北川冬彦とは? わかりやすく解説

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きたがわ‐ふゆひこ〔きたがは‐〕【北川冬彦】

読み方:きたがわふゆひこ

19001990詩人映画評論家滋賀生まれ本名田畔(たぐろ)忠彦映画評論生計立てかたわら雑誌詩と詩論」の創刊参加詩集「戦争」三半規管喪失」など。


北川冬彦

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/11/20 13:13 UTC 版)

北川 冬彦
(きたがわ ふゆひこ)
1941年4月頃
誕生 田畔 忠彦(たぐろ ただひこ)
1900年6月3日
日本滋賀県大津
死没 (1990-04-12) 1990年4月12日(89歳没)
日本東京都立川市
墓地 多磨霊園
職業 詩人映画評論家
言語 日本語
国籍 日本
最終学歴 第三高等学校(現・京都大学 総合人間学部)文科丙類卒業
東京帝国大学法学部フランス法文学部仏文科卒業
活動期間 1924年 - 1980年
ジャンル 翻訳映画評論小説
主題 ダダイズムシュルレアリスム
文学活動 新興芸術派
代表作 『検温器と花』(1926年)
『戦争』(1929年)
『氾濫』(1948年)
デビュー作 『三半規管喪失』(1925年)
配偶者 仲町貞子(離婚)
ウィキポータル 文学
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北川 冬彦(きたがわ ふゆひこ、1900年明治33年〉6月3日 - 1990年平成2年〉4月12日[1])は、日本詩人映画評論家。『悪夢』(1947年)などの小説作品もある[2]。本名は田畔 忠彦(たぐろ ただひこ)[1]

第1詩集『三半規管喪失』(1925年)を自費出版、詩誌「詩と詩論」を創刊し、新散文詩運動を展開した。戦後は新現実主義を提唱し、現代詩の可能性を追究した。作品に詩集『戦争』(1929年)など。

人物・来歴

滋賀県大津に生まれながら、父親の仕事関係で満州で育ち[3]軍国主義旅順中学で5年間寄宿舎生活を送った[4]

1919年(大正8年)に第三高等学校(現・京都大学 総合人間学部)文科丙類(フランス語必修)に入学。柔道をしていた北川は、1921年(大正10年)秋頃、新京極の「江戸カフェ」にたむろする同志社大学の猛者を追っ払い、それを見ていて感激した梶井基次郎(三高理科甲類)と言葉を交わす[4][5]

1922年(大正11年)に三高を卒業し、東京帝国大学法学部フランス法に入学[6]。詩の創作を始めた北川は、1924年(大正13年)11月、安西冬衛らと詩誌『』を創刊。現代詩、特に新散文詩を発表。1925年(大正14年)1月に詩集『三半規管喪失』を出版し、横光利一から激励の手紙を送られ高評価された[3][6]

1925年(大正14年)3月に仏法を修了した後、改めて文学を勉強するため4月から文学部仏文科に再入学[7]。帝大文芸部の『朱門』の同人となり、池谷信三郎阿部知二古澤安二郎久板栄二郎舟橋聖一と知り合った[8][9]

同年、三高で顔見知りだった梶井基次郎らの同人誌『青空』に掲載された梶井の「檸檬」に感銘を受ける[6]。共通の友人宅で梶井と再会し、同人参加の誘いを受け、その後1926年(大正15年)12月の第22号から同人となった北川は[6][8]、第24号に発表した「軍港を内臓してゐる」(初出では「内蔵」だった)という一行詩「馬」を梶井から激賞された[10]

1928年(昭和3年)、春山行夫西脇順三郎北園克衛らと詩雑誌『詩と詩論』創刊に参加し、1929年(昭和4年)10月刊行の詩集『戦争』で脚光を浴びた[1]。梶井基次郎はこの詩集の書評を『文學』11月号に寄せた[11][12]

北川は詩を発表しながら、飯島正の誘いもあって映画評論を書き続けた[4]伊藤大輔が代表する「韻文映画」に対して、「散文映画」を提唱し、その旗手として伊丹万作を高く評価した。シナリオ文学の独自性をも標榜した。北川が中心となって「シナリオ研究十人会」が結成され、機関誌として『シナリオ研究』が刊行され、萩原朔太郎がそこにシネポエムや『文学としてのシナリオ』なるエッセイを発表した[13]

戦後、詩、映画ともに対してネオリアリズムを標榜し、第2次『時間』を主宰していた[1]。また、戦前からレーゼシナリオに関心を持ち、「レーゼシナリオはまた新形式として文學の野を豊かにするだろう」と述べている[14]

晩年は1963年(昭和38年)から立川市に住まいを構え、現代詩の改革を続けた[3]1980年(昭和55年)には、詩「石」が彫られた「青少年に贈る碑」(縦80センチ、横180センチの詩碑)が立川市市民体育館(泉町786-11)の前庭に建立された[3]

著作

  • 『北方』(蒲田書房、1935年)
  • 『詩人の行方』(第一芸文社、1936年)
  • 『古鏡』(河出書房、1940年) - 小説集
  • 『悪夢―小説』(地平社、1947年)
  • 『詩の話』(宝文館、1949-1951年。のち角川文庫)
  • 『現代詩鑑賞』(有信堂、1970年)

詩集

  • 『三半規管喪失』(至上藝術社、1925年)
  • 『檢温器と花』(ミスマル社、1926年)
  • 『戰爭』(厚生閣書店、1929年)
  • 『氷』(蒲田書房、1933年)
  • 『いやらしい神』(蒲田書房、1936年)
  • 『實驗室』(河出書房、1941年)
  • 『蛇』(爐書房、1947年)
  • 『氾濫 長編叙事詩』(草原書房、1948年)
  • 『夜陰』(天平出版部、1948年)
  • 『花電車』(宝文館、1949年)
  • 『北川冬彦詩集』(宝文館 1951年)
  • 『馬と風景 1947-1952』(時間社、1952年)
  • 『カクテル・パーティ 詩と随筆集』(宝文館、1953年)
  • 『北川冬彦詩集』(角川文庫、1954年)
  • 『現代詩』第1-3(角川新書、1954-1957年)
  • 『しんかん 信管, 振撼, 森閑, 心肝』(時間社、1964年)
  • 『北京郊外にて』(時事通信社、1973年)
  • 『カラー詩と風景』(山と渓谷社、1975年)
  • 『大蕩尽の結果』(未来工房、1977年)
  • 『北川冬彦全詩集』(鶴岡善久編 沖積舎、1988年)
  • 『北川冬彦詩集』(鶴岡善久編 沖積舎、2000年)

映画評論

  • 『純粹映畫記』(第一藝文社、1936年)
  • 『シナリオ文學論』(作品社、1938年)
  • 『散文映畫論』(作品社、1940年)
  • 『現代映畫論』(三笠書房、1941年)
  • 『映画への誘い』(温故堂出版部、1952年)
  • 『シナリオの魅力』(社会思想研究会出版部、1953年。現代教養文庫)

作詞

共編著

  • 『培養土 麺麭詩集』(山雅房、1941年)
  • 『昆侖詩文集』(昆侖社、1941年)
  • 『世界映画の鑑賞』岩崎昶共編(双竜社、1951年)
  • 『新しい世代の詩 その作り方と解説・批評』桜井勝美共著(宝文館、1954年)

翻訳

関連項目

脚注

  1. ^ a b c d 北川冬彦、デジタル版 日本人名大辞典+Plus
  2. ^ 南方徴用作家参考資料
  3. ^ a b c d 北川冬彦、歴史が眠る多磨霊園
  4. ^ a b c 中谷孝雄・北川冬彦・飯島正浅野晃「座談会 梶井基次郎――若き日の燃焼」(浪曼 1974年2月号)。別巻 2000, pp. 217–228に所収
  5. ^ 「第五章 青春の光と影――三高前期」(大谷 2002, pp. 74–104)
  6. ^ a b c d 「第七章 天に青空、地は泥濘――本郷と目黒にて」(大谷 2002, pp. 137–161)
  7. ^ 「第二部 第一章 大学生活」(柏倉 2010, pp. 111–122)
  8. ^ a b 「第八章 冬至の落日――飯倉片町にて」(大谷 2002, pp. 162–195)
  9. ^ 北川冬彦・鈴木沙那美「北川冬彦氏に聞く」(早稲田文学 1981年11月号)。別巻 2000, pp. 106–110に抜粋所収
  10. ^ 「第九章 白日の闇――湯ヶ島その一」(大谷 2002, pp. 196–215)
  11. ^ 「第十二章 小さき町にて――王子町四十四番地」(大谷 2002, pp. 259–282)
  12. ^ 「第四部 第三章 社会への関心」(柏倉 2010, pp. 377–385)
  13. ^ ゆまに書房HP朔太郎著作一覧「文学論」を検索すると本エッセイが載っている
  14. ^ 自著「純粋映画記「『野生の叫び』の一場面」の章「端緒」の節
  15. ^ 『北川冬彦全詩集』巻末年譜(沖積舎
  16. ^ 筑摩書房から刊行された『萩原朔太郎全集 第十一巻』所収(576頁)

参考文献

外部リンク


北川冬彦

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/14 02:46 UTC 版)

梶井基次郎」の記事における「北川冬彦」の解説

三高同年入学北川は文丙。「江戸カフェー」で 同志社大学猛者渡辺を追っ払った北川に基次郎感動して話しかけた。その後、文丙の同級同じく帝大法学部進んだ小山田一から、『青空』に発表された基次郎の「檸檬」を勧められ読み小山田の家で基次郎再会した。詩誌『亜』の同人その後青空同人となった

※この「北川冬彦」の解説は、「梶井基次郎」の解説の一部です。
「北川冬彦」を含む「梶井基次郎」の記事については、「梶井基次郎」の概要を参照ください。

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