フランス近代音楽
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ジル=マルシェックスの演奏会の1回目と2回目では、基次郎は日頃から親しんでいたベートーヴェンのソナタ(2回目は第23番『熱情(アパショナータ)』を演奏)には大いに感動するが、その他の〈仏蘭西現代のものにはちつとも感じが起らぬ〉という印象で心細い気がしていた。 しかし3回目ではその美しさに気づかされ、ベートーヴェンのソナタ第17番『テンペスト』、クープランの『子守唄、またはゆりかごの愛』、シューマンの〈美しい小さい詩の組合せのやうな〉『子供の情景』、ショパンの『12の練習曲』などを経て、ドビュッシーの『版画』(「塔(パゴダ)」「グラナダの夕べ」「雨の庭」)を聴いた。 デビュシーの三つの版画になりました。そのおもむきは実にちがつたものでした。バゴードといふのはオリエンタルな匂ひのある、グルナードの夕は少し手のこんだもので雨の庭は比較的淡粗なもので、その三つが実にこれまでに知らなかつた様式の美しさで弾かれました。版画といふ題目に教唆されたのかもしれませんが、ほんたうに画の感じがした、誰か近頃の仏蘭西の画家に比較が出来さうな気がしました — 梶井基次郎「近藤直人宛ての書簡」(大正14年10月26日付) ドビュッシーの次にラヴェルの『夜のガスパール』(「水の精」「絞首台」「スカルボ」)を聴いた基次郎は、馴れるごとに、フランス近代音楽に新しい美しさを感得していき、残りの回の演奏会に期待を寄せた。 それからモーオリス・ラベルはスカルボといふ三つ目の章が面白かつたと思ひました、悪霊めいた奴が笑つたり罵つたりしてたくさんで踊つてゐるやうなおもむきがありました、次のリストがメフィスト・ワルツの表題を持つてゐますが どうした訳かこれの方がうんとメフィスト・ワルツ的でした、――そしてこの人はやはりモダーンな匂ひがありながらデビュシーとは丸でちがふのです。一日目二日目のいいプログラムにも拘らず現代仏蘭西を「気分に堕した音楽」といふ風な反感でしかみられなかつた私はこの三日目にたうとう音楽の分野における「新しいもの」を覗いたことになりました。――あとの三回が大きな期待です、(中略)私はあとの三回が回を重ねる毎に会場にも馴れすべてに馴れて心を純すいにして聴けて段々よくなるやうな気がします。 — 梶井基次郎「近藤直人宛ての書簡」(大正14年10月26日付) ドイツの影響が濃かった日本のクラシック音楽界にとって、ジル=マルシェックスのピアノ演奏会は新しいフランス風のエスプリを日本に吹き込み、ドビュッシーの演目などを浸透させるきっかけとなった。
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