発表経過とは? わかりやすく解説

発表経過

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海と夕焼」の記事における「発表経過」の解説

1955年昭和30年)、文芸雑誌群像1月号に掲載され同年7月20日新潮社より刊行単行本ラディゲの死』に収録された。文庫版としては、1968年昭和43年9月15日新潮文庫より刊行の『花ざかりの森憂国――自選短編集』に収録された。 翻訳版は、ジョン・ベスター訳(英題Sea and Sunset)、中国(中題:海與晩霞)などで行われている。

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城のある町にて」の記事における「発表経過」の解説

1925年大正14年2月20日発行同人誌青空2月号(第1巻第2号通巻2号)に掲載された。その後、基次郎の死の前年1931年昭和6年5月15日武蔵野書院より刊行作品集檸檬』に収録された。同書には他に17編の短編収録されている。

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火垂るの墓」の記事における「発表経過」の解説

1967年昭和42年)、雑誌オール讀物10月号に掲載され同時発表の『アメリカひじきと共に翌春第58回昭和42年下半期直木賞受賞した単行本は両作併せて1968年昭和43年3月25日文藝春秋より刊行された。文庫版新潮文庫より刊行されている。翻訳版はAlycia Davidson訳(英題: Grave of the Fireflies)をはじめ、各国行われている。 作品は、刊行時に結末部に変更加えられており、末尾一段落削除される一方主人公少年遺体がほかの浮浪児たちの遺体とともに布引の上の寺」で荼毘付され日時加えられている。削除され一段落には、布引谷あいから飛び立った無数のが、打ち捨てられた妹の骨のまわり飛び交うという文章があり、妹の鎮魂にかかわる表現がより強く描かれていた。このためこの改筆は作品全体評価解釈にも関わるという指摘がある。直木賞選考における海音寺潮五郎選評結末明治調にすぎる、というコメントを含む)を受けたものとも説明されるが、野坂個人の妹に対す鎮魂悔悟根差した兄妹固有の物語であったものを、主人公多く戦災孤児たちの一人と描くことで、戦災孤児たちの鎮魂物語として拡大したという解釈もある。

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軽王子と衣通姫」の記事における「発表経過」の解説

1947年昭和22年)、文芸雑誌群像4月号に掲載された。末尾には執筆日が「一九四六・九・廿一/――十一十三」と記されている。同年11月20日桜井書店より刊行の『岬にての物語』に収録された。文庫版としては、1955年昭和30年3月30日角川文庫より刊行の『花ざかりの森 他六篇』に収録された。その後1971年昭和46年1月25日新潮文庫より刊行の『獅子孔雀』にも収録された。これは三島自死前に自選集として選んでいたもので、自作解説付けるはずであったが、その死により不可となった翻訳版はイタリア(伊題:Il principe Karu e la principessa Sotōri)で行われている。

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真夏の死」の記事における「発表経過」の解説

1952年昭和27年)、雑誌新潮10月号に掲載された。単行本は、翌年1953年昭和28年2月15日創元社より刊行された。雑誌掲載時にあった末尾の2行は、単行本収録当たって削除され、これが定稿となった文庫版1970年昭和45年7月15日新潮文庫刊行された。 翻訳版はエドワード・G・サイデンステッカー訳(英題Death in Midsummer)をはじめ、イタリア(伊題:Morte di mezza setate)、ドイツ(独題:Tod in hochsommer)、フランス(仏題:La mort en été)、ポルトガル(葡題:Morte no verao)、中国(中題:仲夏之死)などで行われている。

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雨のなかの噴水」の記事における「発表経過」の解説

1963年昭和38年)、雑誌新潮8月号に掲載され同年週刊誌女性自身11月11日号に再掲載された。同年12月10日講談社より刊行の『剣』に収録された。文庫版1970年昭和45年7月15日新潮文庫より刊行の『真夏の死――自選短編集』に収録された。 翻訳版はジョン・ベスター訳(英題:Fountains in the Rain)でなされている。

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裸体と衣裳」の記事における「発表経過」の解説

1958年昭和33年)、文芸雑誌新潮4月号から翌年1959年昭和34年9月号まで「日記」のタイトル連載された。単行本1959年昭和34年11月30日新潮社より『裸体と衣裳――日記』として刊行された。文庫版新潮文庫刊行されたが絶版となり、講談社文芸文庫の『三島由紀夫文学論II』に収録されている。

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煙草 (小説)」の記事における「発表経過」の解説

初出1946年昭和21年)、川端康成の推薦により雑誌人間6月号に掲載された。 単行本としては、初出同年1946年昭和21年)夏頃に刊行予定だった短編集収録されるはずであったが、これは未刊となり、1947年昭和22年8月書房より刊行の『年刊創作傑作集第一號』に収録された後、1948年昭和23年12月1日鎌倉文庫から刊行の『夜の仕度』に収録された。 その後1949年昭和24年)、雑誌別冊八雲9月号の〈小説三十人集〉、1956年昭和31年)、雑誌文藝12月増刊号の〈現代作家出世作全集再掲載された。文庫版としては、1970年昭和45年7月15日新潮文庫より刊行の『真夏の死――自選短編集』に収録された。 翻訳版はジョン・ベスター訳(英題Cigarette)で行われている。

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盗賊 (小説)」の記事における「発表経過」の解説

1947年昭和22年)から翌年にわたり、以下のように各章断続的に別々の雑誌掲載される形で書き継がれた。なお、起筆前年1946年昭和21年)の正月である。 1947年昭和22年)「自殺企図者」 - 同人雑誌文学会議12月号のち第2章決心とその不思議な効果」となる。 1948年昭和23年)「恋の終局そして物語の発端」 - 雑誌午前2月号のち第1章物語の発端」となる。 「出会」 - 雑誌思潮3月号のち第3章出会」となる。 「嘉例」 - 雑誌新文学3月号のち第5章周到な共謀(下)」となる。 「美的生活者」 - 雑誌文学会議10月号のち第4章周到な共謀(上)」となる。 以上の章に書き下ろしの第6章実行―短き大団円」を加えて1948年昭和23年11月20日単行本盗賊』が真光社より刊行された。初出単行本では若干異同がある。文庫版1954年昭和29年4月30日新潮文庫より刊行された。 なお、一時完成諦め第1章主要部分だけを短編序章」と題して発表していた(掲載雑誌不明)。この「序章」は1948年昭和23年12月1日鎌倉文庫より刊行の『夜の仕度』に収録された。 翻訳版は、中国(中題:盗賊)で行われている。

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岬にての物語」の記事における「発表経過」の解説

1946年昭和21年)、文芸雑誌群像11月号に掲載された。末尾には執筆日が「20・7・9 - 20・823」と記されている。単行本は、翌年1947年昭和22年11月20日桜井書店より刊行された。同書の扉には「夕日と海と黄金愛する人に」というエピグラフ付された。その後1956年昭和31年)、雑誌文藝5月増刊号の〈廿代小説傑作全集〉と、1957年昭和32年)、雑誌小説春秋1月号の〈昭和文壇出世作全集第一集〉に再掲載された。 文庫版としては、1955年昭和30年3月30日角川文庫より刊行の『花ざかりの森 他六篇』、1978年昭和53年11月27日新潮文庫より刊行の『岬にての物語』に収録された。なお、1968年昭和43年11月には、三島名指しにより蕗谷虹児装幀豪華限定版刊行された。翻訳版はイタリア(伊題:Storia di un promontorio)で行われている

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白蟻の巣」の記事における「発表経過」の解説

1955年昭和30年)、文芸雑誌文藝9月号に掲載された。同年10月29日劇団青年座により俳優座劇場で初上演され第2回1955年度岸田演劇賞受賞した単行本翌年1956年昭和31年1月25日新潮社より刊行された。文庫版近年まで新潮文庫熱帯樹』に収録されていたが、現在では絶版となっている。

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おわりの美学」の記事における「発表経過」の解説

1966年昭和41年)、週刊誌女性自身2月14日号から8月1日号まで「{をはりの美学講座」として連載された(7月18日号は休載し、「ビートルズ見物記」を掲載)。単行本は、1970年昭和45年10月15日文藝春秋より刊行の『行動学入門』に収録された。

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白痴 (坂口安吾)」の記事における「発表経過」の解説

1946年昭和21年6月1日雑誌新潮6月号(第43第6号)の「小説掲載され翌年1947年昭和22年5月10日中央公論社より単行本刊行された。文庫版岩波文庫新潮文庫などで刊行されている。翻訳版はGeorge Saitô訳(英題The Idiot)をはじめ、各国行われている。 なお現在、坂口安吾直筆原稿翻刻した版で読めるのは、筑摩書房の『坂口安吾全集 4』(1998年版)と、それを底本にしている岩波文庫だけとなっており、これらの版は、従来の「弾丸」「米機」「米軍」などが、坂口原稿どおりの「敵弾」「敵機「敵」復元されている。

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私の遍歴時代」の記事における「発表経過」の解説

1963年昭和38年)、『東京新聞夕刊1月10日から5月23日まで(週1回)、20連載された。単行本翌年1964年昭和39年4月10日講談社より刊行された。

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第一の性」の記事における「発表経過」の解説

1962年昭和37年)、雑誌女性明星12月創刊号から翌々年1964年昭和39年12月号まで、「第一の性――男性研究講座」「第一の性――男性人物講座」(のちの刊行の際に「総論」「各論」となり、タイトル副題に「男性研究講座」が付いた)として連載された。単行本1964年昭和39年12月30日集英社より刊行された。

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芸術断想」の記事における「発表経過」の解説

1963年昭和38年)、雑誌芸術生活』8月号から翌1964年昭和39年5月号まで連載された。単行本はその翌年1965年昭和40年8月20日に、集英社より『目――ある芸術断想』として刊行された。

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弓浦市」の記事における「発表経過」の解説

1958年昭和33年)、雑誌新潮1月号に掲載され同年4月30日新潮社より刊行の『富士の初雪』に収録された。その後1962年昭和37年8月新潮社より刊行の『川端康成全集 第11巻』や、1981年昭和56年3月20日刊行新版川端康成全集第8巻』に収録された。現行版講談社文芸文庫より『再婚者弓浦市』として刊行されている。

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名人 (小説)」の記事における「発表経過」の解説

川端康成は、1938年昭和13年)に『東京日日新聞』(7月23日号-12月29日号)に「本因坊名人引退観戦記」を連載した後、1940年昭和15年1月本因坊名人死去を受け、「本因坊秀哉名人」を雑誌囲碁春秋8月号から10月号まで掲載した。しかしこれは、川端の病により中断となった川端2年後1942年昭和17年)から新たに作品書き始め終戦またいで書き継ぐが一旦中絶し(未想熟版)、これに満足しなかった川端は稿を改め1951年昭和26年)から1954年昭和29年)にかけて各雑誌断続的に分載した(完成版)。その経過は以下のようになる。 未想熟版(プレオリジナル) 1942年昭和17年)「名人」(序の章で中断) - 『八雲8月号(第1号1943年昭和18年)「夕日」 - 『日本評論8月号と12月号 ※第6回戦後最後の)菊池寛賞受賞1944年昭和19年)「夕日」(未完) - 『日本評論3月1947年昭和22年「花」(「名人」と同じ。未完) - 『世界文化4月1948年昭和23年)「未亡人」 - 『改造1月号 この八雲版(未想熟版プレオリジナル)の『名人』は、1949年昭和24年12月10日細川書店より刊行の『哀愁』に収録され1950年昭和25年5月新潮社より刊行の『川端康成全集第10巻 花のワルツ』(全16巻本)に収録された。なお、「未亡人」は、本因坊名人未亡人の死を書いた短篇で、刊行時に取り入れてられていない完成版 1951年昭和26年)「名人」 - 『新潮8月1952年昭和27年)「名人生涯」 - 『世界1月号 「名人供養」 - 『世界5月1954年昭和29年)「名人余香」- 『世界5月定本『名人』 完本の『名人』と称されているものには2種類あり、上記完成版の「名人」「名人生涯」「名人供養」の3篇をまとめた全41章と、この3篇に「名人余香」を加え、4篇をまとめた全47章(先の41章目は完全に取り払っている)がある。 「41章版」は、1952年昭和27年9月30日新潮社より刊行の『川端康成全集第14巻 名人』(全16巻本)と、1960年昭和35年12月刊行の『川端康成全集第10巻 名人』(全12巻本)に収録された。 「47章版」は、1954年昭和29年7月10日文藝春秋新社より刊行の『呉清源談・名人』に収録された。 この「41章版」と「47章版」のどちらを定本にするかは、川端研究者により意見分かれており、未だに決着がついていない。 「41章版」を定本とする派は、「47章版」で出した本が『呉清源談・名人しかないところから、川端自身が「41章版」を重んじ評価していたと主張し、「41章版」の終章の方が緊迫感のある「動」で終わり、筆が冴えているとしている。 「41章版」の文庫版新潮文庫より刊行されている。また、観戦記他、囲碁関連する諸作品については、1981年昭和56年8月刊行の『川端康成全集第25巻』(全37巻本)に収録されている。 翻訳版は、エドワード・サイデンステッカー訳(英題The Master of Go)、閔丙山訳(韓題:Myeong In)、フランス(仏題:Le maître, ou le tournoi de Go)、セルビア・クロアチア(題:Vellemajstor)など世界各国行われている。

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第四間氷期」の記事における「発表経過」の解説

1958年昭和33年)、雑誌世界7月号から翌年1959年昭和34年3月号に連載され同年7月5日講談社より単行本刊行された。刊行に際して初出誌版を大幅に加筆改稿し、特に最終章の「少年」の登場場面には多く加筆がなされ、また再刊にあたっても、印刷段階での数多く脱落部分誤植個所修正され刊行された。文庫版新潮文庫刊行されている。翻訳版はD.E. Saunders 訳(英題Inter Ice Age 4)をはじめ世界各国行われ高い評価受けた。 なお、1966年昭和41年)、雑誌映画芸術4月号に映画脚本化されたものも掲載されたが、映画化実現しなかった。

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かげろふの日記」の記事における「発表経過」の解説

1937年昭和12年)、雑誌改造12月号(第19巻第14号)に掲載された。単行本1939年昭和14年6月3日創元社より刊行された。刊行の際に若干改稿がなされ、初出発表誌では、冒頭に「無名の女」から「***様」に宛てた600字ほどの献げる言葉置かれていたが、単行本刊行の際に削除されている。 なお、続編(「ほととぎす」)は、1939年昭和14年)、雑誌文藝春秋2月号(第17巻第3号)に掲載され上記単行本同時収録された。のち1946年昭和21年7月15日に養徳社より刊行の『曠野抄』の収録された。

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古都 (小説)」の記事における「発表経過」の解説

朝日新聞』に1961年昭和36年10月8日から翌1962年昭和37年1月23日まで、107回にわたって連載された(1月2日休刊)。挿絵小磯良平担当ちなみに作品連載中の11月3日川端文化勲章授与された。 その後会話部分京都弁井尻茂子協力により訂正するなど加筆補正がなされ、「あとがき」を付して同年6月25日新潮社より単行本刊行された。 なお、初出新聞紙上のため、現代仮名遣いと、漢字新字体表記合わせて連載され単行本の際もそれが踏襲されたが、その後1970年昭和45年5月10日刊行の『川端康成全集第12巻』(全19巻本)に収録の際には、全文歴史的仮名遣い正字体戻され新聞表記での送り仮名送り過ぎ)も是正された。 翻訳版はドイツ(独題:Kyoto oder Die jungen Liebenden in der alten Kaiserstadt, 1965)やJ・マーティン・ホルマン訳(英題:“The Old Capital”, 1987)をはじめ、イタリア(伊題:Koto, 1968)、フランス(法題:Kyōto, 1971)、中国(中題:古都, 1969 [台北])など世界各国行われている。

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Kの昇天」の記事における「発表経過」の解説

1926年大正15年10月1日発行同人誌青空10月号(第2巻第10号通巻20号)に掲載された。なお、初出末尾には「九月十八飯倉片町にて」と付記されている。その後、基次郎の死の前年1931年昭和6年5月15日武蔵野書院より刊行作品集檸檬』に収録された。同書には他に17編の短編収録されている。 翻訳版は、Stephen Dodd訳によりアメリカ英題:The Ascension of K, or K's Drowning)、Christine Kodama訳によりフランス(仏題:L'ascension de K)で行われている。

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冬の日 (小説)」の記事における「発表経過」の解説

1927年昭和2年2月1日発行同人誌青空2月号(第3巻第2号通巻24号)に前篇4月1日発行4月号(第3巻第4号通巻26号)に後篇掲載された。なお、後篇末尾には「未完」と記されている。その後、基次郎の死の前年1931年昭和6年5月15日武蔵野書院より刊行作品集檸檬』に収録された。同書には他に17編の短編収録されている。 翻訳版は、Stephen Dodd訳によりアメリカ英題Winter Days)、Christine Kodama訳によりフランス(仏題:Jours d'hiver)で行われている。

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サーカス (小説)」の記事における「発表経過」の解説

1948年昭和23年)、雑誌進路1月号に掲載された。脱稿日は1947年昭和22年11月14日日付記入されている。単行本としては、同年12月1日鎌倉文庫から刊行の『夜の仕度』に収録された。その後1966年昭和41年春にプレス・ビブリオマーヌより豪華限定版サーカス』が刊行された。文庫版としては、1970年昭和45年7月15日新潮文庫より刊行の『真夏の死――自選短編集』に収録された。 なお、初稿未発表)は戦争末期書かれており、1945年昭和20年2月22日に、野田宇太郎編集長だった雑誌文藝』に持ちこまれたが、キスシーンがあったため不採用となった翻訳版はAndrew Rankin訳(英題:The circus)で行われている。

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蒼穹 (小説)」の記事における「発表経過」の解説

1928年昭和3年3月1日発行同人雑誌文藝都市3月第2号掲載された。その後、基次郎の死の前年1931年昭和6年5月15日武蔵野書院より刊行作品集檸檬』に収録された。同書には他に17編の短編収録されている。 翻訳版は、Robert Allan Ulmer、Stephen Dodd訳によりアメリカ英題Blue Sky)で行われている。

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のんきな患者」の記事における「発表経過」の解説

1932年昭和7年1月1日発行文芸雑誌中央公論新年特別号掲載された。その後、基次郎の死の2年後1934年昭和9年3月24日に六書房より刊行の『梶井基次郎全集 上巻』に収録された。 翻訳版は、Robert Allan Ulmer、Stephen Dodd訳によりアメリカ英題:The Easygoing Patient、または The Carefree Patient)で行われている。

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愛撫 (小説)」の記事における「発表経過」の解説

1930年昭和5年6月16日発行同人誌詩・現実創刊号第一冊に掲載された。その後、基次郎の死の前年1931年昭和6年5月15日武蔵野書院より刊行作品集檸檬』に収録された。同書には他に17編の短編収録されている。 翻訳版は、Stephen Dodd訳によりアメリカ英題:Caress)、Christine Kodama訳によりフランス(仏題:Caresses)で行われている。

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真珠 (坂口安吾)」の記事における「発表経過」の解説

1942年昭和17年6月1日文芸雑誌文藝6月号(第10巻第6号)の「小説掲載され、翌1943年昭和18年10月大観堂より刊行単行本真珠』に初収録された。しかし再版刊行禁じられその後坂口生前単行本収録されことはなかった。 坂口没後は、1968年昭和43年4月冬樹社より刊行の『定本坂口自身全集 第2巻』に収録された。文庫版は『白痴二流の人』(角川文庫)などで刊行されている。翻訳版はJames Dorsey訳(英題:Pearls)で行われている。

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発表経過

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戦争と一人の女」の記事における「発表経過」の解説

1946年昭和21年10月1日雑誌新生臨時増刊号小説特集号)第1号に「戦争と一人の女掲載された。ゲラ刷り段階GHQ検閲により多く文章大幅削除されたために、翌月11月1日雑誌サロン11月号(第1巻第3号小説特集号に「続戦争と一人の女」が発表された。末尾には、安吾自身注記で「新生特輯号の姉妹作」と付されている。 その後はこの「続」の方を「戦争と一人の女」と改題し1947年昭和22年5月15日刊行単行本『いづこへ』に初収録された。最初に掲載された『新生』版の方は、同一状況の展開を、男側の視点綴られているが、『サロン』版は、女の視線語られている(安吾の初の女語り作品)。闇に葬られていた『新生』版は、安吾没後1971年昭和46年12月刊行の『定本坂口安吾全集 第13巻』(冬樹社)に初収録され以降、『新生』版が「戦争と一人の女」として復帰した

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二流の人 (小説)」の記事における「発表経過」の解説

1944年昭和19年)、雑誌現代文學1月号(第7巻第1号)〈前年12月28日発行〉に「黒田如水」(のち「第一話 小田原にて」の「一」と「二」)が掲載され、「黒田如水」の続編(「第一話 小田原にて」の「三」以降と、「第二話 朝鮮で」と「第三話 関ヶ原」)を書き下ろし追加した二流の人』が、戦後1947年昭和22年1月30日に、火野葦平主宰する出版社九州書房より「中篇小説新書」の一冊として単行本刊行された。 その後、「第二話 朝鮮で」の「三」の部分を、短編我鬼』の内容組み換え改訂版1948年昭和23年1月思索社より刊行された。『我鬼』は1946年昭和21年9月雑誌社会創刊号掲載されたものである。なお、1998年平成10年刊行の『坂口安吾全集 4』(筑摩書房)には、初出稿の九州書房版が収録され別途に『我鬼』も収録されている。文庫版角川文庫白痴二流の人』で刊行されている。角川文庫思索社版(改訂版)である。

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荒野より (小説)」の記事における「発表経過」の解説

1966年昭和41年)、文芸雑誌群像10月号に掲載され1967年昭和42年3月6日中央公論社より作品集荒野より』として単行本刊行された。文庫版中公文庫より1975年昭和50年1月10日刊行された(現在は絶版となっている)。 翻訳版は、Estrellita Wasserman訳によりフランス(仏題:Du fond des solitudes)で行われている。

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聖家族 (小説)」の記事における「発表経過」の解説

1930年昭和5年)、雑誌改造11月号(第12巻第11号)に掲載され翌々年1932年昭和7年2月20日に堀自身装幀江川書房より単行本刊行された。文庫版新潮文庫の『燃ゆる頬聖家族』、岩波文庫の『菜穂子・他五編』に収録されている。

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頭ならびに腹」の記事における「発表経過」の解説

1924年大正13年10月1日同人雑誌文藝時代創刊号第1巻第1号)に掲載され、翌1925年大正14年6月文藝日本社より刊行の『無禮な街』(新字無礼な街)に収録された。 雑誌文藝時代』は、川端康成石浜金作今東光中河与一横光利一ら、計14人の同人創刊され川端が「創刊の辞」を書いている。誌名川端発想名付けられた。

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万葉翡翠」の記事における「発表経過」の解説

この作品1961年1月から8月にかけて『婦人公論』に連載され短編連作集『影の車』の第2話として、同誌の1961年2月号で発表された。 清張は『婦人公論1960年12月号で、連載小説予告として次のような文を書いている。 中篇連作をひき受けることになった中篇長篇とは異なった独特の味を出せるので、それを生かして毎月新鮮な題材にいどみたいと意欲燃やしている。推理小説すぐれた読者である女性たちに、どれだけ楽しんでいただけるか、中篇限界いっぱい、その効果追及試みてみたいと思う。 — 『婦人公論1960年12月実際に連載したものは短編としては長め作品であるが、清張毎回テーマ選び苦労していた。連載当時、『婦人公論』で清張担当編集者務めていた澤地久枝は「五十ずつの短篇連作影の車」は、毎月テーマ探し問題で、「何か面白い話はないかね」という軽い会話は、担当者にとって千金重みがあった」と証言している。 『婦人公論』という女性向け雑誌への発表ということで、清張政治経済など社会派推理的テーマ避けて人間心理犯罪との光と影作品共通の通奏低音として扱い女性読者強く意識した作品群仕上げた。 この作品は、1962年1966年テレビドラマ化された。1962年ドラマ青山京子小笠原良知井川比佐志などが出演し8月2日前編)、8月3日後編)がNHK放送された。1966年ドラマ梓みちよ成瀬昌彦などが出演してKTV放送された。 翻訳では、『翡翠』という題名中国語訳されている。

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神と野獣の日」の記事における「発表経過」の解説

この作品発表は、アメリカ合衆国ソビエト連邦冷戦ただ中にある時期であった清張には兵器として原水爆対す怒りがあり、それが切迫したへの恐怖に対して人々政府どのように行動するかを描くこの作品つながった同盟国からの核弾頭ミサイル誤射から始まる『神と野獣の日』は、「女性自身1963年2月18日号-6月24日号に連載された。清張自身は「科学は苦手」としていて、SFにも苦手意識持っていたという。そしてSF設定近未来扱った作品パンデミック題材にとった『赤い氷河期』(1988年-1989年)とこの『神と野獣の日』くらいである。 同年9月15日カッパ・ノベルズから単行本として発行された。講談社文庫からは1982年8月15日鏡明解説付き刊行された。角川文庫では1973年10月30日刊行され2008年東野圭吾推薦得て改版初版発行された(解説権田萬治)。 講談社文庫角川文庫改版での主な違いは、前者が「プロローグ」に始まって「あと四十分」、「二十八分十秒前」、「修正時間」…「あと十分」、「あと三分」、「着弾」、「歓喜」と目次細分化されているのに対して後者では目次細分化廃されている点である。角川文庫改版その後も版を重ねて2021年6月5日11版が刊行され電子書籍化もされている。ただし、全66巻におよぶ清張全集には収録されていない

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冬の蠅」の記事における「発表経過」の解説

1928年昭和3年5月発行雑誌創作月刊5月号に掲載された。その後、基次郎の死の前年1931年昭和6年5月15日武蔵野書院より刊行作品集檸檬』に収録された。同書には他に17編の短編収録されている。 翻訳版は、Robert Allan Ulmer、Stephen Dodd訳によりアメリカ英題Flies of Winter"、または "Winter Flies)、Jean-Pierre Giraud & Sumitani Hirobumi訳によりフランス(仏題:Mouches hivernales)、Stefan Wundt訳によりドイツ(独題:Fliegen im Winter)で行われている。

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夕映少女」の記事における「発表経過」の解説

1936年昭和11年)、スタア発行雑誌33312月号に掲載され翌年1937年昭和12年6月12日創元社より刊行の『雪國』に収録された。その後1946年昭和21年4月25日単行本夕映少女』が丹頂書房より刊行された。なお、1977年昭和52年刊行集英社文庫版などは『夕映え少女』と表記されているが、1980年昭和55年刊行新版川端康成全集第5巻』では原題通り夕映少女となっている。

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たんぽぽ (小説)」の記事における「発表経過」の解説

1964年昭和39年)、雑誌新潮6月号(第61第6号)から連載開始されたが、2度ブランクオスロでの国際ペンクラブ大会出席と、睡眠薬疲労からの肝臓炎による入院)やノーベル文学賞受賞による多忙などもあり、1968年昭和43年10月号(第65第10号)を最後に途絶のまま放置され1972年昭和47年4月川端死により未完作となった雑誌新潮』に断続的に連載された全22回の経過を以下に記載する第1回1964年昭和39年6月第2回1965年昭和40年2月第3回から第8回1965年昭和40年4月号から9月第9回から第10回1965年昭和40年11月号から12月第11回から第12回1966年昭和41年1月号から2月第13回から第14回1967年昭和42年11月号から12月第15回から第18回1968年昭和43年2月号から5月第19回から第22回1968年昭和43年7月号から10月号 以上の未完の全22回の全文は、川端没後1972年昭和47年6月刊行の『新潮臨時増刊川端康成読本』にまとめて再掲載された。その後川端生前修正書き加えていた初出雑誌の切抜が発見され、それを基に川端香男里校訂し同年9月30日新潮社より単行本刊行された。文庫版としては1996年平成8年1月10日講談社文芸文庫より出版された。 単行本刊行当たっては、川端校正で縦の棒線による抹消指示のあった初出連載時第12回中の5行分のエピソードゴヤについての所)が削除された。また、第15回の約1ページ分(久野稲子髪の毛先を切った挿話)を川端が、後のストーリー部に入れ直すことを企図して〈後の事〉と付記していたため、その部分本文から削除された(この2つ削除部分は、付録の「覚書」内で記載されている)。

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菜穂子 (小説)」の記事における「発表経過」の解説

1934年昭和9年)、雑誌文藝春秋10月号(第12巻第10号)に「物語の女」(のち「楡の家第一部)が掲載された。この一編単行本物語の女』に収録され同年11月20日山本書店より刊行された。約7年後1941年昭和16年)、雑誌中央公論3月号(第56巻第3号)に「菜穂子」が掲載され同年雑誌文學界9月号(第8巻第9号)に「目覚め」(「楡の家第二部)が掲載された。 これら全ての編を合わせた単行本菜穂子』は同年11月18日創元社より刊行され翌年1942年昭和17年3月第一回昭和16年度)中央公論社文藝賞受賞した賞金当時金額で3千円)。文庫版岩波文庫の『菜穂子・他五編』に収録されている。

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東京の昔」の記事における「発表経過」の解説

吉田健一は後の総理大臣吉田茂長男として1912年誕生した吉田外交官だった父の赴任に従って20歳のころまでイギリスフランス中国など暮らし優れた語学力豊かな生活感覚を体得した。彼は生涯政界とは無縁生き方貫き文学以外のことは何もせずに貧し経済状態を耐え抜いてエッセー評論執筆し、そして数多く翻訳書を手がけた。そんな彼が小説執筆し始めたのは、40歳過ぎたころからであった吉田1970年58歳のころに最初長編小説瓦礫の中』を発表し1974年の『埋れ木』にいたるまであわせて6冊の長編小説刊行した。『東京の昔』は彼の長編小説中、第5作目にあたる。この作品は、文芸誌「海」1973年5月から11月まで計7回連載された。連載のときは新字新かなだった。 単行本としては、旧字旧かな1974年3月1日中央公論社から刊行された。文庫版では1976年5月中公文庫版(新字新かな)が入江隆則解説で、ちくま学芸文庫からは島内裕子解説2011年新字新かな刊行されている。 その他の収録では、『吉田健一著作集第22巻』(旧字旧かな集英社1980年)や『吉田健一集成7』(旧字旧かな新潮社1993年)がある。

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不器用な天使 (小説)」の記事における「発表経過」の解説

1929年昭和4年)、雑誌文藝春秋2月号(第7巻第2号)に「無器用な天使」として掲載された(ただし目次には「不器用な天使」とある)。なお、文末には「1928年11月」の日付付されているが、新潮社元版全集脚注ではその年の「夏稿」と注解されている。単行本処女作品集(他18作品収録)として掲載翌年1930年昭和5年7月3日改造社より刊行された。

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伊豆の踊子」の記事における「発表経過」の解説

1926年大正15年)、雑誌文藝時代1月号(第3巻第1号)に「伊豆の踊子」、2月号(第3巻第2号)に「続伊豆の踊子」として分載された。単行本翌年1927年昭和2年3月20日金星堂より刊行された。なお、刊行に際して校正作業梶井基次郎おこなった翻訳版はエドワード・サイデンステッカー訳(英題:The Izu Dancer)、Eiichi Hayashi、J. Martin Holman訳(英題The Dancing Girl of Izu)をはじめ、ドイツ(独題:Die kleine Tänzerin von IzuDie Tänzerin von Izu)、中華人民共和国(中題:伊豆的舞女、伊豆舞孃)、ポルトガル(葡題:A pequena dançarina de Izu)、イタリア(伊題:La danzatrice di Izu)、大韓民国(韓題:이즈의 무희)、スペイン(西題:La danzarina de Izu)、オランダ題:De danseres uit Izu)、ロシア(露題:Танцовщина из Иззу)、フランス(仏題:La danseuse d'Izu)など世界各国行われている。

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禽獣 (小説)」の記事における「発表経過」の解説

1933年昭和8年)、雑誌改造7月号(第15号第7号)に掲載された。なお、この際編集担当は徳廣巌城上林暁)だった。初出誌では一部伏字が行われた。単行本は、翌年1934年昭和9年4月19日改造社より刊行の『水晶幻想』に収録された後、その翌年1935年昭和10年5月20日野田書房より刊行された。 翻訳版はエドワード・サイデンステッカー訳(英題:Of Birds and Beasts)をはじめ、韓国(韓題:금수、禽獣)、中国(中題:禽獣)、イタリア(伊題:Ucelli e altri animali)、ドイツ(独題:Von Vögeln und Tieren)、スペイン(西題:Sobre pájaros y animales)、フランス(仏題:Bestiaire)など世界各国行われている。

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美しい村」の記事における「発表経過」の解説

1933年昭和8年)、『大阪朝日新聞6月25日号(日曜日)に、まず「山からの手紙」(のち「序曲」)が掲載され同年雑誌改造10月号(第15巻第11号)に「美しい村 或は遁走曲」、雑誌文藝春秋10月号(第11巻第10号)に「夏」が掲載された。その翌年1934年昭和9年)、雑誌週刊朝日3月18日号(第25巻第13号)に「暗い道」が掲載された。 以上4編をまとめた『美しい村』は、冒頭ゲーテの『ファウスト』(訳:森鷗外第二部からの一節エピグラフとして加え1934年昭和9年4月20日野田書房より単行本刊行された。文庫版新潮文庫の『風立ちぬ美しい村』ほか、岩波文庫角川文庫刊行されている。

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雪国 (小説)」の記事における「発表経過」の解説

雪国』は、最初から起承転結を持つ長編としての構想がまとめられていたわけではなく、以下のように複数雑誌断続的に各章連作として書き継がれた。 1935年昭和10年)「夕景色の鏡」 - 『文藝春秋1月号 「白い朝の鏡」 - 『改造1月号 「物語」 - 『日本評論11月号 「徒労」 - 『日本評論12月1936年昭和11年)「の花」 - 『中央公論8月号 「火の」 - 『文藝春秋10月1937年昭和12年)「手毬歌」 - 『改造5月号 以上の断章をまとめ、書き下ろし新稿加えた単行本雪国』は、1937年昭和12年6月12日創元社より刊行され7月第3回文芸懇話会賞を受賞した。さらに続篇として以下の断章各誌掲載された。 1940年昭和15年)「雪中火事」 - 『公論12月1941年昭和16年)「天の河」 - 『文藝春秋8月1946年昭和21年)「雪国抄」(「雪中火事」の改稿) - 『暁鐘5月1947年昭和22年)「続雪国」(「天の河」の改稿) - 『小説新潮10月号 以上の続篇加えて最終的な完成作となり、「続雪国」まで収録した完結本『雪国』は、「あとがき」を付して1948年昭和23年12月25日創元社より刊行された。 その後新潮社より1949年昭和24年6月刊行の『川端康成全集第6巻』(全16巻本)や、1960年昭和35年6月刊行の『川端康成全集第5巻』(全12巻本)に収録の際と、さらに1971年昭和46年8月牧羊社より『定本雪国刊行の際にも、川端本人による斧鉞加えられた。また川端死後の1972年昭和47年12月には、原稿復刻版雪国抄』がほるぷ出版より刊行された。 本人斧鉞後の定稿は、1980年昭和55年4月刊行の『川端康成全集第10巻』(全37巻本)に収録され前述並列した斧鉞前のプレ・オリジナル版は同年10月刊行の『川端康成全集24巻』(全37巻本)に収録されている。 エドワード・サイデンステッカー訳(英題Snow Country)をはじめ、ドイツ(独題:Schneeland)、イタリア(伊題:Il paese delle nevi)、中国(中題:雪国郷)、フランス(仏題:Pays de neige)など、世界各国語の翻訳版が出版されている。

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花ざかりの森」の記事における「発表経過」の解説

1941年昭和16年)、雑誌文藝文化9月号から12月号に掲載された。単行本戦争中1944年昭和19年10月15日に七丈書院(のち筑摩書房統合)より、処女短編集花ざかりの森』として刊行された。同書には他に4編の短編収録された。文庫版は、1968年昭和43年9月15日新潮文庫より刊行の『花ざかりの森憂国――自選短編集』に収録された。 翻訳版は、イタリア(伊題:La foresta in fiore)、中国(中題:繁花盛開的森林 または鮮花盛時森林行われている。

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風立ちぬ (小説)」の記事における「発表経過」の解説

1936年昭和11年)、雑誌改造12月号(第18巻第12号)に、先ず「風立ちぬ」(のち「序曲「風立ちぬ」2章)が掲載された。翌年1937年昭和12年)、雑誌文藝春秋1月号(第15巻第1号)に「冬」、雑誌『新女苑』4月号(第1巻第4号)に「婚約」(のち「春」)が掲載された。翌年1938年昭和13年)、雑誌新潮3月号(第35第3号)に終章死のかげの谷」が掲載されたのち、同年4月10日、以上を纏めた単行本風立ちぬ』が野田書房より刊行された。現行版新潮岩波文庫などから重版され続けている。翻訳版はアメリカ英題The Wind Has Risen)、フランス(仏題:Le vent se lève)、中国題:風吹了、起風了)などで刊行されている。

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相模国愛甲郡中津村」の記事における「発表経過」の解説

1963年雑誌婦人公論臨時増刊号発表された。1964年文藝春秋社から「浮遊昆虫」「皿倉学説」などと合わせて単行本化された。1974年、『松本清張全集38 皿倉学説』に収録された。

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舞姫 (川端康成)」の記事における「発表経過」の解説

1950年昭和25年12月12日から1951年昭和26年3月31日まで『朝日新聞』に109回にわたって連載され新聞小説で、単行本連載終了同年7月15日朝日新聞社より刊行された。文庫版新潮文庫刊行されている。 翻訳版は、ドイツ中国スペイン行われている。

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アポロの杯」の記事における「発表経過」の解説

1952年昭和27年)に複数文芸雑誌などに以下のように連載された。 『サンパウロ新聞2月19日号 - 「小邑ヴィラサビノ」(のち「南米紀行―ブラジル」〈リンス〉) 未詳4月 - 「航海日記」 『群像4月号 - 「あめりか日記」(のち「北米紀行」〈序曲ハワイ桑港羅府ニューヨークフロリダSan Juan〉) 『新潮5月号 - 「リオ・デ・ジャネイロ」(のち「南米紀行―ブラジル」〈リオ転身幼年時代再現〉) 『中央公論5月号 - 「サン・パウロの「の町」―南米紀行」(のち「南米紀行―ブラジル」〈サン・パウロ、再びリオ・デ・ジャネイロ謝肉祭〉) 『別冊文藝春秋6月号(28号) - 「南米紀行」(のち「南米紀行―ブラジル」〈リンス〉) 『婦人公論7月号 - 「憂鬱なヨーロッパ」(のち「欧州紀行」〈ジュネーヴにおける数時間パリ―シルク・メドラノ、ロンドン及びギルドフォード〉) 『近代文学8月号 - 「フォンテエヌブロオへのピクニック」(のち「欧州紀行」〈パリ―フォンテエヌブロオへのピクニック〉) 『芸術新潮7月号 - 「希臘羅馬紀行」(のち「欧州紀行」〈アテネ及びデルフィローマ〉) 未詳7月 - 「旅の思ひ出」(書き下ろし) 以上をまとめた単行本アポロの杯』は、1952年昭和27年10月5日朝日新聞社より刊行された。その後1954年昭和29年3月刊行の『三島由紀夫作品集6』再録にあたり図版三島創作した詩劇アンティノウスノ座――近代能楽集ノ内」と、それを改編した短編小説アンティノウス」(未完草稿)が付加された。 翻訳版は、イタリアMaria Chiara Migliore訳(伊題:La coppa di Apollo)、中国の申非・青化訳(中題:阿波羅之杯)で行われている。 なお、『アポロの杯』には収録されなかったが、同旅行紀行エッセイには以下のようなものがある。 『羅府新報2月9日号 - 「髭とロタサン」 『朝日新聞3月5日号 - 「旧教安楽サン・パウロにて」 『朝日新聞3月29日号 - 「リオ謝肉祭」 『朝日新聞5月4日号 - 「パリ芝居見物パリにて」 『朝日新聞5月22日号 - 「パリにほれず」 『週刊朝日6月8日号 - 「遠視眼旅人

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発表経過

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アメリカひじき」の記事における「発表経過」の解説

1967年昭和42年)、雑誌別冊文藝春秋9月号(101号)に掲載され同時発表『火垂るの墓』と共に翌春第58回昭和42年下半期直木賞受賞した単行本は両作併せて1968年昭和43年3月25日文藝春秋より刊行された。文庫版新潮文庫より刊行されている。翻訳版はアメリカ英題American Hijiki)をはじめ、各国行われている。

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千羽鶴 (小説)」の記事における「発表経過」の解説

雪国』や『山の音』同様、『千羽鶴』も最初から起承転結を持つ長編としての構想がまとめられていたわけではなく1949年昭和24年)から1951年昭和26年)にかけて各雑誌断続的に断章連作として書きつがれたが、一章ごとが独立鑑賞堪え全体として密度が高い小説となっている。 1949年昭和24年)「千羽鶴」 - 『読物時事別冊5月号(第3号挿絵猪熊弦一郎夕日」 - 『別册文藝春秋8月号(第12号1950年昭和25年)「絵志野」 - 『小説公園3月号(第1巻第1号) 「母の口紅」 - 『小説公園11月号(第1巻第8号挿絵佐藤泰治 「続母の口紅」 - 『小説公園12月号(第1巻第9号挿絵佐藤泰治 1951年昭和26年)「二重星」 - 『別冊文藝春秋10月号(第24号) 以上をまとめた単行本千羽鶴』が1952年昭和27年2月10日筑摩書房より刊行され1951年昭和26年度)読売ベスト・スリーに選ばれ1951年昭和26年度)の芸術院賞受賞した。 『千羽鶴』の続編となる『波千鳥』(なみちどり)の断章は、『小説新潮』に以下のように連載された。 1953年昭和28年)「波千鳥」 - 4月号(第7巻第5号挿絵佐藤泰治 「旅の別離」(のち「旅の別離1章から3章) - 5月号 「父の町」(のち「旅の別離4章5章) - 6月号 「荒城の月」(のち「旅の別離6章7章) - 9月号 「新家庭」(のち「新家庭」1章2章) - 10月号 「波間」(のち「新家庭」3章4章) - 12月1954年昭和29年)「春の目」 - 3月号 「妻の思ひ」 - 7月号(第8巻第9号) これ以降取材ノート盗難にあったために、上記の8回までで中断された。そして、章として完結している「波間」までの6回の断章をまとめた未完作が『千羽鶴』の続編として、1956年昭和31年11月25日新潮社より刊行の『川端康成選集第8巻 千羽鶴』(全10巻本)に初収録された。 なお、削除された7回の「春の目」と8回の「妻の思ひ」の章は、川端没後1982年昭和57年1月刊行の『川端康成全集第22巻未刊行作品(2)』(全37巻本)に収録された。『千羽鶴』と続編波千鳥』と合わせた文庫版1989年平成元年11月15日新潮文庫より刊行された。 翻訳版はエドワード・サイデンステッカー訳(英題Thousand Cranes)、ドイツ(独題:Tausend Kraniche)、イタリア(伊題:Mille gru)など世界各国行われている。

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憂国」の記事における「発表経過」の解説

1961年昭和36年1月雑誌小説中央公論3号冬季号の〈現代代表作家二十人創作集〉に掲載され同年1月30日新潮社より刊行短編集スタア』に収録された。のち1966年昭和41年6月河出書房新社より刊行の『英霊の聲』にも、戯曲十日の菊と共に二・二六事件三部作として纏められた。なお、この刊行にあたって当時実状をよく知る加盟将校1人当時陸軍歩兵大尉)の末松太平からの助言により、「近衛輜重兵大隊」を「近衛歩兵第一聯隊」に改めた文庫版としては、1968年昭和43年9月15日新潮文庫より刊行の『花ざかりの森憂国――自選短編集』に収録された。その後1997年平成9年)に『中央公論11月臨時増刊号の〈激動昭和文学〉に再掲載された。翻訳版はGeoffrey W. Sargent訳(英題Patriotism)をはじめ、世界各国行われている。 1965年昭和40年4月には、自身が製作・監督・主演脚色美術務めた映画憂國』が製作された。映画翌年1966年昭和41年1月ツール国際短編映画祭劇映画部門第2位となり、同年4月からなされた日本での一般公開話題呼びアート系映画では記録的なヒットとなった。また同時に映画の製作過程写真など収録した憂國 映画版』も1966年4月10日新潮社より刊行された。

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禁色 (小説)」の記事における「発表経過」の解説

第一部禁色』は1951年昭和26年)、雑誌群像1月号から10月号まで連載された(11月号に第一部結末変更する改訂広告」を掲載)。単行本禁色 第一部』は同年11月10日新潮社より刊行された(連載時異なる結末)。 第二部は『秘楽』(ひぎょう)と題され1952年昭和27年)、雑誌文學界8月号から翌年1953年昭和28年)の8月号まで連載された。単行本秘楽 禁色 第二部』は同年9月30日新潮社より刊行された。第一部第二部の間に、10か月休止期間があるのは、作者世界旅行中のためである(詳細アポロの杯参照)。 なお、雑誌連載時第一部(第18章まで)の結末は、鏑木夫人失踪の後、自殺する終わりとなっていたが改訂されて、生きかえらせている。三島はその理由について、〈夫人自殺させることは、当初プランでもあつたが、(中略計画どほりに夫人殺してから、私は早まつたと思つた。この人物には書くにつれて愛着増して来てをり、殺すには惜しい女だつたからである〉と述べている。 翻訳版は、Alfred H. Marks訳(英題Forbidden Colors)をはじめ、イタリア(伊題:Colori proibiti)、フランス(仏題:Les Amours interdites)、中国(中題:禁色)などで行われている。

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英霊の聲」の記事における「発表経過」の解説

1966年昭和41年)、文芸雑誌文藝6月号に掲載され同年6月30日河出書房新社より、作品集英霊の聲』として単行本刊行された。この本には、『憂国』と戯曲十日の菊』も収録され、「二・二六事件三部作」として纏められた。 オリジナル版文庫本2005年平成17年10月20日河出文庫より刊行された。翻訳イタリア語(伊題:La voce degli spiriti eroici)で行われている。

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熱帯樹 (戯曲)」の記事における「発表経過」の解説

1960年昭和35年1月雑誌『聲』(6号)に掲載され同年1月7日文学座により、第一生命ホール初演された。1962年昭和37年3月20日新潮社より刊行の『三島由紀夫戯曲全集』に収録されその後1986年昭和61年2月25日新潮文庫より『熱帯樹』が刊行された。 翻訳版は、Kenneth Strong訳(英題Tropical Tree)をはじめ、フランス(仏題:L’arbre des tropiques)、ポルトガル(葡題:Dozewo tropików)などで行われている。

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豊饒の海」の記事における「発表経過」の解説

文芸雑誌新潮』に、先ず1965年昭和40年9月号から1967年昭和42年1月号にかけて『春の雪』が連載され同年2月号から1968年昭和43年8月号にかけては『奔馬』、同年9月号から1970年昭和45年4月号にかけては『暁の寺』、同年7月号から1971年昭和46年1月号にかけては『天人五衰』が連載された。 単行本は、1969年昭和44年1月5日に『春の雪豊饒の海第一巻)』、同年2月25日に『奔馬豊饒の海第二巻)』、1970年昭和45年7月10日に『暁の寺豊饒の海第三巻)』、1971年昭和46年2月25日に『天人五衰豊饒の海第四巻)』が新潮社より刊行された。文庫版各巻新潮文庫より刊行されている。 翻訳版は、『春の雪』『奔馬』は英米Michael Gallagher訳(英題Spring SnowRunaway Horses)、イタリア(伊題:Neve di primavera、Cavalli in fuga)、『暁の寺』は英米Cecilia Segawa Seigle、D.E. Saunders訳(英題Temple of Dawn)、イタリア(伊題:Il tempio dell'alba)、『天人五衰』は英米エドワード・G・サイデンステッカー訳(英題:The Decay of the Angel)、イタリア(伊題:La decomposizione dell'angelo)をはじめ、世界各国行われている。

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みづうみ」の記事における「発表経過」の解説

1954年昭和29年)、雑誌新潮1月号(第51第1号)から12月号(第51第12号)に連載され(全12回)、翌年1955年昭和30年4月15日新潮社より単行本刊行された。その際大幅な加筆訂正がなされ、連載第11回後半第12回全文削除された。 この時に川端当時編集担当者未完作である旨を伝えたとされる削除された回の章は、新潮社より刊行の『川端康成全集第18巻 小説18』(1980年3月)の「解題中に掲載されている。 翻訳版は月麗子訳(英題:“The Lake”)をはじめ、スペイン(西題:El lago)、韓国(韓題:湖水)、フランス(仏題:Le lac)など世界各国行われている。

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詩を書く少年」の記事における「発表経過」の解説

1954年昭和29年)、雑誌文學界8月号に掲載された。単行本2年後1956年昭和31年6月30日角川書店より刊行された。同書には他に10編の短編収録されている。文庫版としては、1968年昭和43年9月15日新潮文庫より刊行の『花ざかりの森憂国――自選短編集』に収録された。 翻訳版は、Ian Hideo Levy訳(英題:The Boy Who Wrote Poetry)、中国(中題:寫詩的少年)などで行われている。

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サド侯爵夫人」の記事における「発表経過」の解説

1965年昭和40年)、文芸雑誌文藝11月号に掲載され舞台図の挿絵秋山正)、同年11月15日河出書房新社より単行本刊行された。初演前日11月14日から11月29日劇団NLT紀伊國屋ホール提携公演として、丹阿弥谷津子出演紀伊國屋ホール上演され昭和40年芸術祭演劇部門賞を受賞した翻訳版はドナルド・キーン訳(英題Madame de Sade)を始めマンディアルグ訳によりフランス(仏題:Madame de Sade)、アラビア(剌題:al-Sayyida Di Sadスウェーデン(典題:Markisinnan de Sade)、イタリア(伊題:Madame de Sade)、ドイツ(独題:Madame de Sade)などで行われている。

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網膜脈視症」の記事における「発表経過」の解説

当時の『新青年』の編集長水谷準は、探偵作家絶対数不足しており、科学方面記事をうまく書きこなす筆者求めており、工学士作家でもある海野十三に、文章記せて、『新青年』風の感覚理解できそうな科学者物色頼んでいた。水谷要望適した作家として海野紹介した作家木々であり、「網膜脈視症」という題名水谷は、「舌をかみそうな題名」と評している。原稿記し方も、達筆で、1行20字のに1~2字不足する位にはみ出しており、木々が相当に原稿用紙使いこなしている人物であると判断したという。 私は疑いながらその短篇一読したが、今更改めいうまでもなく大い感動した題材さることながら、その行文にはそれまで探偵作家持っていなかった一種の「張りみたいなものがあって、それがぐんぐんと読むものを引きつけるのを感じた昭和32年12月、『別冊宝石』) 著者自身回想によると、昭和9年頃、海野十三膝詰め談判探偵小説執筆するように、木々勧めた、という。半分しかできなければ、後の半分自分が記すという手紙送っている。これに対し木々夏休み避暑地本作書き上げている。作品は、海野水谷両者検閲経ており、木々以上に作品出来を心配したのは海野十三で、水谷準が「とにかくいゝよ」とぶっきらぼうに答えた時の安心した顔が印象的であったという。 それまで木々は、江戸川乱歩海野十三ヴァン・ダインエラリー・クイーンクロフツらの諸作慣れ親しんでおり、生理学者領域出て医学随筆家として注目されていた。このことを見逃さなかった海野十三によって、探偵作家木々高太郎誕生し処女作網膜脈視症』は誕生したのである掲載にあたって破格扱いで、4段抜き新聞広告で、以下のように記されていた。 コーナン・ドイル日本再生す。その筆致、その構想堂々たる本格派精神分析探偵小説取入れて、はじめて成功せる新人作家処女力作山路渇して噴泉見出だしたる喜び ただし、「編集だより」では小酒井不木同一視されており、医学者出身という共通点はあれども、作風小説観の相違などは注目されてはいなかったようである。

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ルウベンスの偽画」の記事における「発表経過」の解説

1927年昭和2年)、雑誌山繭2月号(第2巻第6号)に初稿前半部。文末に「断片」の語入り)が掲載され1929年昭和4年)、雑誌創作月刊1月号(第2巻第1号)にその改稿掲載された。翌1930年昭和5年)、雑誌作品5月号(創刊号)に定稿全文)が掲載された。 初稿改稿版(前半部分のみ)は、1930年昭和5年7月3日改造社より刊行処女作品集『不器用な天使』に収録され完成され定稿版(全文)は、1933年昭和8年2月1日江川書房より単行本刊行された(限定300部)。文庫版講談社文芸文庫の『風立ちぬルウベンスの偽画』、新潮文庫の『燃ゆる頬聖家族』、岩波文庫の『菜穂子・他五編』に収録されている。

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文化防衛論」の記事における「発表経過」の解説

1968年昭和43年)、雑誌中央公論7月号に掲載され初版単行本翌年1969年昭和44年4月25日新潮社より刊行された。同書には他の評論講演収録されている。 翻訳版は、フランス語(仏題:Défence de la culture)で雑誌Esprit』『février』(1973年)に掲載された。

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薔薇と海賊」の記事における「発表経過」の解説

1958年昭和33年)、文芸雑誌群像5月号に掲載され同年5月30日新潮社より単行本刊行された。初演同年7月8日文学座により、第一生命ホール上演され週刊読売新劇賞を受賞したその後1986年昭和61年2月25日新潮文庫より『熱帯樹』に収録された。

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器楽的幻覚」の記事における「発表経過」の解説

1928年昭和3年5月1日発行同人詩誌『近代風景』(北原白秋萩原朔太郎主宰)に掲載され同年12月5日発行季刊同人誌詩と詩論第二冊に再掲載された。その後、基次郎の死の前年1931年昭和6年5月15日武蔵野書院より刊行作品集檸檬』に収録された。同書には他に17編の短編収録されている。 翻訳版は、Stephen Dodd訳によりアメリカ英題Instrumental Illusions)、Christine Kodama訳によりフランス(仏題:Hallucinations instrumentales)で行われている。

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喜びの琴」の記事における「発表経過」の解説

1964年昭和39年)、文芸雑誌文藝2月号に掲載され同年2月25日新潮社より『喜びの琴 附・美濃子』として単行本刊行された。初演同年5月7日日生劇場上演された。

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成城だより」の記事における「発表経過」の解説

初出は「文学界1980年1月号である。当初見開き2頁の予定連載始めたが、次第長くなってきて1年の間でかなりの分量となった大岡自身は、若年一時期旅行中の他には日記を書く習慣はなかったという。日記書き始めたのは、『成城だより』の執筆始め4-5年前のことであった。この時分物忘れ悪化自覚して以来簡単な日録を記すのが大岡習慣となった。「文学界」への連載開始に際して、この日録ふくらませ発表用に仕立て上げたのが『成城だより』である。 『成城だより』は好評得ていたが、大岡連載同年12月号で1度中断した。その理由は、1回分が長くなるにつれて時間取られ彼にとっての長年懸案だった『富永太郎全集』に注力できなかったことにあった。単行本成城だより』(の後記大岡は「それらの仕事(注:『富永太郎全集』を指す)を片付けて、まだ余力あったら再開予定です」と予告していた。 連載再開は「文学界1982年3月号で、1983年2月号まで続いた大岡によると、『成城だより』の連載1980年1-12月号だったために、実際に1979年11月から翌年10月までの内容になってしまったので、1月から12月に収まるように調整したのであるという。 この連載好評で「もっと続けろ」という話が出ていた。しかし、大岡晩年課題として『富永太郎全集』と「堺事件」を完遂するまでは、友人先輩などの全集寄稿する月報追悼文など以外には何も書かずにいる覚悟持っていた。そのため、1983年4月発行単行本成城だよりII後記で「そしてまた余命と、エネルギー残っていたら、再開します」と予告し単行本表題を『成城だよりII』として『III』の執筆あり得ることを自らへの課題とした。 大岡連載1985年3月号に再開し1986年2月号で終了した単行本成城だよりIII』の後記1986年3月6日付)で大岡は「私は満七十七歳に達したところである。(中略個人的に遂げなければならない仕事いくつか持っているが、その時間があるか、前途思えばただ茫洋とするばかりである」と結んだ

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眠れる美女」の記事における「発表経過」の解説

1960年昭和35年)、雑誌新潮1月号(第57第1号)から6月号までと、翌年1961年昭和36年1月号から11月号(第58巻第11号)まで、合間に約半年ブランク挟んで連載された。17回にわたる連載ながら全量中編で、各回原稿用紙平均10程度のものだった連載6回目7回目の間の空白休止期間は、アメリカ国務省招きによる渡米と、ブラジル・サンパウロでの国際ペンクラブ大会出席などの多忙一因とみられる連載終了後は、内容沿って全体5話構成章分けし、同年11月30日新潮社より単行本刊行された。 翻訳版はエドワード・サイデンステッカー訳(英題House of the Sleeping Beauties)をはじめ、中国(中題:眠美人)、フランス(仏題:Les Belles Endormies)、スペイン(西題:La Casa de las Bellas Durmientes)、イタリア(伊題:La Casa delle Belle Addormentate)、ドイツ(独題:Die schlafenden Schonen)など世界各国刊行されている。

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百万円煎餅」の記事における「発表経過」の解説

1960年昭和35年)、文芸雑誌新潮9月号に掲載され1961年昭和36年1月30日新潮社より刊行の『スタア』に収録された。文庫版としては、1968年昭和43年9月15日新潮文庫より刊行の『花ざかりの森憂国――自選短編集』に収録された。なお、その後1996年平成8年)に、雑誌新潮7月臨時増刊号の〈新潮名作百年文学〉に再掲載された。 翻訳版は、エドワード・G・サイデンステッカー訳(英題Three Million Yen)をはじめ、イタリア(伊題:Tre millioni di yen)、ドイツ(独題:Drei millionen yen)、フランス(仏題:Trois millions de yens)などで行われている。

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屋上の狂人」の記事における「発表経過」の解説

菊池寛京都帝国大学英文科卒業する年の1916年大正5年)の2月同人誌第四次新思潮』が復刊され、その5月号・第1年第3号に「屋上の狂人」は掲載された。その際に、それまで第三次新思潮』で使用していた筆名太郎(もりたろう)」から、本名の「菊池寛」を用いようになった本名変えた動機に関しては特に語られておらず不明であるが、卒業間近にひかえてい時期であることから、今後文壇乗り出すためには文学青年風の筆名よりも本名の方がいいと思ったからではないか推察されている。 『新思潮時代菊池戯曲はほとんど注目されなかったため、京大7月卒業し時事新報社社会部記者の職に就きながら、戯曲より小説の方の執筆重きを置くようになった菊池は、1918年大正7年)に『中央公論』に発表した無名作家日記」や「忠直卿行状記」で文壇認められその後芥川龍之介伝手大阪毎日新聞客員となり1920年大正9年)に新聞連載した通俗小説真珠夫人」で流行作家として世間広く認知された。それを機に無名新人時代戯曲父帰る」などが舞台上演され、その流れで「屋上の狂人」も翌年1921年大正10年2月帝国劇場で初上演された。 単行本刊行は、新潮社から1919年大正8年1月8日上梓された『心の王国』に収録され、翌1920年大正9年4月10日同社から刊行された『藤十郎の恋』にも収録された。 全集収録は、春陽堂から1921年大正10年5月21日刊行の『菊池寛戯曲全集 第1巻』に収録された。その後平凡社から1929年昭和4年6月10日刊行の『菊池寛全集 第3巻』、中央公論社から1937年昭和12年6月21日刊行の『菊池寛全集 第1巻』に収録された。

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発表経過

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もう軍備はいらない」の記事における「発表経過」の解説

1952年昭和27年10月文藝春秋文學界』に掲載された。

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発表経過

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新カナヅカヒの問題」の記事における「発表経過」の解説

1947年昭和22年11月1日、『風刺文学』(第一巻第五号)に掲載された。

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天皇小論」の記事における「発表経過」の解説

1946年昭和21年6月1日文学時標社『文学時標』(第九号)に掲載された。

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発表経過

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蘭陵王 (小説)」の記事における「発表経過」の解説

1969年昭和44年)、文芸雑誌群像11月号に掲載された。原稿末尾には「(昭和四四、八、三〇)」と脱稿日が記入されている。単行本は、三島死後である翌々年1971年昭和46年3月5日講談社より自筆原稿完全復元限定版刊行され同年5月6日刊行評論集蘭陵王三島由紀夫 1967.1 - 1970.11』にも収録された。その後1988年昭和63年)、雑誌群像5月号(創刊500記念特別号群像短篇名作選)に再掲載された。文庫版1980年昭和55年2月25日新潮文庫より刊行の『鍵のかかる部屋』に収録されている。 翻訳版は、中国(中題:蘭陵王)で行われている。

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十日の菊」の記事における「発表経過」の解説

1961年昭和36年)、『文學界12月号に掲載され初演はその号の発売直後11月29日文学座により第一生命ホール上演された。単行本は、翌年1962年昭和37年3月20日新潮社より刊行の『三島由紀夫戯曲全集』に初収録されたのち、1966年昭和41年6月30日河出書房新社より刊行作品集英霊の聲』に、二・二六事件三部作英霊の聲憂国十日の菊)の一つとして収められた。

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蘭陵王 (三島由紀夫)」の記事における「発表経過」の解説

1969年昭和44年)、文芸雑誌群像11月号に掲載された。原稿末尾には「(昭和四四、八、三〇)」と脱稿日が記入されている。単行本は、三島死後である翌々年1971年昭和46年3月5日講談社より自筆原稿完全復元限定版刊行され同年5月6日刊行評論集蘭陵王三島由紀夫 1967.1 - 1970.11』にも収録された。その後1988年昭和63年)、雑誌群像5月号(創刊500記念特別号群像短篇名作選)に再掲載された。文庫版1980年昭和55年2月25日新潮文庫より刊行の『鍵のかかる部屋』に収録されている。 翻訳版は、中国(中題:蘭陵王)で行われている。

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若きサムライのための精神講話」の記事における「発表経過」の解説

1968年昭和43年)、雑誌Pocket パンチ Oh!6月創刊号から翌年1969年昭和44年5月号に連載された。初版単行本1969年昭和44年7月10日に『若きサムラヒのために』の題名で、日本教文社より刊行された。同書には他2編の評論3話対談収録され平成初頭まで多数重版された。なお、連載時単行本の章の順配列異なっている。文庫版1996年11月10日文春文庫より刊行された。 翻訳版は、イタリア(伊題:Lezioni spirituali per giovani samurai)で行われている。

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仲間 (小説)」の記事における「発表経過」の解説

1966年昭和41年)、文芸雑誌群像1月号に掲載され1967年昭和42年3月6日中央公論社より刊行作品集荒野より』に収録された。その他、中公文庫より1975年昭和50年1月10日刊行文庫版荒野より』や、多く怪奇アンソロジー収録されている。

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鏡子の家」の記事における「発表経過」の解説

1958年昭和33年10月雑誌『聲』創刊号1章2章途中まで掲載された後、翌年1959年昭和34年9月20日書下ろし新潮社より「第一部」「第二部」の2冊同時に単行本刊行された。発売1か月15売れた合冊文庫版1964年昭和39年10月5日新潮文庫より刊行された。翻訳版はマティルデ・マストランジェロ訳によりイタリア(伊題:La casa di Kyōko)、ポーランド(波題:Dom Kyoko)で行われている。 第一部起稿日は1958年昭和33年3月17日で、脱稿日は翌年1959年昭和34年1月3日第二部起稿日は同年1月5日で、脱稿日は同年6月29日である。約1年3か月執筆間の間三島原稿用紙にして947書いており、単純計算すると、1日2枚ペースだが、その間お見合い結納結婚式新婚旅行ビクトリアコロニアル様式新居建築大田区南馬込)、長女の誕生など、私生活多忙があり、実際に1日に3 – 5ペースだったとされている。

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ドルジェル伯の舞踏会」の記事における「発表経過」の解説

ラディゲは『ドルジェル伯の舞踏会』を18歳から20歳1921年から1923年9月末)にかけて書き上げたが、その後1923年11月末頃に突如体調崩して腸チフス診断されパリのピッシニ街の病院入院し病床校正刷チェックしながら治療専念していた。しかし快方には向かわずに、そのまま12月12日20歳短い生涯閉じた。『ドルジェル伯の舞踏会』はラディゲ遺作となり、死後の1924年7月Bernard Grassetより書き下ろし出版された。翻訳版は現在まで世界各国行われている。 ラディゲ死後出版された『ドルジェル伯の舞踏会』について、第三者ジャン・コクトージョゼフ・ケッセルなど)がテキスト手を加えたらしいとの噂が当時からささやかれていた。ケッセルは「純粋に物理的文法的な訂正」にとどまる校正行った認めていたが、その後の研究1924年1月ラディゲ生前最後に残した校正刷りに基づき出版社20部だけ印刷した部数限定版と、7月刊行され初版との間に700個所上の異同確認された。渋谷豊によると、うち600個所以上は「純粋に物理的文法的な訂正」の域を超えて文章簡潔にしたり一部カットされるなどしており、文意取れなくなってしまった個所もあるなど「書き直しもしくは改竄だった」としている。ただ、同時に執筆中のラディゲに対してコクトー助言惜しまずタイプ原稿コメント修正案書き込んだり、題名を『ドルジェル伯の舞踏会』とするよう提案するなど、同作ラディゲコクトー共作といえる部分があったことも述べている。現在、フランスで出版されている『ドルジェル伯の舞踏会』の普及版コクトーの手加わった初版基づいており、部数限定版によるテキスト2003年刊の批評校訂版初め採用された。

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世界の終わりに柴犬と」の記事における「発表経過」の解説

作者石原は、2017年5月からツイッター利用している。『世界の終わりに柴犬と』は本人の弁(単行本1巻あとがき)によると、「只々自由に好きなものを描く為だけに」ツイッター発表媒体として始めたのである人間世界滅亡していたり、動物たち普通に喋ったり、人外の存在いろいろと登場してきたりす理由については作中では明示されない。石原目的は、そのような疑問しがらみから解き放たれた「”自由”な世界」を舞台にして物語を描くことであった石原唯一変わらないものとして「飼い主関係性」に言及したハルさんは「としてのパートナー」、ご主人は「ハルさんご主人」として存在し彼女の名前出さない理由ご主人ハルさんの間にそれ以外関係性がないという判断挙げた同作累計リツイート30達す人気作となり、KADOKAWAWebマンガサイト、ComicWalkerでも2018年3月27日から配信開始した同年11月21日には、16ページ描き下ろし短編10年後の君と」を収録した単行本第1巻フルカラー)がKADOKAWAから発売された。単行本2019年11月22日第2巻2020年12月23日第3巻発売されている。

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ベルカ、吠えないのか?」の記事における「発表経過」の解説

作者古川は、1998年書きおろし小説13』(幻冬舎)でデビューしたその後アラビア夜の種族』(2001年角川書店)や村上春樹作品トリビュート小説中国行きのスロウ・ボートRMX』(2003年メディアファクトリー。後に『二〇〇二年のスロウ・ボート』と改題の上文春文庫収録)を経て、『ベルカ、吠えないのか?』の刊行至った。 『ベルカ、吠えないのか?』は、古川発表した9作目の本である。書きおろしとしては6冊目にあたり文藝春秋から2005年4月発売された。 『ベルカ、吠えないのか?』は、同年第133回直木三十五賞2005年上半期)の候補作となった古川にとって、これが同賞への初候補作であった選考結果朱川湊人の『花まんま』が受賞した)。 2008年に『ベルカ、吠えないのか?』は文春文庫から上梓された。文庫版カバーでは、「炸裂する言葉スピードと熱が衝撃的なエンタテイメント純文学幸福なハイブリッド」とのキャッチコピー添えられた。なお、文庫版には古川によるあとがきと、キスカ島の4頭から始まる犬たち家系図付加されている。 日本国外では、英語(英題Belka, why don't you bark? )、フランス語(仏題:Alors Belka, tu n'aboies plus ?)、イタリア語いずれも2012年)、ロシア語2014年、題:Белка, голос! )にも翻訳されている。英語版マイケル・エメリック訳、VIZ Media LLC)は、SF&ファンタジー英訳作品佳作選ばれた。

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十六歳の日記」の記事における「発表経過」の解説

1925年大正14年)、雑誌文藝春秋8月号(第3年第8号)に「十七歳日記」、翌9月号(第3年第9号)に「続十七歳日記」として連載された。以上が「十六歳の日記」と改題され、1927年昭和2年3月金星堂より刊行の『伊豆の踊子』に収録された。この作品収録するように勧めたのは梶井基次郎であったその後1948年昭和23年8月新潮社より刊行の全16巻全集の『川端康成全集第2巻 温泉宿』の巻末付された「あとがき」中で本作言及している2章目を「あとがきの二」として、1959年昭和34年11月刊行の全12巻全集の『川端康成全集第1巻 伊豆の踊子収録の際に付け加えられた。 翻訳版はJ. Martin Holman訳(英題Diary of My Sixteenth Year)、韓国(韓題:16歳日記)、ドイツ(独題:Tagebuch eines Sechzehnjáhrigen)、スペイン(西題:Diario de un muchacho)、中国(中題:十六日記)などで行われている。

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櫻の樹の下には」の記事における「発表経過」の解説

1928年昭和3年12月5日発行季刊同人誌詩と詩論第2冊掲載された。その後、基次郎の死の前年1931年昭和6年5月15日武蔵野書院より刊行作品集檸檬』に収録された。同書には他に17編の短編収録されている。 翻訳版は、ジョン・ベスターStephen Dodd訳によりアメリカ英題Beneath the Cherry Trees、またはUnder the Cherry Trees)、Christine Kodama訳によりフランス(仏題:Sous les cerisiers)で出版されている。

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母の初恋」の記事における「発表経過」の解説

川端康成1937年昭和12年)から1938年昭和13年)にかけて、雑誌婦人公論』に長編『牧歌』執筆し始めたが、この作品は〈序の口までしか書けなかつた〉と川端自身がいうように長編小説とはならなかったが、それから1年半ほど経た1940年昭和15年)に川端は再び、雑誌婦人公論』に連載の筆を取った。しかしそれは『牧歌』続編でなく、それぞれ独立した短編であった休載の月もあったが、こうした経過で9編の短編出来上がったそのうち最初短編が『母の初恋』で、1940年昭和15年)、雑誌婦人公論1月号に掲載された。単行本同年12月新声閣より刊行の『正月三ヶ日』に収録され翌年1941年昭和16年12月8日新潮社より刊行の『愛する人達』にも収録された。文庫版新潮文庫愛する人達』に収録されている。

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ながい旅」の記事における「発表経過」の解説

初出は『中日新聞朝刊)』1981年9月9日から12月29日、『東京新聞朝刊)』1981年9月9日から12月29日である。100回の予定連載開始されたが、10延長した新聞連載予告として、1981年9月4日の『中日新聞朝刊)』、『東京新聞朝刊)』に作者言葉掲載されており、岡田資10年以上興味持ち書きたい思っていたこと、連載小説実現できた喜び記されている。1982年5月新潮社から単行本刊行された。1986年新潮文庫2007年角川文庫になっている

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巡査の居る風景」の記事における「発表経過」の解説

巡査の居る風景』の初出は、同時期に書かれ習作蕨・竹・老人と共に短篇二つ」という総題を付し1929年昭和4年6月第一高等学校校内誌『校友会雑誌』第322号に掲載された。掲載する際に『巡査の居る風景』だけだと「左翼のように思われる」という懸念から、「毒消しの意味で「牧歌的な伊豆の話」の『蕨・竹・老人』と併せて中島投稿した書籍収録は、中島没後1949年昭和24年6月10日筑摩書房から出版され第一次中島敦全集 第3巻』が初収録となっている。

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ある心の風景」の記事における「発表経過」の解説

1926年大正15年8月1日発行同人誌青空8月号(第2巻第8号通巻18号)に掲載された。その後、基次郎の死の前年1931年昭和6年5月15日武蔵野書院より刊行作品集檸檬』に収録された。同書には他に17編の短編収録されている。 翻訳版は、Robert Allan Ulmer、Stephen Dodd訳によりアメリカ英題:A Landscape of the Soul または Landscapes of the Heart)、Guido Woldering訳によりドイツ(独題:Landschaft einer Seele)で行われている。

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ある崖上の感情」の記事における「発表経過」の解説

1928年昭和3年7月1日発行同人雑誌文藝都市7月号に掲載された。その後、基次郎の死の前年1931年昭和6年5月15日武蔵野書院より刊行作品集檸檬』に収録された。同書にはほかに17編の短編収録されている。 翻訳版は、Stephen Dodd訳によりアメリカ英題Certain Feelings on a Cliff Top)で行われている。

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わが友ヒットラー」の記事における「発表経過」の解説

1968年昭和43年)、文芸雑誌文學界12月号に掲載され同年12月5日新潮社から単行本刊行された。初演翌年1969年昭和44年1月18日劇団浪曼劇場第1回公演として紀伊國屋ホール上演された。 翻訳版は佐藤紘彰訳(英題My Friend Hitler)、イタリア(伊題:Il mio amico Hitler)で行われている。

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闇の絵巻」の記事における「発表経過」の解説

1930年昭和5年9月22日発行同人誌詩・現実第二冊に掲載された。その後、基次郎の死の前年1931年昭和6年5月15日武蔵野書院より刊行作品集檸檬』に収録された。同書には他に17編の短編収録されている。 翻訳版は、Robert Allan Ulmer、Stephen Dodd訳によりアメリカ英題:The Scroll of Darkness またはScroll of Darkness)で行われている。

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榎本武揚 (小説)」の記事における「発表経過」の解説

1964年昭和39年)、雑誌中央公論1月号から(11月号は休載翌年1965年昭和40年3月号まで14連載され同年7月26日中央公論社より単行本刊行された。なお、単行本は、初出誌版を加筆改稿した形のものが刊行された。

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癩王のテラス」の記事における「発表経過」の解説

1969年昭和44年)、雑誌『海』7月創刊号掲載され雑誌発売直後同年6月28日中央公論社より単行本刊行された。文庫版1975年昭和50年8月10日中公文庫より刊行されたが出版禁止絶版となり、現行では2002年平成14年12月刊行の『決定版 三島由紀夫全集第25巻戯曲5』でしか読めない翻訳版は佐藤紘彰訳(英題:“The Terrace of The Leper King”)で行われている。

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斗南先生」の記事における「発表経過」の解説

執筆時期は、最後の☆章(付記)に「昭和七年の頃」とあるように、東京帝国大学国文学科在学中1932年昭和7年)から翌1933年昭和8年3月卒業後の横浜高等女学校教員となって間もない時期にかけて書かれたとみられ、原稿末尾には「昭和八年九月十六日十二時半」と脱稿日が記されている。 この脱稿日の日付は、記された後に消されている「見せ消ち」であるが、中島伯父斗南遺稿詩文集『斗南存稾』を東大付属図書館寄贈した日付昭和8年1月23日)などの外部徴証からみても、1933年昭和8年9月16日前後脱稿日でほぼ間違いないものとみられており、ほとんどの中島関連資料年譜でも同年月が脱稿となっている。 原稿清書に関しては、中島横浜高女教師時代生徒飯島美江子(旧姓鈴木)の記憶によれば1939年昭和14年7月頃から「虎狩」「斗南先生」「山月記」の原稿清書中島から依頼されたとし、実際に中島がこの生徒清書依頼をした書簡日付も「昭和14年7月23日となっている。なお、この清書の年までの6年間の期間内に、一章から六章に加筆修正あったか定かではない。 「斗南先生」が発表されたのは、中島が「山月記」や「光と風と夢」で職業作家として文壇認められ後のことで、1942年昭和17年7月15日筑摩書房から刊行され初めての単行本第一創作集『光と風と夢』に収録されてから世に知られるようになった第一高等学校から東京帝国大学時代にかけての初期諸作の中では、中島唯一、初の単行本収録作品選んだのであるため、作者愛着うかがえるものとなっている。初収録決まった時期に、元の原形初稿)の最後の六章の後に☆印の付章が追記されて完成稿となった

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檸檬 (小説)」の記事における「発表経過」の解説

1925年大正14年1月1日発行の、中谷孝雄外村繁らとの同人誌青空1月創刊号巻頭掲載された。単行本は、梶井友人である三好達治らの奔走により、梶井亡くなる1年ほど前の1931年昭和6年5月15日武蔵野書院より刊行され印刷日は5月10日)、これが梶井生涯唯一の出版本となった同書には他に17編の短編収録されている。 翻訳版はアメリカ英題Lemon)、スペイン(西題:Remon)、中国(中題:檸檬)、フランス(仏題:Le Citron)、ドイツ(独題:Die Zitrone)などで刊行されている。

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宴のあと」の記事における「発表経過」の解説

1960年昭和35年)、雑誌中央公論1月号から10月号に連載され同年11月15日新潮社より単行本刊行された。当初単行本中央公論社より刊行予定であったが、小説のモデル有田八郎抗議を受け、中央公論社嶋中鵬二社長二の足踏んだため、新潮社からの刊行となった文庫版1969年昭和44年7月20日新潮文庫刊行された。 翻訳版はドナルド・キーン訳(英題After the Banquet)をはじめ、イタリア(伊題:Dopo il banchetto)、オランダ題:Na het banket)、ギリシャ(希題:Μετά το συμπόσιο )、スウェーデン(典題:Efter banketten)、スペイン(西題:Después del banquete)、ドイツ(独題:Nach dem Bankett)、フランス(仏題:Après le banquet)、中国(中題:宴之後)など世界各国行われている。

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ゼーロン」の記事における「発表経過」の解説

1931年昭和6年)、雑誌改造10月号に掲載された。この掲載は、改造社から “『中央公論』の人” と見なされ敬遠されていた牧野信一が、雑誌改造』に発表した唯一ののであるその後1936年昭和11年2月25日書店より刊行の『鬼涙村』に収録された。

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発表経過

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/14 09:04 UTC 版)

交尾 (小説)」の記事における「発表経過」の解説

1931年昭和6年1月1日発行同人誌作品1月号に掲載された。その後同年5月15日武蔵野書院より刊行作品集檸檬』に収録された。同書には他に17編の短編収録されている。 翻訳版は、Robert Allan Ulmer、Stephen Dodd訳によりアメリカ英題Mating)、Christine Kodama訳によりフランス(仏題:Accouplements)で行われている。

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発表経過

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抒情歌 (小説)」の記事における「発表経過」の解説

1932年昭和7年)、雑誌中央公論2月号に掲載され挿画高井貞二)、翌年1933年昭和8年6月26日新潮社より刊行の『化粧口笛』に収録された。その翌年1934年昭和9年12月25日に『抒情歌』として竹村書房より単行本刊行された。 翻訳版はFrancis Mathy訳(英題Lyric poem)、韓国(韓題:抒情歌)、ロシア(露題:Энергия)、フランス(仏題:Élégie)、イタリア(伊題:Lirika)、ポーランド(波題:Elegia)など世界各国行われている。

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発表経過

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夫婦善哉 (小説)」の記事における「発表経過」の解説

1940年昭和15年)、雑誌海風4月号(第6年第1号)に掲載された。改造社第一回文芸推薦作品となり、同年雑誌文藝7月号に再掲載された。単行本同年8月15日創元社より刊行された。文庫版岩波文庫新潮文庫講談社文芸文庫などから刊行されている。 なお、2007年平成19年)に続編(『続夫婦善哉』)の原稿発見され同年10月雄松堂書店より正編続編合わせた完全版夫婦善哉』が刊行された。続編別府舞台となっている。

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