 146.
  31. ^ ヨーロッパ列強戦史 2004, p. 73.
  32. ^ 海戦、連合軍対ヒトラー 1971, p. 65.
  33. ^ ジョーダン、戦艦 1988, pp. 24–29フランス/リシュリュー級
  34. ^ ビーヴァ―、第二次世界大戦(上) 2015, pp. 245–246.
  35. ^ キーガン、チャーチル 2015, pp. 142–143.
  36. ^ ビーヴァ―、第二次世界大戦(上) 2015, p. 176.
  37. ^ a b c d ビーヴァ―、第二次世界大戦(上) 2015, pp. 194–196.
  38. ^ ペイヤール、潜水艦戦争 1970, pp. 122a-126ダカール事件 一九四〇年九月二三日~二五日
  39. ^ 列強の臨戦態勢 1941, pp. 117–118原本211-214頁(第一二、佛海軍歸属を繞る爭奪戰)
  40. ^ 壮烈!ドイツ艦隊 1985, pp. 80–85武装商船の活躍
  41. ^ ヨーロッパ列強戦史 2004, pp. 100–101.
  42. ^ a b ビーヴァ―、第二次世界大戦(上) 2015, p. 252.
  43. ^ 木俣滋郎『欧州海戦記 ヨーロッパ列強 海の主役22隻の航跡』光人社、2000年、ISBN 4-7698-2260-X、140ページ
  44. ^ 世界の戦艦、大艦巨砲編 1998, p. 142a戦艦「クールベ」COURBET
  45. ^ ヨーロッパ列強戦史 2004, pp. 65–67.
  46. ^ ジョーダン、戦艦 1988, pp. 20a-21フランス/プロヴァンス級
  47. ^ 世界の戦艦、大艦巨砲編 1998, p. 142b戦艦「ブルターニュ」BRETAGNE/まったく違う戦歴をたどった3隻の姉妹艦
  48. ^ 世界の戦艦、大艦巨砲編 1998, p. 143a戦艦「ダンケルク」DUNKERQUE/自らの手により新鋭戦艦を葬ったツーロンの悲劇
  49. ^ 列強の臨戦態勢 1941, pp. 118–119原本213-215頁(第一三、佛艦隊英の手中に落つ)
  50. ^ a b c ビスマルクの最期 1982, pp. 272–273.
  51. ^ 壮烈!ドイツ艦隊 1985, pp. 76–79ノルウェイ作戦おわる
  52. ^ 海戦、連合軍対ヒトラー 1971, p. 60.
  53. ^ 歴史群像、図説ドイツ海軍全史 2006, pp. 80–81ノルウェー攻略という賭け
  54. ^ ビーヴァ―、第二次世界大戦(上) 2015, p. 292.
  55. ^ 海戦、連合軍対ヒトラー 1971, p. 150.
  56. ^ a b c d 海戦、連合軍対ヒトラー 1971, p. 153.
  57. ^ ジョーダン、戦艦 1988, pp. 86–89イタリア/リットリオ級
  58. ^ 歴史群像、図説ドイツ海軍全史 2006, p. 82英本土上陸作戦
  59. ^ マッキンタイヤー、空母 1985, p. 57.
  60. ^ 世界の戦艦、大艦巨砲編 1998, p. 118巡洋戦艦「フッド」HOOD
  61. ^ ジョーダン、戦艦 1988, p. 63.
  62. ^ ジョーダン、戦艦 1988, p. 53.
  63. ^ ジョーダン、戦艦 1988, p. 49.
  64. ^ 世界の戦艦、大艦巨砲編 1998, p. 107戦艦「レゾリューション」RESOLUTION/フランスの対英感情を急激に悪化させた残存仏艦隊への攻撃
  65. ^ 撃沈戦記 1988, p. 304.
  66. ^ a b 撃沈戦記 1988, p. 303.
  67. ^ a b c ジョーダン、戦艦 1988, p. 23.
  68. ^ a b c ジョーダン、戦艦 1988, p. 21b.
  69. ^ 三野、地中海の戦い 1993, p. 249.
  70. ^ 撃沈戦記 1988, p. 304b.
  71. ^ 撃沈戦記 1988, pp. 304a-306五つの選択
  72. ^ ビーヴァ―、第二次世界大戦(上) 2015, p. 254.
  73. ^ a b c d 撃沈戦記 1988, p. 307.
  74. ^ a b c 撃沈戦記 1988, p. 308.
  75. ^ 撃沈戦記 1988, p. 309.
  76. ^ 世界の戦艦、大艦巨砲編 1998, p. 143b.
  77. ^ a b c マッキンタイヤー、空母 1985, p. 58.
  78. ^ キーガン、チャーチル 2015, p. 149.
  79. ^ a b ビーヴァ―、第二次世界大戦(上) 2015, p. 256.
  80. ^ ビーヴァ―、第二次世界大戦(上) 2015, p. 365.
  81. ^ ビーヴァ―、第二次世界大戦(上) 2015, p. 257.
  82. ^ ビーヴァ―、第二次世界大戦(上) 2015, pp. 259–260.
  83. ^ -W・チャーチル『第二次世界大戦』佐藤亮一訳(河出書房新社、一九七二年)、上巻、三二五頁。


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メルセルケビール海戦

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ル・テリブル (大型駆逐艦)」の記事における「メルセルケビール海戦」の解説

フランス降伏後の1940年7月3日ル・テリブルイギリス海軍フランス海軍艦艇無力化しようとしたメルセルケビール海戦に遭遇したル・テリブルは他の駆逐艦大型駆逐艦とともに H部隊大型艦雷撃しようと試みたうまくいかず、戦艦ストラスブール脱出護衛するように命じられた。脱出部隊イギリス海軍空母アーク・ロイヤルから発進した艦載機追撃を受け、ル・テリブルは3名の負傷者出した最終的に追撃逃れることに成功し7月4日一行トゥーロン到着したル・テリブル入渠中だったため、1940年9月ダカール沖海戦遭遇せずに済んだ。この戦いで第10駆逐隊僚艦であったローダシューがオーストラリア海軍重巡洋艦オーストラリア砲撃擱座している。 1941年ル・テリブルダカールで再び第10駆逐隊加わった

※この「メルセルケビール海戦」の解説は、「ル・テリブル (大型駆逐艦)」の解説の一部です。
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