守屋磨瑳夫とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > 百科事典 > 守屋磨瑳夫の意味・解説 

守屋磨瑳夫

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/03/11 04:07 UTC 版)

守屋 磨瑳夫(もりや まさお、1889年明治22年)3月15日[1] - 1964年昭和39年〉1月[2])は、日本の内務警察官僚民政党系官選沖縄県知事(17代)、青森県知事(35代)。

経歴

熊本県出身。守屋充次郎の長男として生まれる[1][3]第五高等学校を卒業後[4]1913年11月に文官高等試験行政科試験に合格。1914年東京帝国大学法科大学法律学科(独法)を卒業。内務省に入省し静岡県警察部警部となる[3][4]

以後、静岡県理事官兵庫県理事官・工場監督官、大阪府警視警視庁警視、福島県書記官福島県警察部長、社会局書記官・社会局保険部大阪出張所長などを歴任[1][3][5]

1929年7月5日沖縄県知事に就任。県経済の振興に尽力。県政界は政友会系が多数を占めていたが、民政党派の勢力伸長に務めた。しかし、県民を軽視する姿勢が民政党県支部との対立を生み、知事排撃運動をもたらした[1][5]1930年8月26日青森県知事に転任。凶作の復興対策に尽力[6]1931年12月18日、知事を休職[7]1932年1月29日、依願免本官となり退官した[8]

その後、海軍協会常務理事、神戸市助役を務めた[5]

脚注

  1. ^ a b c d 『沖縄大百科事典』下巻、680頁。
  2. ^ 『社会事業夜話』年譜。
  3. ^ a b c 『人事興信録』第9版、モ20頁。
  4. ^ a b 『日本官僚制総合事典:1868 - 2000』205頁。
  5. ^ a b c 『新編日本の歴代知事』1130頁。
  6. ^ 『新編日本の歴代知事』108頁。
  7. ^ 『官報』第1493号、昭和6年12月19日。
  8. ^ 『官報』第1523号、昭和7年1月30日。

参考文献

  • 歴代知事編纂会編『新編日本の歴代知事』歴代知事編纂会、1991年。
  • 秦郁彦編『日本官僚制総合事典:1868 - 2000』東京大学出版会、2001年。
  • 沖縄大百科事典刊行事務局 編『沖縄大百科事典 下巻』沖縄タイムス社、1983年5月30日。NDLJP:12193528 
  • 人事興信所編『人事興信録』第9版、1931年。
  • 小田直蔵『社会事業夜話』兵庫県社会福祉協議会、1964年。



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「守屋磨瑳夫」の関連用語

守屋磨瑳夫のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



守屋磨瑳夫のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの守屋磨瑳夫 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS