フランス降伏
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/11 14:20 UTC 版)
「エルヴィン・ロンメル」の記事における「フランス降伏」の解説
ヒトラーは一次大戦におけるドイツの雪辱を果たすため、独仏の休戦交渉の場を、一次大戦でドイツが屈辱的な休戦協定に調印させられた場所であるコンピエーニュの森の列車(この列車はフランスの一次大戦戦勝記念としてパリに飾られていた。ドイツ軍パリ占領後にドイツに鹵獲された)の中とした。6月21日からここで独仏の休戦交渉が開始された。ドイツ側の過酷な要求にフランス側が調印を渋り、その日はまとまらなかったが、翌6月22日にドイツ側から「調印しないならば戦争続行」と脅迫されたため、フランス側はついに要求を受諾して独仏休戦協定を締結した。 しかし休戦協定調印の前後、ロンメルの師団はどんどん南進していた。6月21日にはレンヌを通過し、6月25日にはボルドーを占領した。更に師団の先遣隊はスペイン国境付近まで進んだ。とはいってもこの進軍に戦闘は発生しなかった。単に占領の既成事実化を図るための進軍であった。
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