戦闘終息と隔日攻撃
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/18 21:17 UTC 版)
9月18日以降にアメリカ軍の船団よりM115 8インチ榴弾砲が金門島の中華民国軍に直接提供されると、9月26日以降、中華民国軍は対岸のアモイの大嶝、二嶝の中国人民解放軍砲兵陣地を攻撃し大きなダメージを与えた。 中国人民解放軍は、10月5日に彭徳懐国防部長が「人道的な見地より金門への砲撃を7日間停止し中華民国軍船舶による補給を許可する」「ただしアメリカがその護衛を行わないことが条件であり、理由はこれは中国の国内問題でありアメリカが関与することは内政干渉であるからである」と一方的に発表、10月13日には再度2週間の攻撃中止を発表、中国人民解放軍による積極的な攻撃とその後の金門島への侵略作戦は転換を余儀なくされた。10月28日に中国人民解放軍は一方的に隔日攻撃の方針を発表し、戦闘は次第に終息化していく。 その後も中国人民解放軍による定期的な砲撃は継続された。しかし、砲撃は毎週月・水・金曜日に限られ、炸薬ではなく宣伝ビラを詰めた砲弾が用いられ、しかも無人の山地を標的としたことからも明らかな様に形だけのものであった。国際社会への戦略的アピールが目的であったが、戦術的にも全く意味はなく、後に金門名物となる金門包丁の材料を無償で提供したに過ぎないものであった。 最終的に中国人民解放軍による砲撃が停止されたのは1979年1月1日の米中国交樹立時である。米中国交樹立の際に徐向前国防部長は『停止砲撃大・小金門等島嶼的声明』を発表し、21年におよぶ砲撃戦はようやく停戦することとなった。
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