吉野高善
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/05/05 20:17 UTC 版)
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吉野 高善(よしの こうぜん、1898年(明治31年)5月15日 - 1965年(昭和40年)11月4日)は、八重山民政府の政治家で、八重山民政府知事を務めた。沖縄県八重山郡竹富町小浜島出身。
経歴
明治31年生まれ。沖縄県立第二中学校を経て台北医学専門学校を卒業する。
その後、昭和2年(1927年)に帰島し、石垣島で医院を開業した。
沖縄戦後は、八重山自治会の副会長に選出され[1]、続いて八重山支庁の衛生部長に就任する。その後、米軍によって八重山民政府の知事に任命される。
1950年の八重山群島知事選挙では、安里積千代候補に敗れた。
脚注
- ^ 大田靜男 『八重山戦後史』 ひるぎ社 、1985年1月15日初版、pp.56 - 58。
関連項目
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