沖縄の学徒隊
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戦前、沖縄には21の旧制中学校があり、沖縄戦では、これらすべての男女中学校から生徒が法的根拠もないまま戦場に動員された。男子生徒は14歳から19歳で、上級生が鉄血勤皇隊に、下級生が通信隊に配属された。中には13歳の学徒もいた。また陸軍中野学校直属の護郷隊に配属された学徒もいた。女子生徒は15歳から19歳で、従軍の看護助手として配属された。
- ^ a b 沖縄県 沖縄戦に動員された21校の学徒隊
- ^ “沖縄戦学徒 新たな名簿/大城教諭入手 厚生省作成か 開南中の記載も | 沖縄タイムス紙面掲載記事”. 沖縄タイムス+プラス. 2020年2月16日閲覧。
- ^ “摩文仁住民にわびる 安里祥徳さん 捕らわれた日(21)<読者と刻む沖縄戦>”. 琉球新報デジタル. 2022年3月17日閲覧。
- ^ “名桜大の初代学長の東江康治さん死去 86歳”. 琉球新報デジタル. 2022年3月17日閲覧。
「学徒隊」の例文・使い方・用例・文例
- この資料館は,ひめゆり学徒隊の悲惨な歴史と彼女たちの平和への願いを伝えるために,初めは1989年に建てられた。
- 第2次世界大戦中の沖縄で,多くの女学生や教師がひめゆり学徒隊に入るよう命じられた。
- 資料館では以前,ひめゆり学徒隊の生存者が,来館者に彼女たちの悲惨な体験と平和への願望について語っていた。
- 看護師の部隊の1つである「ひめゆり学徒隊」は15歳から19歳の女学生222人と教師たちで編成されていた。
- ひめゆり学徒隊は那(な)覇(は)市の南東5キロのところにある南(は)風(え)原(ばる)の陸軍野戦病院に配属された。
- その後,6月18日の夜,学徒隊は突然解散されたのだ。
- 前(まえ)野(の)喜(き)代(よ)さんは「ひめゆり学徒隊」と呼ばれた従軍看護師部隊の一員として陸軍野戦病院に配属された。
- パラリンピックのメダリストやひめゆり学徒隊の生き残った隊員も招かれた。
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