器楽的幻覚
器楽的幻覚
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/07/10 09:07 UTC 版)
『器楽的幻覚』(きがくてきげんかく)は、梶井基次郎の短編小説。名ピアニストの奏でる演奏曲の音と、鍵盤を弾く演奏者の動作との遊離の幻覚体験を綴った作品。聴覚と視覚の分離の錯覚により孤高の幻想状態に導かれ、人間存在の不条理性に思い至る過程が魅惑的な趣で精緻に描かれている[1][2][3][4]。執筆の約2年前に連日聴きに行ったアンリ・ジル=マルシェックス(Henri Gil-Marchex)の来日ピアノ演奏会の体験を題材にした短編で、執筆当時に伊豆湯ヶ島で見た浄瑠璃義太夫の会での体感が創作契機となっている作品である[5][6][2][4]。
注釈
- ^ 『詩と詩論』第2冊には、「櫻の樹の下には」と同時に掲載された[7][8]。
- ^ Christine Kodama(クリスチーヌ・小玉)は、『視線の循環――梶井基次郎の世界』(邦題)という梶井基次郎論と共にいくつかの梶井作品を仏訳し1987年にパリで出版した[10][12]。
- ^ ドイツ語で「夕方」の意。この短編では、「音楽の夕」「ソナタの夕」という意味を表わしている[13]。
- ^ 1回分は、8円、4円、2円と、ボックス席72円(5人詰)。申込・購入先は帝国ホテルのほか、銀座の十字屋楽器店と山野楽器、共益商社、プレイガイド、三田の竹内楽器店であった[17]。
- ^ ジル=マルシェックス公演の事実上の主催者だった薩摩治郎八は、ラヴェルやフランス6人組と親交があり、華麗な豪遊ぶりでヨーロッパ社交界で名を馳せた人物で、多くの人脈と経済力があった[18]。
- ^ この3回目のプログラムでは、ショパンは、『子守歌 作品57』、『12の練習曲 作品25の第3番』、『12の練習曲 作品10の第5番』が演奏された[18]。
- ^ 当時、仙台で公演を聴いたという高橋英夫の母親は、ジル=マルシェックスがレベルの低い田舎の聴衆に対して、かなり偉そうな態度だったと述懐している[19]。
- ^ なお、この時期馬込文士村の方では、基次郎と宇野千代の恋の噂が広まっていたため、尾崎士郎は基次郎の依頼を功利的で厚顔無恥なものと誤解した[28][2]。基次郎にはそんな不倫の噂のことも露知らず、尾崎を裏切っている意識は全くなかった[2]。
- ^ 基次郎は自分が他人より〈優越〉している分野(天職)について思い悩んでいた頃に、音楽や絵画、彫刻などの趣味について以下のように自戒していた[40]。 自分は音楽は好きである、然し音楽の天才でなければ、今から音楽を研究し始める(これは時々自分の起す欲望である)ことは何の益にもならない。さらば自分は将して音楽の天才ぢやないか。多分ないだらう。自分は自惚の強い所もある。これから音楽の研究なんぞを始めるのは自分にとつては凡人的の趣味を養ふに過ぎないことになる。元来趣味などは非凡人になる為には贅沢の沙汰である。「自分は音楽の趣味を持つてゐます」。何たる馬鹿げた、忌まわしい言葉なんだらう、全く町人根性だ。自分の裡の非凡人はかく趣味を捨てよと迫る、 — 梶井基次郎「日記 草稿――第二帖」(大正10年10月)[40]
出典
- ^ a b c d e f g h i j 「第三部 第八章 白日のなかの闇」(柏倉 2010, pp. 313–326)
- ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q 「第三部 第九章 同人誌仲間」(柏倉 2010, pp. 327–341)
- ^ a b 「湯ヶ島の日々」(アルバム梶井 1985, pp. 65–83)
- ^ a b c d e f g h i j 「第四章 湯ヶ島時代」(作家読本 1995, pp. 129–168)
- ^ a b c d e f g h i j k l m n 「第二部 第二章 行き悩む創作」(柏倉 2010, pp. 123–139)
- ^ a b c d e f 「第三章 『青空』の青春」(作家読本 1995, pp. 75–128)
- ^ a b c d e f g 鈴木貞美「梶井基次郎年譜」(別巻 2000, pp. 454–503)
- ^ a b 「第十二章 小さき町にて――王子町四十四番地」(大谷 2002, pp. 259–282)
- ^ 藤本寿彦「書誌」(別巻 2000, pp. 516–552)
- ^ a b ウィリアム・J・タイラー編「外国語翻訳及び研究」(別巻 2000, pp. 640–642)
- ^ Dodd 2014
- ^ 「第三部 第二章 『冬の日』の評価」(柏倉 2010, pp. 245–254)
- ^ 三好行雄「注解――器楽的幻覚」(新潮文庫 2003, pp. 319–320)
- ^ a b c d e f g 「第八章 冬至の落日――飯倉片町にて」(大谷 2002, pp. 162–195)
- ^ a b 「プロローグ 『器楽的幻覚』の侯爵」(村上 2012)
- ^ a b c d e f g h i j k 「近藤直人宛て」(大正14年10月26日付)。新3巻 2000, pp. 128–129に所収
- ^ a b c d 「『青空』と友人たち」(アルバム梶井 1985, pp. 30–64)
- ^ a b c d e f g h i j k 山田 2013
- ^ a b c d e f g h i 「右手と左手」(高橋 2009, pp. 99–122)
- ^ 中谷孝雄・北川冬彦・飯島正・浅野晃「座談会 梶井基次郎――若き日の燃焼」(浪曼 1974年2月号)。別巻 2000, pp. 217–228に所収
- ^ a b c d e 「第五章 青春の光と影――三高前期」(大谷 2002, pp. 74–104)
- ^ 野村吉之助(忽那吉之助)「回想 梶井基次郎」(群女国文 1971年4月号、1972年4月号)。別巻 2000, pp. 162–181に所収
- ^ a b 「雑記・講演会其他」(青空 1926年2月号)。旧2巻 1966, pp. 92–93に所収
- ^ 「第二部 第三章 青春賦」(柏倉 2010, pp. 140–153)
- ^ a b c d e f g h i j 「淀野隆三宛て」(昭和2年11月11日付)。新3巻 2000, pp. 236–239に所収
- ^ a b c 「日記 草稿――第十一帖」(昭和2年)。旧2巻 1966, pp. 410–423に所収
- ^ 「広津和郎宛て」(昭和2年12月22日付)。新3巻 2000, pp. 256–259に所収
- ^ 尾崎士郎「人間論・友情」(あらくれ 1934年10月号)。柏倉 2010, p. 332
- ^ 「中谷孝雄宛て」(昭和2年11月1日付)。新3巻 2000, p. 233に所収
- ^ a b c 「淀野隆三宛て」(昭和2年11月26日付)。新3巻 2000, pp. 242–243に所収
- ^ 梶井謙一・小山榮雅(聞き手)「弟 梶井基次郎――兄謙一氏に聞く」(国文学 解釈と鑑賞 1982年4月号)。別巻 2000, pp. 4–21に所収
- ^ 「第三章 少年、夏の日――鳥羽にて」(大谷 2002, pp. 37–48)
- ^ 奥田房子「基次郎さんのこと」(伊勢新聞 1957年3月21日号)。別巻 2000, pp. 70–71に所収
- ^ 「第七章 天は青空、地は泥濘――本郷と目黒にて」(大谷 2002, pp. 137–161)
- ^ 「小山田嘉一宛て」(大正14年8月14日付)。新3巻 2000, p. 125に所収
- ^ 「畠田敏夫宛て」(大正8年10月6日、11日付)。新3巻 2000, pp. 21–23に所収
- ^ 「畠田敏夫宛て」(大正10年3月3日付)。新3巻 2000, p. 44に所収
- ^ 中谷孝雄「梶井基次郎――京都時代」(知性 1940年11月号)。別巻 2000, pp. 27–46に所収
- ^ 「第六章 狂的の時代――三高後期」(大谷 2002, pp. 105–136)
- ^ a b c 「日記 草稿――第二帖」(大正10年10月・大正13年秋)。旧2巻 1966, pp. 133–152に所収
- ^ 井上良雄「新刊『檸檬』」(詩と散文 1931年6月号)。別巻 2000, pp. 262–266に所収。アルバム梶井 1985, p. 92
- ^ 小林秀雄「文藝時評 梶井基次郎と嘉村礒多」(中央公論 1932年2月号)。別巻 2000, pp. 278–281に部分所収
- ^ 今日出海「檸檬」(『檸檬』誌上出版記念会 作品 1931年7月号)。別巻 2000, pp. 271–272に所収
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