最後通牒とは? わかりやすく解説

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さいご‐つうちょう〔‐ツウテフ〕【最後通×牒】


【最後通牒】(さいごつうちょう)

外交交渉ビジネスにおいて、交渉条件譲歩調整を行う意志がない事を明示する発言文書
条件面などで折り合い付かないまま時間浪費され場合に、交渉打ち切るために通達される

外交上の重大な局面通達される場合事実上宣戦布告として扱われる事も多い。
その場合の最後通牒は「期日までに全面的な合意得られなければ宣戦布告する」旨が明示される

国際法において、開戦条件明示する最後通牒は公式な宣戦布告として扱われる
しかし、現代国際常識において、最後通牒は必ずしも『紳士的』な態度を示すものとはみなされない
明白に理不尽な条件付帯した、宣戦布告のみを目的としているとしか思えない最後通牒の例もある。
そうした行為国連憲章禁止する「武力による威嚇」であると解釈され、現在では十分な法的正当性備えていない。


最後通牒

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/06/18 04:33 UTC 版)

最後通牒(さいごつうちょう)あるいは最後通告(さいごつうこく)(英: ultimatum)(: ultimatum)とは、外交文書の一つで、国際交渉において最終的な要求を文書で提示することで交渉の終わりを示唆し、それを相手国が受け入れなければ交渉を打ち切る意思を表明することである。




「最後通牒」の続きの解説一覧

最後通牒

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/05/21 07:06 UTC 版)

野望円舞曲」の記事における「最後通牒」の解説

ムスタファ・ケペル大提督率いるボスプラス帝国三個艦隊は、オルヴィエート本星包囲し封鎖作戦実行した商業国家であるオルヴィエートにとって星間貿易とは生命線であり、封鎖長期化国家破綻意味していた。

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最後通牒

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/14 08:12 UTC 版)

明号作戦」の記事における「最後通牒」の解説

大本営からの指示に基づき土橋38軍司令官1945年3月9日21時(現地時間。以下同様)作戦発動決めた日本軍第1期作戦としてフランス軍駐屯地奇襲撃破することを目標とし、各部隊密かに攻撃態勢移行した。最後通牒を仏印側が受諾した場合は「3・3・3」、拒絶した場合は「7・7・7」を、暗号として発動予定時刻5分前までに各部隊打電することとした。 3月9日18時、日本側の松本俊一特命大使が、米の供出に関する協定名目サイゴンのドクー総督訪問供出協定調印後、松本大使は最後通牒を提示して退去通牒内容は、日仏共同防衛精神に基づき連合軍上陸の際には日本軍協力する決意求めるもので、次の2点について21時まで2時間以内返答要求したフランス軍及び武装警察全面的に日本軍指揮下に入れ交通・通信機関日本軍管理下に移す。 仏印全土対し日本の要請全面的かつ忠実に協力すべき旨を布告する検討の後にフランスのドクー総督は、ロバン大佐使者として送り連合軍上陸時には日本軍司令部戦闘指揮一切責任有することは認めるが、2点要求事項には即答できない回答することにした。そして、交渉継続意思がある旨を告げ日本軍挑発行為がない限りフランス軍敵対行動行わないとも申し出た。しかし、使者21時までに日本側に到達できなかった。 この間開戦予定時刻前の2055分頃から、各地日本軍接近気付いたフランス軍との間で戦闘開始歩兵第227連隊独断攻撃開始した土橋軍司令官は、21時を20分以上過ぎて回答が来ないため、正式に7・7・7」の攻撃開始命令発信させた。2125分に使者ロバン大佐日本軍司令部到着したが、日本側は回答内容を最後通牒の拒絶とみなし、作戦続行された。

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最後通牒

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/18 18:42 UTC 版)

文禄・慶長の役」の記事における「最後通牒」の解説

年明け天正20年1592年正月、総21軍(隊) に分けられた約30よりなる征明軍編成始まった2月渡海半島伝って明に攻め込む予定で、4軍までを先発させることまで決まったが、速い展開に焦った小西行長宗義智がまず朝鮮帰服様子確かめるべきだと進言して、計画急遽停止強いられた。これは彼らが朝鮮通信使が来たことだけをもって朝鮮入朝した(帰服した)と嘘をついてことを進めていたことを、秀吉度外視して征服実行移そうとしていたので、不安になったためだった行長は嘘を取り繕うために帰服した朝鮮変心したと新たな嘘で説明し、征明軍に道と城を貸すのを拒否していると言ったようである。朝鮮交渉不首尾に面目を失った行長であるが、責任朝鮮側転嫁し平伏し最後交渉相手従わぬ場合には、自らが先鋒務めることを願い出た1月18日秀吉はそれを許し両名3月末までに様子見極めて復命するように指示。もし朝鮮従わないのならば、4月1日になったら(まず朝鮮から)「御退治あるべし」と出征開始号令出された。これによって征明軍は征朝鮮軍となった秀吉配下将に伝達した文書に「高麗国の御使」として両名派遣されたことは確認できるが、1月から3月末までの間、再び玄派遣した以外は特に行動した様子はなく、行長と義智は朝鮮には赴かなかった。それはすでに無駄であると分かっていたからに他ならない結局仮途入明要求なども平和のためなどではなく欺瞞重ねた結果に過ぎなかった。 2月27日京都秀吉東国勢の到着待っていて家康の手勢が少ないのを怒り不機嫌となったと言うが、これが俗説としても出陣延期続いて人々は不安がっていたようだ秀吉吉日である3月1日出陣の儀をするつもりだったが、眼病患って延期した3月13日、「高麗へ罷(まか)り渡る人数の事」の軍令発表され日本軍先駆衆が9隊に再編成され陣立て新たに示された。ようやく26日早朝秀吉御所参内して後陽成天皇朝鮮出兵上奏して、京を出立したこの間第一軍(隊)は3月12日壱岐から対馬移動し後続渡海開始23日からは第一軍対馬北端豊崎移動して待機していた。 他方、最後通牒の役目担った改め朝鮮国王入朝して服属するか、さもなくば朝鮮が征明軍通過許可するように協力交渉していたが、朝鮮側返事要領を得なかった。すでに期日過ぎた4月7日、玄対馬帰還し朝鮮側拒絶意志伝えた道中緩々厳島神社参拝して毛利氏接待受けていた秀吉大行列名護屋城着陣したのは、すでに戦端切られた後の4月25日であった

※この「最後通牒」の解説は、「文禄・慶長の役」の解説の一部です。
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最後通牒

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/08 16:19 UTC 版)

ズールー戦争」の記事における「最後通牒」の解説

1878年2月トランスヴァールズールー王国との国境問題について報告する委員会ナタール総督ヘンリー・ブルワー(英語版)によって任命された。報告書7月提出され、それはズールー側の主張沿ったのだった。この報告を「一方的ボーアに対して不正である」 と考えたフレア高等弁務官ズールー与えられる土地において、ボーア人退去するならば補償を行うべきこと、またもしも残留するならば保護させるべきことを要求した。セテワヨは英国側の挑発的な態度に気がつき、トランスヴァール及びナタール国境でのズールーによる違法行為認めたフレア支持していたチェルムスフォード中将1878年2月最高司令官となりコサ族との国境紛争勝利していた。チェルムスフォードクリミア戦争インドでの戦歴があったものの、ほとんどが参謀将校としてであり、野戦指揮官経験乏しかったフレアナタール全ての部隊動員した本国政府予想されるズールー攻撃からの防衛方針承認する11月11日チェルムスフォードブルワー総督から7,000人のアフリカ人募集する許可を受け、アフリカから成る補助部隊組織された。 1878年フレア二人ズールー戦士二人ナタール女性駆け落ちして連れ出した些細な国境侵犯口実として、ズールー対し賠償として500頭の牛を要求した。セテワヨは50ポンド当の金を送ったけだった二人測量技師ズールー捕らえられる事件起きフレアより一層賠償要求するがセテワヨは再び拒否したフレア使者送り彼の要求伝えたトランスヴァール英国統治下に入りフレア南アフリカ連邦化するための残る主な障害独立したズールー国家であると確信しており、ゆえにこれを破壊する決意していた。フレアこれから行動本国政府から支持されないことも予期して事件の詳細報告することを遅らせておき、12月11日ズールー代理人対し受け入れ不可能な最後通牒を発して31日までに返答することを求めた。最後通牒には以下の13条件含まれていた。 測量技師を捕えた犯人ナタール裁判所裁判にかけるために引き渡すこと。 上記犯行およびセテワヨが裁判所命令に従わなかった賠償として牛500頭を支払うこと。 測量技師への違法行為賠償として牛100頭を支払うこと。 スワジ族長ンビリナイをトランスヴァール裁判所裁判にかけるため引き渡すこと。 即位時の約束遵守すること。 ズールー軍は解散し男達帰宅すること。 従来ズールー軍制廃止し英国との相談の上別の軍制採用すること。 帰宅した男達結婚できるようにすること。 1877年以前ズールー居住していた全ての宣教師改宗者は彼らが望むならば帰還し、元の住居住まわせること。 宣教師たち説教許され教えを望むズールー族自由に聞けること。 上記条件履行監督する英国代理人滞在許可すること。 宣教師およびヨーロッパ人に関する全ての紛争弁務官同席のもとで王が公に聴取すること。 弁務官同意なしに、ズールーランドからの追放刑行わないこと。 フレアズールーとの紛争引き起こすことを望んでいたと信じられており、そしてその目的達せられた。セテワヨは12月11日要求拒否してこの年終わりまで返答しなかった。@media screen{.mw-parser-output .fix-domain{border-bottom:dashed 1px}}1879年1月11日本国政府からの承認与えられ[要出典]、開戦既定のこととなった

※この「最後通牒」の解説は、「ズールー戦争」の解説の一部です。
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