マーシアとは? わかりやすく解説

マーシア

作者レベッカ・ハーディング・デイヴィス

収載図書約束の朝日―レベッカ・ハーディング・デイヴィス短篇集
出版社本の友社
刊行年月2000.10


マーシア

名前 Mercier

マーシア王国

(マーシア から転送)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/08/02 06:33 UTC 版)

マーシア王国
Kingdom of Mercia
Miercna Rīce
Merciorum regnum


527年 - 918年
(国旗)

マーシア王国の勢力圏(緑)の変遷
公用語 古英語ラテン語
首都 タムワース (イングランド)リッチフィールド (イングランド)
国王
527年 - ? イチェル(初代)
変遷
建国 527年
滅亡918年
マーシア王国の勢力領域。7世紀から9世紀頃にかけて最大版図を得た。濃緑色部分は6世紀頃の支配地域

マーシア王国英語: Kingdom of Mercia)は、中世初期イングランド七王国のひとつであるアングル人の王国。7世紀中ごろから9世紀初頭にかけてイングランド中部で強い勢力をもち、特に8世紀にはふたりのブレトワルダ(上王、大王)を輩出した。マーシアとは「辺境の人々」を意味する Mierce をラテン語化させた後世の呼び名である。

時代背景

古代ローマの力が去った中世初期イングランドでは、ブリトン人と北方のピクト人スコット人などとの間で勢力争いが激化していた。ブリトン人諸王国は古代ローマにならい、異民族をもって異民族にあたらせた。すなわち北欧・ユトランド半島アングロサクソン人戦士団をイングランドに招き、雇い入れて戦力として使ったのである。しかしこのことによって、アングロサクソン戦士団はブリテン島が定住に適していることに気づいた。アングロサクソンの戦士団は独立勢力となって自らの王国を築き、ブリトン人と対立するようになった。

アングロサクソンの移民はふたつの波によってもたらされたとする考え方が現在支配的である。すなわち、まず戦士団がブリトン人の王に雇われるかたちで移入し、かれらが独立勢力となって土地を切り取り、つづいて大量の一般農民を招じ入れたとする過程である。一般農民の定住によって初めて、かれらはイングランドに根ざした勢力となりえた。

七王国と支配関係

アングロサクソン時代のイングランドは七王国時代ともいわれるが、実際のところ存在した王国は100を超えると推定される。七王国と呼ばれるようになったのは、アングロサクソン年代記などによってあと付けされたためで、実際に七王国にあげられている諸王国とそうでない王国の間に確たる差があったわけではない。これらの王国は勢力争いを繰り広げたが、負けた王国は滅ぼされるわけではなく、勝利した側に臣従することによって一種のヒエラルキー構造をなしていた。この国どうしの臣従の慣習は、上位支配権もしくは宗主権 (Overlordship) と呼ばれる。

諸王国は安定的な王位継承制度を確立しておらず、王の死亡によって王国とその力は簡単に瓦解することがしばしばであった。代々のブレトワルダは広大な地を上位支配権によって版図に組み込んだが、それに従う小王国は隙あらば独立の機を窺っていた。また王位継承をめぐる内紛もたびたび起こり、イングランドの統一やそれを目指すまとまった動きは見られなかった。

アングロサクソンの社会

アングル人・サクソン人は3ないし4の身分階級を有する階級社会であった。上位支配権によって臣従した小王国の王族出身であるエアルドルマンが支配階級となり、その従士たるイェシースやセインは土地所有階級だった。その耕地は一般農民チェオルルによって耕作されていたほか、奴隷も存在していた。奴隷は敗戦国の民衆や債務者などからなり、奴隷は有力な「交易商品」でもあった。アングル人の奴隷がローマで売買されていたという記録も残っている[1]。エアルドルマンやイェシース・セインに並んで交易商人や聖職者も特権階級を形成しており、当時の記録のなかには「祈る者、戦う者、働く者」の3階級で社会を説明するものもある[2]

地理的条件

マーシアの地理的条件を望見すると、北にノーサンブリア王国、南にウェセックス王国、西にウェールズのケルト諸国といった難敵に囲まれた地域であり、マーシア王国自体の版図はさほど大きくない。むしろ7世紀以降、上位支配権を得た小王国によってマーシア王国の支配地域は成り立っており、したがってマーシア王国本体が弱体化すればこれら小王国は旗色を変えて他の強国につくこともあった。こうした小王国の奪い合い、さらには強国どうしの上位支配権争いが常態化していた。ほとんどの王国を上位支配権によって臣従させた王は、のちにブレトワルダとよばれ、マーシアから2人を輩出した。

キリスト教の再布教

七王国時代は、イングランドにキリスト教が復興した時代でもあった。ローマ帝国の衰退によって、ブリテン諸島はいったんはキリスト教の圏外となった。流入してきたアングロサクソン諸部族は当初ゲルマン神話に基づく信仰を有しており、キリスト教世界からみればイングランドは蛮族の地となっていた。スタフォードシャーのウェンズベリ(Wednesbury)は主神ウォウドゥン(Woden)(北欧神話のオーディン(Odin)に相当)の名に因むほか、英語の曜日名にもゲルマン神話の残滓が見られる。諸々の王国は次第にキリスト教に改宗していったが、マーシア王国は比較的遅くまでキリスト教に改宗しなかった。

盛衰の過程

ベーオウルフの残存している部分。ゲルマン最古の叙事詩のひとつで、古代イングランド文学の最高峰ともいわれる

マーシアの成立

マーシアはユトランド半島南東部のアンゲルン半島(現ドイツ領)から渡ってきたアングル人で、そのなかでも最も西に進出し、ブリトン人支配地域に近かったため古英語の Merce(辺境人、もしくは進軍する人々)からマーシアと呼ばれるようになった。しかしその出自については、他の七王国にもまして不明な点が多い。これはマーシアが文字記録を残すことに熱心でなかったこと、文化面で後進国であったことが影響しているが、考古学による発掘調査などから、6世紀にはテムズ川北岸に勢力を持っていたと推定されている。マーシアの名は現在も、イギリス陸軍戦列歩兵メルシャン連隊コヴェントリーFMラジオ放送局「Mercia FM」などに残っている。

マーシアの初期の変遷については、残存する記録の少なさとその史料的信頼性の低さがあいまって定説をみない。名前の由来が国境の人々という意味である事から、この国の起源は古来の民であったブリトン人と新参者であったアングロサクソン人の緩衝地帯であった事が窺える。もっとも、この説には異論があり(ハンター・ブレアなど)、この『国境』という意味は隣国ノーサンブリア王国およびトレント川に住む原住民との事を指しているという説もある。

そして伝説などからマーシアの起源をたどれば、『ベーオウルフ』の登場人物オルゲンシーオ[注釈 1](? - 515頃)に辿り着く。アングロサクソン年代記などによれば、エオメル[注釈 2]の子イチェル(? - 501頃)がアングル人の一派を率いて海に渡ってきたのは5世紀末のことで、マーシア王国の最初の王はイチェルの曾孫のクレオダ540頃? - 593)とされる。クレオダはタムワース (Tamworth) に城砦を築き、王城とした。そして王位はピュバに継がれたと言う。しかしこれら初期の王たちはいずれも半伝説的存在にとどまり、実在が間違いないと考えられているのは次の王位を継いだ、クレオダの親族とされるチェオルル606頃 - 626)からである。

マーシア王ペンダを描いた、ウースター聖堂のステンドグラス

ノーサンブリアとの覇権争い

7世紀初頭はノーサンブリア王国が北のピクト人やスコット人、ウェールズのブリトン人などを圧迫して勢力を広げ、ブレトワルダの称号を得ていた。この時期の史料として歴史家ベーダが残したものが知られているが、ベーダ自身はノーサンブリア出身であり、マーシア王国とその王に関する記述は公平を欠くものと受け止められている。ベーダがマーシア王国をきらったのにはキリスト教に改宗していないという宗教的事情もあったが、それでもマーシア王国について書かなければならないほど力をつけてきていた。ペンダ (? - 655?)王の頃にはイングランド中部の覇権をかけてノーサンブリア王国としばしば争い、ハットフィールド・チェースの戦い (633) 、マスターフィールドの戦い (642) に勝利してマーシアは強国にのし上がった。この勢いでブレトワルダの地位を手中に収めるかに見えた矢先、655年ウィンウェッドで決定的敗北を喫し、マーシア王ペンダが討ち死にしたばかりでなく、ノーサンブリアの傘下におさまることになった。

ウルフヘレによる再興

その後マーシア王国を立て直したのがウルフヘレ (? - 675)である。ノーサンブリア王国の従属国状態から脱し、ケント王国ワイト島など南部・南西部をその支配下におき、さらにキリスト教に改宗した。当時キリスト教に改宗することは、ヨーロッパから独立した島国ではなくキリスト教世界に組み込まれることを意味していた[注釈 3]。マーシアは着々と勢力を広げつつあったものの、このときの支配領域はイングランド南半分に限られ、また西のウェセックス王国の勃興にも手を焼き、イングランド全土にその支配を広げるのは8世紀も後半になってからのことである。

ブレトワルダ時代

オッファの防塁英語版フランクシャルルマーニュも同様の城壁を築くことを計画したが実行できなかった。またイングランドとウェールズの国境線をほぼ画定した

マーシアは8世紀後半にふたりのブレトワルダを輩出した[注釈 4]。すなわちエゼルバルド (在位:716 - 757) とオッファ (在位:757 - 796) である。エゼルバルドは教会への課税を強化して国力を蓄え、西の難敵ウェセックス王国を屈服させた。こうしたエゼルバルドの積極政策は内外に敵を多く抱えることになり、エゼルバルドは自らの護衛によって暗殺された[注釈 5]。つづくオッファの時代が、マーシア王国の絶頂期であった。永年の宿敵ノーサンブリア王国を屈服させて上位支配権を獲得したのみならず、支配下におさめていた小王国を解体させ、オッファの親族や腹心を統治者として送り込んだ。

オッファの防塁英語版ハドリアヌスの長城にも劣らぬオッファの歴史的偉業とされる。攻めてくるブリトン人を防ぐためのものか、切り取った地域を守るためのものか、その建設意図は明らかでない。この防塁に関して分かっていることは、すでにあった「ウォットの防塁」を延伸するかたちでイングランドとウェールズの間に築かれた。さらにフランク王国とも対等な外交を展開し、このように力を示したオッファはレクス・アングロルム (Rex Anglorum) 、すなわち全アングル人の王と自ら名乗った。

衰退の時代

オッファは死に際して後継者をエグフリスにさだめ、臣下たちから忠誠をとりつけたが、肝心の後継者エグフリスがオッファの死後141日で没してしまい、ウェセックス王国などいくつかの諸王がマーシア王国から独立した。混乱の極にあったマーシア王国をコエンウルフ(チェンウルフ)がまとめ、独立した諸国をただちに平定した。しかしウェセックス王国はマーシア王国に勝利して独立を確固たるものにし、さらに教会への課税を強制するほどの力はなくなっていた。折しもヴァイキングがブリテン島東岸に出没しはじめ、各港が襲われてきていた頃であった。

マーシア王国は没落への道を一直線かつ急速にたどったわけでは必ずしもないが、南西の強国ウェセックス王国はヴァイキングによる被害がほとんどなく、9世紀に入るとウェセックス王国の力に対抗しえなくなってきていた。幾度か独立を回復したこともあったが、基本的にはウェセックスの上位支配権をあおぐ形となった。825年エランダンの戦い英語版でマーシアはエグバートの率いるウェセックス王国に敗北し、イングランドは統一された。

868年デーン人のブルグレッドがマーシア王位についたが、これが最後のマーシア王となった。ブルグレッドは874年追放され[4]、マーシア王国はデーン人とウェセックス王アルフレッドによって分割、歴史の表舞台から姿を消した。

9世紀初頭のイングランド勢力図

マーシアの残した影響

マーシアはアングロサクソンの社会を色濃く残し、比較的ローマやキリスト教の影響の埒外にあった。いうなれば「野蛮な」勢力のひとつで、その性格は北に隣接する大国ノーサンブリアが早くからキリスト教に改宗して華やかな文化を築いたことと対照的だった。ロンドンを勢力下に収めてからは商業に力を入れ、王の肖像と名を刻印した貨幣を多く鋳造した。マーシアとその覇権は、イングランドに以下のような社会の変化をもたらした。

七王国時代のブリテン島は大小無数の王国が林立し、戦士団の首長として王が君臨していた。王は自らの威光を保つために戦って勝利しつづけなければならず、敗北と死は同義であるのみならず、安定的な王位継承制度など望むべくもなかった。マーシア王国の「トライバル・ハイデジ」はブレトワルダ時代に作成された徴税のための土地台帳である。マーシアは単なる戦士団としての王国から、統治機構としての王国へと変貌をとげつつあった。

七王国時代のイングランドは、ブリトン人もアングル人もサクソン人も、それぞれ個々の王国に拠って相争っていた。オファが「全アングル人の王」と名乗ったこと、さらにこの時期にヴァイキングの襲来が始まっていたことなどから、アングロサクソン人の間に仲間意識が芽生え始めていたという指摘もある[5]。イングランドは無数の小王国が林立する状態から統一へと舵を切りつつあった。

歴代のマーシア王

初期の王

ノーサンブリアの征服時代

  • オスウィ(Oswiu、656-658)

マーシア王の復位

  • ウルフヘレ(Wulfhere、658-675)
  • エゼルレッド1世(Aethelred I、675-704)
  • コエンレッド(Coenred、704-709)
  • チェオルレッド(Ceolred、709-716)
  • チェオルワルド(Ceolwald、716)
  • エゼルバルド(Aethelbald、716-757)
  • コエンウルフ(Coenwulf、796-821)
  • キュネヘルム(Cynehelm、821-823)
  • チェオルウルフ1世(Ceolwul If、821-823)
  • ベオルンウルフ(Beornwulf、823-826)
  • ルデカ(Ludeca、826-827)
  • ウィグラフ(Wiglaf、827-829、830-840)
  • ウィグムンド(Wigmund、840)
  • ウィグスタン(Wigstan、840)
  • ベオルートウルフ(Beorhtwulf、840-852)
  • ブルグレド(Burgred、852-874)
  • チェオルウルフ2世(Ceolwulf II、874-883)
  • エゼルレッド2世(Aethelred II、883-911)

系図

イクリンガス家

 
 
 
 
 
イチェル
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
クネバ
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
キュネワルド
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
クレオダ
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
ピュバ
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
オスウィ
ノーサンブリア王
 
ペンダ
 
 
 
 
 

=ウェセックス王チェンワルフ
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
エオワ
 
 
 
 
 
コエンワルホ
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
エルフレド
 
ペーダ
 
ウルフヘレ
 
エルメンギルド
(ケント王エオチェンベルト娘)
 
エゼルレッド1世
 
オスシリス
(ノーサンブリア王オスウィ娘)
 
キュネブルフ
=デイラ副王アルフリズ
 
キュネウィズ
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
コエンレッド
 
 
 
 
 
チェオルレッド
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
エゼルバルド
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
オッファ
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
エグフリス
 
エアドブルフ
=ウェセックス王ベオルトリッチ
 
エルフレド
=ノーサンブリア王エゼルレッド1世
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
コエンウルフ
 
チェオルウルフ1世
 
クズレッド
ケント副王
 

脚注

注釈

  1. ^ 岩波文庫「ベーオウルフ」ではオンゲンセーオウとなっている。
  2. ^ J・R・R・トールキンは『指輪物語』の登場人物エオメルの名を、伝説上のマーシアの指導者エオメルからとった。
  3. ^ 当時イングランドにあたる地域は北部のノーサンブリア王国がキリスト教の布教が進んだ先進地域で、マーシアなど中南部は北欧神話にもとづく信仰を有していた。
  4. ^ 正確に言えばブレトワルダではない。というのは「ブレトワルダ」という称号を使った本元の資料アングロサクソン年代記およびその年代記の目録の参考になったと思われるベーダ・ヴェネラビリスはことごとくマーシア王国の覇者を除外している。詳しくはブレトワルダを参照。
  5. ^ 暗殺は相続争いによるものとする見解もある[3]

出典

  1. ^ 青山、p118.
  2. ^ Walker, p149.
  3. ^ 青山、p99.
  4. ^ "Burged", Encycroædia Britannica.
  5. ^ 青山、p101.

参考文献

  • Encycroædia Britannica 2005 DVD, Encycroædia Britannica inc.
  • Walker, Ian W., Mercia: and the making of England, Sutton Publishing, Straud, Glaucestershire, 2000. ISBN 0750921315
  • 青山吉信編 『世界歴史大系 イギリス史 1』 山川出版社、1991年。ISBN 4634460106
  • 宮崎忠克 『ことばから観た文化の歴史 アングロ・サクソンの到来からノルマンの征服まで』 横浜市立大学叢書、東信堂、2001年。ISBN 4887133871
  • 下津清太郎 編 『世界帝王系図集 増補版』 近藤出版社、1982年
  • 桜井俊彰 『イングランド王国前史 アングロサクソン七王国物語』 吉川弘文館、2010年

関連項目


マーシア

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ALEXANDRITE」の記事における「マーシア」の解説

アニー友人アレックスとはアニー橋渡し知りあう。大学図書館バイトをしており、実父消息調べたいアレックス依頼で、本来は閲覧できない退学名簿閲覧協力する

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