安里積千代とは? わかりやすく解説

安里積千代

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/03/13 05:53 UTC 版)

安里 積千代
あさと つみちよ
安里積千代(1959年頃に撮影)
生年月日 (1903-08-22) 1903年8月22日
出生地 沖縄県島尻郡座間味村
没年月日 (1986-09-30) 1986年9月30日(83歳没)
出身校 日本大学法学部
所属政党沖縄社会大衆党→)
民社党
称号 従四位
勲二等瑞宝章
勲三等旭日中綬章

第6代 琉球政府立法院議長
在任期間 1958年4月7日 - 1960年11月30日

在任期間 1950年11月7日 - 1952年3月2日

選挙区 沖縄県全県区
当選回数 2
在任期間 1970年 - 1976年5月18日
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安里 積千代(あさと つみちよ、1903年8月22日 - 1986年9月30日)は、八重山群島政府及び琉球政府政治家衆議院議員(2期)。

経歴

沖縄県島尻郡座間味村生まれ。昭和3年(1928年)に日本大学法学部を卒業し、3年後に台湾へ渡る。台南で弁護士を務める。昭和10年(1935年)には台南市会議員に当選した。

沖縄戦後に引き揚げて、1950年には八重山群島知事に選出[1]1952年に八重山群島政府は廃止され琉球政府が成立。第1回立法院議員総選挙沖縄社会大衆党公認で出馬し当選、以後6期務める。この間1958年には社大党委員長に選出され、在日米軍軍用地問題や沖縄復帰運動、自治拡大に尽力、1968年の革新政権誕生に貢献する[2]

国政選挙への初出馬は1965年の参院選無所属全国区に出馬し沖縄復帰を訴えたが得票は69,251票に止まり落選した[3]。その後、1970年国政参加選挙に社大党公認で出馬し、衆議院議員に当選する。2期途中で民社党へ移籍し、1976年の沖縄県知事選自由民主党・民社党推薦で出馬。革新系が推し、しかも同じ社大党で自らが委員長の時代に書記長だった平良幸市と戦うが敗れた。1978年秋の叙勲で勲三等旭日中綬章受章[2]

1986年9月30日死去、83歳。死没日をもって勲二等瑞宝章追贈、従四位に叙される[4]

長男の安里政芳は沖縄県議会議員民社党沖縄県連委員長を歴任した他、社会福祉事業にも携わっている。

また、2013年の第23回参議院選挙には、沖縄県選挙区から孫の安里政晃が自由民主党公認で出馬したが、現職の糸数慶子に惜敗している。

脚注

  1. ^ 大田靜男 1985年1月15日初版 『八重山戦後史』p250 ひるぎ社
  2. ^ a b 安里 積千代https://kotobank.jp/word/%E5%AE%89%E9%87%8C%20%E7%A9%8D%E5%8D%83%E4%BB%A3コトバンクより2023年9月11日閲覧 
  3. ^ 『第7回参議院議員選挙一覧(昭和40年7月4日執行)』参議院事務局、1966年7月、p.111
  4. ^ 『官報』第17899号11-12頁 昭和61年10月13日号




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