氏族制度の解体
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/03/21 15:19 UTC 版)
「スコットランドの氏族」の記事における「氏族制度の解体」の解説
ジャコバイトの勢力が広がりつつあるハイランドに対して、スコットランド政府はジャコバイトを盗賊集団と決めつけて距離をおいた。ジャコバイトはその後しばらくスコットランドで広がりを見せたが、1745年ジャコバイト蜂起におけるカロデンの戦い(1746年)で惨敗を喫し、参戦したジャコバイトの氏族長たちはその勢力を大きく削がれ、領地を失い、国外に逃れるものもいた。イングランド政府は再発防止のため禁止法(Act of Proscription)を制定した。この法によってハイランドに軍を常駐させて監視し、武装解除され、軍隊などの例外を除きキルト、タータン、バグパイプ、ハイランド・ゲーム、ゲール語の使用にいたるまで禁止となった。この法は1782年に解かれるが、氏族の影響力は壊滅的打撃を受けた。 その後、氏族長や貴族たちは地主としてイングランドの上流階級とその社会に取り込まれていった。イングランド的であることがよいこととされ、イングランドの慣習を取り入れようと競った。富裕なハイランド人は富と洗練度を求め、それは労働者や農民への収奪につながった。さらにイングランドで牛肉や羊肉の需要が高まると、その価格も上昇し、地代に跳ね返った。地代の高騰は農民たちの生活を直撃し、北アメリカ植民地など海外への移住を決意する者が続出した。氏族制度は、遅れた前近代的な制度という見られ方に変わっていった。
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