各論
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動物細胞の脱水や解凍についてさまざまな知見が知られている。その中では、一気に冷凍を行い氷晶が成長しないうちに冷凍を完了する、もしくは徐々に冷凍を行い粗大な氷晶が析出しないようにする、というのが基本的な理論である。 糖類溶液などによって高浸透圧とする(これについて糖類にトレハロースを用いる、溶媒としてジメチルスルホキシドを用いるなど、氷晶の成長を抑制する試みがなされている)・フリーズドライ(真空凍結乾燥処理)を行う・水分をグリセリンなどに置換してガラス化させるなどの手法が知られている。グリセリン置換を行うと細胞がガラス転移点を獲得する(冷却しても非晶質になる)ため、冷凍時に細胞内での氷晶の生成が抑制される。そのため、氷晶の成長による組織の破壊を防ぐことができる。この目的に加える物質を、凍害防御剤 (cryoprotective agent, CPA) と呼ぶ。 植物における適用としては、主に遺伝資源の保存を目的に植物の種苗や組織の低温保存が行われている。種子や花粉は冷凍状態では数年以上にわたる保存が可能であるものが多く存在しており、経代栽培による遺伝資源の保存と平行して行われている。組織切片については、動物細胞と同様の方法によって保存が行われている。枝・株単位などの状態では、予備冷凍を行う、高浸透圧物質による処理を行うなどの手法が研究されている。一部で成功をみているが、手法としては発展途上である。また、生育している植物については、糖類やプロリンの施用によって低温ストレスへの耐性が増強されるとの知見がある。 動植物の個体単位への研究では、極寒地における動植物の耐低温メカリズムの解明・冬眠のメカニズムの解明・耐低温遺伝子の研究・それらの人為的な操作への応用などが行われている。冬眠時の動物では脂肪の不飽和度の上昇による脂肪凝結防止が発生している、低温の海域に生息している魚類は不凍タンパク質 (Antifreeze protein, AFP) の存在によって組織液中で氷晶の成長を抑制しているなどの知見が今までに得られており、これらの応用・実用化が研究途上にある。
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各論
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生物学を大きくふたつに分ける場合、個体の内部の生命現象を解析する方向(=広義の生理学)と、個体間・種間・個体と環境など関係を個体の外に求めてゆく方向(=広義の生態学)がある。 また、生物学の各論には、生物の系統分類と生物学的階層性という大きな2つの軸があるとされる。前者によって分類する場合、代表的な分野は、動物学、植物学、微生物学の3つである。それぞれは系統分類にしたがってさらに細分化できる。動物学の下位には原生動物学、昆虫学や魚類学、脊椎動物学などがある。同様に、植物学の下には顕花植物学や樹木学など、微生物学の下にはウイルス学や細菌学などがある。これらの分野では、生物の特異性・多様性を重視する流れがある。 一方、対象の大きさ、つまり生物学的階層性(すなわち現象)を軸にすると、代表的な分野は、分子生物学・生化学、細胞生物学、発生生物学、動物行動学、生態学などがある(図)。生態学は生物群の大きさによって個体群生態学、群集生態学などに分けられる他、対象とする場所を重視する場合は森林生態学や海洋生態学、極地生態学などの名称も用いられる。生物学的階層性は生物の分類に対して横断的であり、生物の普遍性が注目される。この軸では個体レベルを境として大きく2つに分けることができる。この視点から諸分野を見ると、個体レベル以下を扱う分野は分子生物学の影響が強く還元主義的な傾向があり、個体レベル以上を扱う分野は全体論的な傾向がある。動物発生学や植物細胞学などの分野は、この2つの軸を考えるとその領域が把握しやすい。
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各論
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政府は競争政策上の観点から再販制度の見直しを進めており、知的財産推進計画では非再販商品の流通拡大や主に出版物を対象とした時限再販の積極採用を謳う項目が2004年度から存在する。
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各論
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廃棄物処理法違反と風営適正化法違反は、いずれも2007年をピークに減少傾向にある。 児ポ法違反は、2012年の施行以来、2014年改正による処罰範囲拡大などもあり増加傾向であったが、2019年にはやや減少に転じた。 サイバー犯罪のうち不正アクセス行為は、2000年から2019年に至るまで、増減を繰り返しながら徐々に増加している。2019年度においては、ネットバンキングの不正送金事案が60%以上と圧倒的に多い。 児童虐待防止法関係では、2019年に至るまで、児童相談所の対応案件数および検挙人員数のいずれも一貫して増加している。罪名別では、特に障害や暴行の増加が著しい。 2019年においては、加害者は全体では父親が70%以上と多いが、殺人・保護責任者遺棄案件では母親が高かった。実父による犯罪は傷害・暴行が8割以上を占め、性犯罪は1割に満たなかったが、実父以外の父親による犯罪のうち性犯罪は27.3%にのぼった。 配偶者暴力防止法事案では、同法に基づく保護命令違反の件数は2015年から2019年にかけて減少し続けているが、その他の法令違反となるDV事案は増加しており、暴行罪および暴力行為等処罰法違反での検挙数の増加が著しい。
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各論
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/12 09:31 UTC 版)
離婚後共同親権を認めているアメリカでは以下のように運用されている。 共同親権で、親の意見が一致しない場合は、どうなるのか協力して親権を行うのが望ましいが、それが困難な場合は、交互に親権を行う。例えば、父親の家にいる時は父親の意見を優先させ、母親の家にいる時は母親の意見を優先させる。また、意見を優先させる側を、1年ごとに交代する方法も行われる。 意見の不一致が起きやすい状況は同じである。例えば、課外活動(塾、スポーツクラブ、稽古事など)にかかるお金を誰が負担するかということで争いが起きやすい。最初に「課外活動にかかる費用は、父親が60%を負担し、母親が40%を負担する」などと決めておくと良い。既成の育児計画(Philip Michael Stahl 2007など)を参考にして、最初にしっかりした育児計画(養育プラン)を作成しておくと、後の多くの争いを避けることができる。 父親の家と母親の家とで、教育方針が異なっても、子供はその状態に良く順応する。相手の育児方針を批判せずに、自分の育児方針を良くすることだけを考えて、親としての自分の役割を立派に果たすことだけを考えるのが良い。 片親は、まず自分の単独親権を求めて、その実現が困難な場合に共同親権を求めるということか単独親権と共同親権では、考え方が全く異なる。単独親権では、子供を相手から排除しようとするが、共同親権では、子供の発育に両方の親を関与させようとする。 単独親権を求める場合には、相手と敵対する。「相手は親として失格であり、自分は親として適任である」などと主張して、子供を奪い合う。そして、二人の親を持つという子供の権利を否定する。逆に、共同親権では、協力して子供を育てようとして相手との信頼関係を築く。また、子供の大切な権利を守ってあげることにより子供との信頼関係を築く。 単独親権と共同親権の違いは絶対的なものか 両者の違いは、相対的なものであり、量的な差に過ぎない。身体的親権(子供と一緒にいる時間)は、0%から100%まで、連続的に変化する。また法的親権(決定権)も、多くの項目について、分けて担当することが可能である。 実際、米国の多くの州で、共同親権の定義は、子供と一緒にいる時間が決められた基準以上であることとされている。決められた基準は、20%〜40%の値である。逆に単独親権の定義は、子供と一緒にいる時間が決められた基準以下であることとされている。 単独親権から共同親権になると、養育費はどうなるのか父親と母親の合意があって、裁判所が容認すれば、どのような養育費にすることも可能である。裁判所が決める場合には、例えば米国では、次のような方法が用いられる。(単独親権の場合の養育費は、まず子供が必要とするお金を計算し、それを父親と母親が収入に応じて負担する。もし母親が100%の時間を子供と過ごすのであれば、父親が負担する金額は、全額母親に渡される)。 共同親権における養育費の考え方の一つは、共同親権になると子供に必要な生活費が増えるという考え方である。例えば、ベッド、布団、玩具、衣類、本、ゲームなどは、両方の家に用意する必要がある。単独親権の場合に子供が必要とする金額に適当な数(通常は1.5)をかけて、共同親権の場合に子供が必要とする金額とする。これを子供の総収入とする。これを、父親と母親が、それぞれの収入に応じて負担する。子供の総収入と総支出は同額である。子供の総支出のうち、子供と一緒にいる時間の分だけ各親が支出すると期待される。父親の「負担額」と父親に期待される「支出額」の差額が、父親が母親に渡すお金(養育費)である。 もう一つの考えは、単独親権の時の養育費を、固定的な部分(施設費など)と、変動する部分(食費など)に分ける考え方である。固定的な部分は、父親と同じ生活水準を提供する部分でもある。そうして共同親権になれば、変動する部分だけを、子供と一緒にいる時間に比例して減らす。これは、国連の子どもの権利委員会が推奨する方法である。 ウィスコンシン州の例では、父親も母親も年収が3万ドルで子供が1人の場合、父親が子供に全く会わない場合の養育費は、月額約600ドルである(2004年のガイドライン)。父親が子供と会う時間が増えても、子供の時間の24%までは、養育費の額は変わらない。しかし、父親が子供と会う時間が、子供の時間の25%以上になると、養育費は減額され、子供の時間の50%になると、養育費は0になる。 オーストラリアの場合、非同居親が支払うべき養育費は、非同居親が子供と過ごす夜の数が1年の30%未満であれば減額されない。ただし、政府が支給する子供手当は、非同居親が子供もと過ごす夜の数が10%以上であれば分割される。
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各論
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/07 06:29 UTC 版)
「ドイツ無政府主義ポゴ党」の記事における「各論」の解説
ポゴ無政府主義と酒の関係は切り離すことができない。なぜなら酒は良い気晴らしであるからである。性行為に対しても極めて肯定的である。なぜならSEXは気持ち良いからである。また麻薬使用に関しても寛容であり、真理を見つける方法または一時的な現実逃避として推奨している。さらにポゴ無政府主義理論では、これらがワーカホリック(仕事中毒)の人々に職を与えるとさえ主張している。ポゴ無政府主義理論の重要な特徴は、怠慢な人々だけではなく、仕事中毒の人々をも救済可能な理論であるという点である。
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各論
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/16 02:26 UTC 版)
アッカーが1972年に最初の著作 Politics を上梓したとき、詩とエッセイからなるこの本は批評家からも一般からもあまり注目されなかったが、ニューヨークのパンク・シーンでは名声を高めた。1973年、Black Tarantula の筆名で[要出典]最初の小説 The Childlike Life of the Black Tarantula: Some Lives of Murderesses を、翌74年に小説第2作 I Dreamt I Was a Nymphomaniac: Imagining を出版する。 1979年に短編小説 New York City in 1979 がプッシュカート賞を受賞し、ようやく一般に知られるようになったが、1982年の Great Expectations まで批評家の関心を惹くことはなかった。Great Expectations は、書き出しがディケンズの同名小説 (『大いなる遺産』) の明白なリライトであるほか、母親の自殺に触れた半自伝的要素や、複数の作家からの借用 (ギュヨタからのどぎつい暴力・性的描写など) といったアッカー作に一般的な特徴を備えている。また、この年には Hello, I’m Erica Jong と題したチャップ・ブックも出版している。 1983年に公開された映画 Variety (監督ベット・ゴードン(英語版)、出演ナン・ゴールディン、ウィル・パットン、ルイス・ガスマンほか) では、アッカーは脚本を担当している。 アッカーは Great Expectations 以後ひろく認知されるようになったが、一般的には1984年の『血みどろ臓物ハイスクール』が出世作であるとされることが多い。本作はアッカー作品のうちでもとくに暴力と性的描写の度合いが突出している。『ハイスクール』は、ホーソーン『緋文字』などから借用しつつ、セックス中毒かつ骨盤腹膜炎病みで父親に惚れている都会っ子の主人公ジェイニー・スミスが、のちに父親に奴隷として売られるまでを描く。本作は多くの批評家から女性に対して侮蔑的であるとして批判されたほか、ドイツでは発禁処分を受けた。Hannibal Lecter, My Father でアッカーは『ハイスクール』に対するドイツ法廷の判決について述べている。 1984年 My Death My Life by Pier Paolo Pasolini、1985年 Algeria: A Series of Invocations because Nothing Else Works を出版。1986年、もっとも評価の高い作品のひとつ『ドン・キホーテ』が出版される。本作はアッカーの解釈によるセルバンテスの『ドン・キホーテ』であり、主人公のドン・キホーテは若い女となっている。彼女はポスト構造主義理論に憑りつかれており、ポスト構造主義をニヒリズムの極限まで突き詰めていく。のみならず、ドン・キホーテは錯乱状態でサンクトペテルブルクとニューヨークの路上をさまようのだが、この錯乱状態はドン・キホーテが中絶手術を受けたことによる。世界のさまざまな嘘と偽りを知り、ドン・キホーテは何も信じないようになっていき、自らを物語内の架空の構築物であると考えだす。ドン・キホーテは、サンチョ・パンサよろしく彼女に仕える犬の聖シメオンとともにニューヨーク市とロンドンの周りを行進しながら、性差別社会に攻撃を加え、同時にフェミニズムにまつわる誤った通念を解体していく。 アッカーは1988年の『アホダラ帝国』を自身の創作活動におけるターニング・ポイントとみなしている。『アホダラ帝国』ではまだ借用はみられるものの (トウェインの『ハックルベリー・フィン』など)、以前より顕著ではない。とはいえギブスンの『ニューロマンサー』からの借用はアッカーによる全借用のうちでもかなり賛否の分かれるものである。ギブソンの文章を用いてアッカーは社会的コードを女性の身体およびその軍事性と同一視している。『アホダラ帝国』は半分人間で半分ロボットの Abhor とその恋人の海賊 Thivai という二人のテロリストの語りからなる。物語は近未来、革命が起きたパリの廃墟に設定されている。本作でも、他の作品同様暴力と性が生々しく描かれているが、過去作に比べて作者の意識は言葉そのものに向かっている。 同じく1988年には3作の過去作をまとめた Literal Madness: Three Novels を出版している。同書収録の Florida はジョン・ヒューストンによるフィルム・ノワールの古典『キー・ラーゴ』 (1948年) を脱構築し、『キー・ラーゴ』の根底にある男性政治そのものへと変形させている。また、Kathy Goes to Haiti ではヴァケーション中の若い女の性愛関係と性的搾取を扱い、My Death My Life by Pier Paolo Pasolini は謎の暴行死を遂げたイタリアの映画監督パゾリーニの架空の自伝となっており、自伝中でパゾリーニは自らの殺人事件を解決する。 1990年から1993年にかけて In Memoriam to Identity (1990年)、Hannibal Lecter, My Father (1991年)、Portrait of an Eye: Three Novels (1992年・過去作の再録)、『わが母 : 悪魔学』 (1992年) の4冊が出版されている。これらの後期作品は、過去作で扱ったタブーに対して以前と同様のやり方で挑んでいるため、冗長で意外性に欠けると評されることが多い。1996年に発表された最後の小説となる Pussy, King of the Pirates ではユーモアが量を増したほか、ライトなファンタジー、東洋思想に関する考察といった、初期作品にはあまりみられない領域への関心の拡大が示されている。
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各論
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/21 08:10 UTC 版)
明確な統計は無いが、全国的には通常、ひら担ぎと呼ばれる「わっしょい」の掛け声で神輿を揺らさずに担ぐ地域が多いと思われる。揺らす場合は江戸前に分類される。 江戸前担ぎ:東京都内では「えっさ、えっさ」の掛け声で神輿を揺らす担ぎ方が有名であるが、近年は神輿同好会等の影響で「オイサ」「セイヤ」「ソイヤ」の掛け声が増えている。浅草三社祭・鳥越祭り・神田明神祭など、東京の祭礼の殆どはこの担ぎ方となっている。 ちょいちょい担ぎ|城南担ぎ:同じ都内でも漁師町であった品川・大田近辺では、小波に揺れる舟のように小刻みに神輿を振る。2点棒でトンボが複数あり、大拍子という太鼓が付いているのが特徴である。 どっこい担ぎ: 湘南地方では、湘南甚句と共に「どっこいどっこい、どっこいそりゃ」の掛け声でタンスを鳴らし、神輿を上下に揺らし担ぐ形式が一般的である。極みとして、茅ヶ崎「暁の祭典浜降祭」7月海の日開催がある。 小田原担ぎ:「オイサー、コラサー」の掛け声から木遣り唄(浜木遣り)とともに走る(跳ぶ・突っ駆ける)動作があり、他の神輿と合体する事も特色である。漁師の祭りであった松原神社例大祭が原型とされ、荒波・転覆を連想させるため御霊が入っている時は神輿を揺らさない。小田原流とも呼ばれるこの担ぎ方で渡御する神社は、小田原市内に数社あり、ゴールデンウィーク5月3日北條五代祭りのパレードの他、4日5日と斎行される山王神社、大稲荷神社、居神神社、松原神社の例大祭などで見られる。 ヨコタ担ぎ:羽田では大波に揺れる舟のように左右に大きく振るがある。神輿を振りやすいように2本の芯棒に数本の横棒をつけただけの棒組となっている。 深川担ぎ:平担ぎに加えて神輿を揉み、差し上げる担ぎ方が有る。 掛け声は「もーめ もーめ」「さーせ さーせ」。 佃担ぎ:佃では 「おりゃ、おりゃ」の、掛け声で神輿を一切揺らさず担ぐ。揺らす時は地面すれすれでの上下に揉む時で、揉んでから一気に差し上げる。 行徳担ぎ:行徳近辺では神輿を差し上げ、空中に放ったり、地面にギリギリまで降ろしたりする。 房州担ぎ千葉県の大原はだか祭りに代表される担ぎ方であり、掛け声は「そらやー、よいさー、ほいさー、そーりゃー、そいきた等々」である。二点棒なので神輿振りである横振が見られ、大原や一宮で小田原担ぎのように走ることもある。また大原では「おーいやのせーだ」「よーいと」などの掛け声とともに神輿を真上に投げあげるのが特長である。 関西方面では京都市内などで、松尾大社の神幸祭・還幸祭や八坂神社の祇園祭や中心に「ホイットー、ホイットー」と掛け声を掛けながら、前進したままでシーソー状に激しく神輿を振り回す。鳴鐶(ナリカン)と呼ばれる金具の鳴り物を激しく打ち鳴らすのが特徴である。また神社拝殿の回りを練り暴れる拝殿回しでは、ひたすらカーブを切りながら上記のようにシーソー状に激しく振りながら前進する。境内が狭い場合などは神輿を軸にしてグルグル旋回しながら暴れることもある。 愛媛県などでは、神事として神輿同士を激しくぶつけ合う喧嘩神輿が見られる。祭によって、ぶつけ合うこと自体を目的とする場合もあれば、相手の神輿を落とした側を勝ちとする試合形式で行う場合もある。また地域を問わず、同じ祭で複数の神輿が鉢合わせた際、自然発生的に互いの威勢を競い合うような状況となった場合も喧嘩神輿と呼ばれることがある。 わっしょ担ぎ:富岡八幡宮などで見られ、神輿を膝元まで下げて一気に担ぎ上げる。 千鳥担ぎ:新宿十二社の熊野神社で見られ、担ぎ棒の先端を首の後ろの付け根で担ぐ。
※この「各論」の解説は、「神輿」の解説の一部です。
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