沖縄戦と開南中学校の学徒兵
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/25 04:43 UTC 版)
「開南中学校 (旧制)」の記事における「沖縄戦と開南中学校の学徒兵」の解説
沖縄戦では、沖縄県内の全ての中等学校21校に動員がかけられ、女子生徒は15歳から19歳まで、また男子生徒は14歳から19歳までが集められ、上級生は「鉄血勤皇隊」に、下級生は「通信隊」へと編成された。開南中学校も4・5年生は開南鉄血勤皇隊として、2・3年生以下は開南通信隊として、第24師団(山部隊)司令部や第62師団(石部隊)、歩兵第65旅団独立歩兵第23大隊に配属された。また「開南中生に告ぐ」という張り紙により、近くの部隊に随時入隊した学徒も多かったとみられ、その正確な実態を把握するのは難しい。 沖縄県の資料では、明白な名簿や記録が残っていないとのことから、現在も開南中学校の動員された学徒の数および戦死者数は不明と記載されている。これに対して同校の同窓生らは「不明という表現は絶対に受け入れられない」と解明を強く求めてきた。 1970年(昭和45年)頃、同窓会側は沖縄遺族連合会に調査と名簿作成を依頼し、13歳の学徒も戦死していること、沖縄戦当時開南中に在籍し犠牲となった190人を「学徒」として扱ってほしいこと等、主張してきたが、この検証作業はどの公的記録にも反映されていない。 1985年(昭和60年)2月22日、『琉球新報』連載「戦禍を掘る」では、「開南中学から62師団に行った学生は62人。戦死者は50人」と記している。 2019年(令和元年)9月、沖縄戦に動員された学徒の名前や部隊名、住所などを示した厚生労働省の「学徒名簿」が国立公文書館で公開された。厚生労働省が2017年(平成29年)まで保管していたものが国立公文書館に移管されてから2年後に公開されたもので、その中には、これまで動員数や犠牲者数が「不明」とされてきた開南中学校の学徒71人の名前、住所、所属部隊も明記された名簿が含まれていた。犠牲者の中には、やはり13歳で動員され戦死した開南中学徒もいた。沖縄国際大学名誉教授の石原昌家は、この資料は「内容から1955年以降の資料で、当時の厚生省が進めていた学徒隊の復員処理関連の資料ではないか」と推測している。
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