ダカールでの戦闘
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/07 08:05 UTC 版)
「リシュリュー (戦艦)」の記事における「ダカールでの戦闘」の解説
ヴィシー政権が樹立され、フランス艦隊が枢軸側に編入されることを恐れたイギリス海軍は、1940年7月3日にアルジェリアのメルセルケビールに停泊するフランス艦隊に攻撃を行った(メルセルケビール海戦)。そして、7月7日にはダカールにもイギリス艦が現れて最後通牒を突きつけ、フランス側が応じないと攻撃を決定した。7月8日、リシュリューは航空母艦「ハーミーズ」から発艦したソードフィッシュ隊による雷撃を受け、発射された6本の魚雷の内1本が命中した。それによって右舷のスクリューが破損、艦尾部の浸水により「リシュリュー」は着底した。しかしながら数日後に排水し浮揚され、応急修理が成された。この艦尾への被害は、港湾部のような場所での魚雷炸裂のエネルギーが、外洋では海底や四方に飛散して被害が接触箇所のみになるのとは異なり、港湾部特有の岸壁や水深の浅い海底部に衝撃波が乱反射して船体下部の広範囲に被害を与えるために受けたものであった(同様の現象は「タラント空襲」「真珠湾攻撃」でも起こっている)。 同年9月24日のダカール沖海戦で「リシュリュー」は連合国軍艦隊と交戦した。「リシュリュー」は艦尾の損傷こそあれど、主砲8門は依然として健在でありイギリス戦艦「バーラム」と砲戦を行った。この戦いにより「バーラム」は「リシュリュー」の主砲弾1発を喫水線部に受け中破、更に副砲弾2発を受けた。一方、「リシュリュー」は「バーラム」の15.2cm砲2発の直撃を受けた。「リシュリュー」はこの戦闘中に2番砲塔内部で装填中の38cm主砲弾が薬室内で爆発し、2番主砲塔の砲4門中2門が使用不能となった。これは誤った装薬量が使用されたためであった。戦闘はフランス駆逐艦「ル・アルディ (Le Hardi)」が煙幕を張ったため、主力艦を損傷したイギリス艦隊は喪失を恐れ一時後退した。 戦闘終了後、「リシュリュー」は応急修理が行われ、作業は1941年4月24日に終了した。「リシュリュー」は3基のタービンで14ノット(26 km/h)の速力で航行できるようになる。戦闘後も主砲は依然として6門が使用可能であったが、弾薬不足のため3門しか使用できなかった。
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