古堅実吉
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/09/14 04:25 UTC 版)
| 
       | 
     
       
       この存命人物の記事には、出典がまったくありません。 (2014年2月)
        | 
    
| 
      古堅 実吉
       
       ふるけん さねよし
        | 
    |
|---|---|
|   
        1961年頃に撮影
        
       | 
    |
| 生年月日 | 1929年7月5日(95歳) | 
| 出生地 | 沖縄県国頭郡国頭村 | 
| 出身校 | 関西大学法学部卒業 | 
| 所属政党 |  (沖縄人民党→) 日本共産党  | 
    
| 称号 | 日本共産党永年党員 | 
| 
       | 
    |
| 選挙区 |  (沖縄県全県区→) 比例九州ブロック(沖縄1区)  | 
    
| 当選回数 | 3回 | 
| 在任期間 | 1990年2月19日 - 2000年6月2日 | 
古堅 実吉(ふるけん さねよし、選挙ポスター等では「フルゲン実吉」と表記、1929年7月5日 - )は、日本の政治家。日本共産党所属の元衆議院議員(3期)。沖縄県国頭村出身。
人物
- 1944年に沖縄師範学校予科に入学、戦争中は「鉄血勤皇隊」を経験した。
 - 琉球大学中退を経て関西大学法学部卒業後、琉球政府下にて中央巡回裁判所書記官、弁護士、立法院議員、沖縄人民党書記長として活躍した。
 - 沖縄返還後、沖縄県議会を経て、1990年の第39回衆議院議員総選挙で沖縄県全県区で初当選した。1993年に同じ選挙区で2期目の当選。1996年には小選挙区比例代表並立制下で、沖縄1区に出馬。県議会の後輩で新進党新人の白保台一に敗れ、比例復活で3期目の当選となった。2000年第42回衆議院議員総選挙には出馬せず、政界を引退した。
 - 引退後、2002年1月から2002年4月まで「命(ぬち)かじり-回顧録-」で琉球新報に連載し、同年8月に琉球新報社にて刊行した。
 - 選択的夫婦別姓制度の導入に賛同。
 - 兄は国頭村議会議員を務めた古堅昇。昇の息子が現那覇市議会議員の古堅茂治[1]。
 
師範学校鉄血勤皇隊
OKINAWA 2015 少年兵の見た戦場 古堅実吉さんの証言(完全版)
著書
- 命かじり―古堅実吉回想録、琉球新報社、2002年
 
脚注
- ^ “古堅茂治プロフィール”. 日本共産党. 2021年7月10日閲覧。
 
関連項目
固有名詞の分類
- 古堅実吉のページへのリンク