沖縄戦における糸満市米須一帯の状況
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/06/22 02:49 UTC 版)
「魂魄の塔」の記事における「沖縄戦における糸満市米須一帯の状況」の解説
魂魄の塔が建つ糸満市米須一帯は、1945(昭和20)年の沖縄戦において6月以降に戦場となった場所であり、北から進攻して来る米軍に対して多くの日本軍と住民が追い詰められた場所である。碑文にあるように、沖縄戦終盤の6月下旬ごろになると「日本軍も住民も追いつめられて逃げ場を失い、陸、海、空からの攻撃を受けて、敵弾にあたって」犠牲になる者が続いていった。米軍は生き残った住民と日本兵を収容所へ送ったため、おびただしい戦没者の遺体は戦闘終結後もそのまま残された。
※この「沖縄戦における糸満市米須一帯の状況」の解説は、「魂魄の塔」の解説の一部です。
「沖縄戦における糸満市米須一帯の状況」を含む「魂魄の塔」の記事については、「魂魄の塔」の概要を参照ください。
- 沖縄戦における糸満市米須一帯の状況のページへのリンク