がく‐ちょう〔‐チヤウ〕【楽長】
楽長
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/12/16 15:47 UTC 版)
楽長(がくちょう)
注釈
- ^ 1873年(明治6年)に海軍武官官等表に掲載したことで正式な官名となり、官等15等のうち楽隊長は十一等として曹長と同等、楽隊次長は十二等として軍曹と同等、楽長は一三等として伍長・鼓長(こちょう[3])と同等、楽師(がくし[1])は十四等として鼓次長(こじちょう[4])と同等とし[5]、1874年(明治7年)に楽隊次長を廃止して鼓長・楽長の官等を十二等として軍曹と同等、鼓次長・楽師の官等を十三等として伍長と同等とし[6]、1876年(明治9年)に楽隊長以下を廃止して楽長を十等とし、楽次長を十一等とし、楽師を十二等とし、楽手を十三等とした[7]。海兵隊は1876年(明治9年)に解隊した[8]。
- ^ 五国対照兵語字書によると楽長は、フランス語: Chef de musique、ドイツ語: Stabshautboist, Musikmeister、英語: Leader of the band、オランダ語: Kapelmeester にあたる[9]。
- ^ 1886年(明治19年)から名称を軍楽師に改め[11]、1920年(大正9年)から名称を海軍軍楽兵曹長に改めた[12]。
- ^ 1885年(明治18年)に少尉相当の軍楽部士官である一等軍楽長と軍楽部准士官の二等軍楽長に改め[15]、1886年(明治19年)に名称を陸軍一等軍楽長と陸軍二等軍楽長に改め[16]、1899年(明治32年)に陸軍一等軍楽長は陸軍楽長に、陸軍二等軍楽長は陸軍楽長補に改めた[17]。
- ^ 1920年(大正9年)から名称を海軍軍楽特務少尉に改めた[12]。
- ^ 1909年(明治42年)に中尉相当の陸軍一等楽長と少尉相当の陸軍二等楽長に改め[20]、1921年(大正10年)に大尉相当の陸軍一等楽長、中尉相当の陸軍二等楽長、少尉相当の陸軍三等楽長に改め[21]、1937年(昭和12年)に陸軍一(二、三)等楽長の名称を陸軍軍楽大(中、少)尉に改めた[22]。
出典
- ^ a b c d e f 国立国会図書館 2007, p. 40.
- ^ 「海軍砲歩兵隊官等并俸給表」国立公文書館、請求番号:太00457100、件名番号:030、太政類典・第二編・明治四年~明治十年・第二百三十四巻・兵制三十三・会計二(第1画像目から第2画像目まで)
- ^ 国立国会図書館 2007, p. 105.
- ^ 国立国会図書館 2007, p. 104.
- ^ 「海軍武官官等表改定」国立公文書館、請求番号:太00431100、件名番号:035、太政類典・第二編・明治四年~明治十年・第二百九巻・兵制八・武官職制八
- ^ 「海軍文官官等表海兵部中楽隊等級改正・二条」国立公文書館、請求番号:太00431100、件名番号:031、太政類典・第二編・明治四年~明治十年・第二百九巻・兵制八・武官職制八
- ^ a b JACAR:A04017113000(第15画像目から第16画像目まで)
- ^ JACAR:A04017113000(第35画像目から第36画像目まで)
- ^ 室岡峻徳、若藤宗則、矢島玄四郎 ほか 編『五国対照兵語字書』 〔本編〕、参謀本部、東京、1881年2月、227頁。NDLJP:842999/122。
- ^ 「陸軍武官表・四条」国立公文書館、請求番号:太00424100、件名番号:015、太政類典・第二編・明治四年~明治十年・第二百二巻・兵制一・武官職制一(第8画像目から第9画像目まで)
- ^ 「従前ノ海軍機関総監中佐中尉及同等官并准士官下士ノ辞令書ヲ下付セサル者官等心得」JACAR(アジア歴史資料センター)Ref.A15111148100、公文類聚・第十編・明治十九年・第十四巻・兵制三・陸海軍官制三(国立公文書館)
- ^ a b 「大正四年勅令第二百十六号海軍武官官階ノ件ヲ改正ス」JACAR(アジア歴史資料センター)Ref.A13100411300、公文類聚・第四十四編・大正九年・第四巻・官職三・官制三(陸軍省・海軍省)(国立公文書館)
- ^ 国立国会図書館 2007, p. 81.
- ^ 「陸軍武官官等表改正・二条」JACAR(アジア歴史資料センター)Ref.A15110464100、公文類聚・第七編・明治十六年・第十五巻・兵制一・兵制総・陸海軍官制一(国立公文書館)(第1画像目から第5画像目まで)
- ^ 「屯田兵大佐以下ヲ置キ軍楽長ノ官等ヲ改メ且屯田兵条例ヲ定ム」JACAR(アジア歴史資料センター)Ref.A15111027700、公文類聚・第九編・明治十八年・第六巻・兵制・兵制総・陸海軍官制・庁衙及兵営・兵器馬匹及艦船・徴兵(国立公文書館)(第1画像目から第2画像目まで、第5画像目から第7画像目まで)
- ^ 「陸軍武官々等表ヲ改正ス」JACAR(アジア歴史資料センター)Ref.A15111135200、公文類聚・第十編・明治十九年・第十二巻・兵制一・兵制総・陸海軍官制一(国立公文書館)
- ^ a b 「陸軍武官官等表〇文武判任官等級表中ヲ改正ス」JACAR(アジア歴史資料センター)Ref.A15113268700、公文類聚・第二十三編・明治三十二年・第十三巻・官職六・官制六・官等俸給及給与一(内閣~陸軍省一)(国立公文書館)
- ^ 「海軍武官官階ヲ改正ス」JACAR(アジア歴史資料センター)Ref.A15113143400、公文類聚・第二十一編・明治三十年・第十三巻・官職七・官制七・官等俸給及給与二(海軍省二~旅費)(国立公文書館)(第1画像目から第3画像目まで、第8画像目から第14画像目まで)
- ^ 「御署名原本・大正四年・勅令第二百十六号・海軍武官官階表改正」JACAR(アジア歴史資料センター)Ref.A03021050200、御署名原本・大正四年・勅令第二百十六号・海軍武官官階表改正(国立公文書館)
- ^ 「陸軍武官官等表中ヲ改正ス」JACAR(アジア歴史資料センター)Ref.A15113715600、公文類聚・第三十三編・明治四十二年・第六巻・官職五・官制五・官等俸給及給与(内閣~庁府県)(国立公文書館)
- ^ 「明治三十五年勅令第十一号陸軍武官官等表中ヲ改正ス」JACAR(アジア歴史資料センター)Ref.A13100492700、公文類聚・第四十五編・大正十年・第十一巻・官職十・官制十(官等俸給給与~貴族院衆議院事務局)・旅費(国立公文書館)
- ^ 「明治三十五年勅令第十一号陸軍武官官等表ノ件ヲ改正シ〇昭和六年勅令第二百七十一号陸軍兵ノ兵科部、兵種及等級表ニ関スル件中ヲ改正ス・(官名改正)」JACAR(アジア歴史資料センター)Ref.A14100567300、公文類聚・第六十一編・昭和十二年・第四十巻・官職三十八・官制三十八・官等俸給及給与附旅費(国立公文書館)(第1画像目から第10画像目まで)
- ^ 阿川弘之『軍艦長門の生涯 上巻』(新潮社)ISBN 978-4101110073
楽長
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/07 14:27 UTC 版)
活動写真館の楽団である「金星音楽団」の楽長。技能の劣る奏者には非常に手厳しい意見を言う。
※この「楽長」の解説は、「セロ弾きのゴーシュ」の解説の一部です。
「楽長」を含む「セロ弾きのゴーシュ」の記事については、「セロ弾きのゴーシュ」の概要を参照ください。
楽長
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/30 22:57 UTC 版)
聖堂での音楽会はカペルマイスター(楽長)の指揮する付属オーケストラ・合唱団が中心となっている。晩年のモーツァルトが副楽長に一時就任したことがあり、楽長はウィーンの音楽界で高い地位にあった。歴代の記録が残っていて、ウィーン古典派時代の楽長とその在任年は次のとおり。その後の楽長については、聖堂楽長(独語) を参照。 ヨハン・ヨーゼフ・フックス 1712-1715 ゲオルク・ロイター(独語) 1715-1738? ゲオルク・ロイター2世 1736?-1772 レオポルト・ホフマン 1772-1793 ヨハン・ゲオルク・アルブレヒツベルガー 1793-1809 以後の楽長のうち、著名な人。 ヨハン・ゲンスバッヒャー(独語) 1823-1844 ゴットフリート・フォン・プレイエル(独語) 1853-1901
※この「楽長」の解説は、「シュテファン大聖堂」の解説の一部です。
「楽長」を含む「シュテファン大聖堂」の記事については、「シュテファン大聖堂」の概要を参照ください。
楽長と同じ種類の言葉
- >> 「楽長」を含む用語の索引
- 楽長のページへのリンク