ダカン

ユダヤ系の知識階級の家庭に生まれたフランスの作曲家。サント-シャペルの楽長、ニコラ・ベルニエに作曲を学んだ。作品は、クラヴサンのためのものが多いが、ヴァイオリンやフルート、オーボエで演奏することもできる。
ダカンは、オルガニスト、クラヴサン奏者としても活動した。6歳のときに御前演奏をしたとされている。また、その2年後には自作品、弦楽合奏付き大合唱用の《祝福されたる人》を教会で指揮した。12歳で、プティ・サンタントワーヌ教会のオルガニストに就任している。その後、サン-ポール教会、コルドリエを経て、国王付きのオルガニストも務めた。
ダカンには伝記が残っておりその音楽や人柄が讃えられているが、これは息子による著作で、父を過度に賞賛した記述も散見されるため、資料として扱うには注意が必要。とはいえ当時の音楽の風潮に背くことも、教会に集う人を失望させることもない、優秀な音楽家であった。
ダカン
ルイ=クロード・ダカン
(ダカン から転送)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/03/14 06:18 UTC 版)
ナビゲーションに移動 検索に移動ルイ=クロード・ダカン(Louis-Claude Daquin, 1694年7月4日 - 1772年6月15日)はフランスの作曲家。オルガンやクラヴサンの練達の演奏家としても有名であった。洗礼名のひとつ「クロード」は、義理の叔母エリザベト=クロード・ジャケ=ド=ラ=ゲールの名声にちなんでいる。
パリの音楽家・楽器製造家の一族に生まれる。幼少期から神童の名をほしいままにし、6歳でルイ14世のために御前演奏を行なった。12歳のとき、サントシャペル教会のオルガニストの座を提供されるがそれを拒否、プチ・サンタントワーヌ教会オルガニストに就任した。1727年には、ジャン=フィリップ・ラモーを出し抜き、サン・ポール教会オルガニストに就任、それから5年後にはコルドリエ教会オルガニストに就任した。1739年には王宮オルガニストに着任、1755年にはアントワーヌ・カルヴィエールの後を襲って、ノートルダム大聖堂オルガニストの称号を手にした。
現存する作品は、4つのクラヴサン組曲、オルガン及びクラヴサンのためのノエル集、カンタータ、air à boire(酒飲み唄) がある。中でも有名なのが、『かっこう Le Coucou 』と『スイスのノエル Noël Suisse 』である。
外部リンク
- ルイ=クロード・ダカンの楽譜 - 国際楽譜ライブラリープロジェクト。PDFとして無料で入手可能。
ダカン
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夷にある国の宰相。かつての智国とも親交があったことから、五丈軍襲来に際しジャムカに夷に向かうよう進言したが容れられなかった。
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