各資料の記述の比較
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/07/13 02:00 UTC 版)
「ペンダ (マーシア王)」の記事における「各資料の記述の比較」の解説
この時代の資料は少ない。ペンダに関する資料としては9世紀のウェセックス王国で編纂された『アングロサクソン年代記』、7世紀のノーサンブリアの修道士ベーダ・ヴェネラビリス(以下「ベーダ」と略す)の記した『イングランド教会史』、そして9世紀にネンニウスが記したとされるブリトン人の史書『ブリトン人の歴史(Historia Brittonum)』がある。 『イングランド教会史』によればペンダは「マーシアの高貴な血筋より出でた最も好戦的な男」と書き記され、633年のエドウィン王の敗北に続いて彼はマーシアを22年間統治、様々な富をもたらしたと伝えている。このベーダの記述を考証した20世紀の歴史家フランク・ステントンは彼が高貴な血筋であった事は間違いなくエドウィン亡き後唯一の王となったのだろうと結論を述べている。 『ブリトン人の歴史』では、彼の統治期間は10年としている。恐らくこれは642年のマザーフィールドの戦いから数えた数字であると思われるが、実際には10年以上の統治期間があった事は認められている。前述のアングロサクソン年代記は統治を30年としており、違いは明らかである。この違いは恐らくペンダに関する資料のどれもがマーシアのものでないからと考えられている。 ベーダの生まれ故郷であるノーサンブリアはペンダの敵国であり、『アングロサクソン年代記』の書かれたウェセックス王国の前身である西サクソンはペンダが王を放逐させ支配下に置いた国である。すなわち現存する3つの資料のうち2つが敵国ないし被征服側の資料である事は留意すべきである。 以下、著述される資料の違いを明確にするために『』で表す事とする。
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