戦闘終了後
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/01/24 02:48 UTC 版)
チャールズは戦死を免れたが、フランスに辿り着くまでに女装までして捜索の眼をごまかす羽目になった。このときの顛末は政府側のプロパガンダとしてスコットランド・アイルランド各地に伝えられ、かつてボニー・プリンス・チャーリー(愛しのチャールズ王子)とまで慕われたチャールズの人気は地に落ちた。 戦闘終了後カンバーランド公は負傷してその場から動けなくなっていたジャコバイト軍の負傷兵や捕虜たちの斬首を命じた。さらにその後指揮をとったジャコバイトの捜索も苛烈極まりないもので、捕らえられた3470人のジャコバイトの運命は記録によると処刑120人、獄死88人、植民地への流刑936人、「追放」22人。700余名の「その後」について記録はないが、くじ引きで刑死者が決められたなど陰惨な風聞が残っている。これらジャコバイトに対し容赦無い処断を行ったことからカンバーランド公は屠殺者なる二つ名を後世に残すこととなった。 その後もイギリス政府は反乱の再発防止のためとして、キルトとタータンの着用を禁じ、氏族制度の解体を押し進める一方強大な政府軍をハイランドに常駐させた。スコットランド人にとって、これは屈辱的な仕打ちに映った。
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