戦闘終結後
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/05 23:36 UTC 版)
「ケーニヒスベルクの戦い」の記事における「戦闘終結後」の解説
翌4月10日朝、ラッシュをはじめとしたドイツ軍将校たちがヴァシレフスキーの司令部に到着し、生き残った守備隊員たちは捕虜としてソ連軍に連行された。市街地にはソ連軍が進駐したが、進駐したソ連兵たちは一般住民に対して掠奪や強姦を行った。 ケーニヒスベルクの市街地は、1944年8月の英国空軍による空襲と今回の戦闘によって市街地の80%あまりが破壊され、ケーニヒスベルク城やケーニヒスベルク大聖堂などの歴史的な建造物も破壊された。このうち、ケーニヒスベルク大聖堂はソビエト連邦の崩壊後に再建されたが、ケーニヒスベルク城は再建されず、跡地にはソビエトの家と呼ばれる建物が建っている。 ケーニヒスベルクには終戦後も2万人のドイツ人が残留したが、1947年4月にほぼ全てのドイツ人がドイツ本土のソ連占領区域(のちの東ドイツ地域)に強制送還された。
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