コヴェントリーとは? わかりやすく解説

コヴェントリー

名前 Coventry

コヴェントリー

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/08/24 01:44 UTC 版)

シティ・オブ・コヴェントリー
City of Coventry
市章
位置

コヴェントリーの位置
位置
コヴェントリー
コヴェントリー (イングランド)
コヴェントリー
コヴェントリー (イギリス)
座標 : 北緯52度24分29秒 西経1度30分38秒 / 北緯52.40806度 西経1.51056度 / 52.40806; -1.51056
歴史
Founded 1043
創設者 en:Leofric, Earl of Mercia
行政
イギリス
 連合王国 イングランド
 リージョン ウェスト・ミッドランズ
 大都市カウンティ ウェスト・ミッドランズ
 市 シティ・オブ・コヴェントリー
地理
面積  
  市域 98.64 km2 (38.09 mi2)
人口
人口 (2019年現在)
  市域 363,242人
    人口密度   3,108人/km2(8,050人/mi2
その他
等時帯 西ヨーロッパ時間 (UTC+0)
夏時間 西ヨーロッパ夏時間 (UTC+1)
Postcode CV
市外局番 024
ISO 3166-2 GB-COV
公式ウェブサイト : http://www.coventry.gov.uk/

コヴェントリー (Coventry [ˈkɒvəntɹi] ( 音声ファイル)) は、イギリスイングランドウェスト・ミッドランズ州にある都市。イングランドで8番目に人口が多い都市である。

コヴェントリーは自動車産業大聖堂ゴダイヴァ夫人(ゴディバ夫人とも表記される)の伝説で有名である。

歴史

ゴダイヴァ夫人の伝説

コヴェントリーは1043年、領主であったレオフリック (Leofric) とその妻ゴダイヴァ夫人 (Lady Godiva) によって、ベネディクト派修道院が設立されたことに端を発しているとされていた[誰によって?]。近年の調査では、この修道院は1022年には存在していたことが判明し、2人はそれを支援したという見方がされるようになった[誰によって?]

領主レオフリックとゴダイヴァ夫人については有名な伝説がある。重税に苦しむ領民を気の毒に思ったゴダイヴァが、夫レオフリックに税を軽くするように申し述べたところ、レオフリックはゴダイヴァが慎み深い女性であることを知りながら「お前が全裸で馬に乗って町を一周したら考えてやろう」と言った。悩んだ末にゴダイヴァは決意し、町中の住民に外を見ないよう命じた上、長い髪だけを身にまとって馬に乗って町を1周したのである。町民たちはこのゴダイヴァのふるまいに心を打たれ、窓を開けずに閉じこもった。レオフリックはやむを得ず税を軽くしたという。なお、このときにひとりだけ外を覗いた男がおり、彼がピーピング・トム (Peeping Tom) という言葉の由来になったという。ただし、中世を専門とする歴史家の見解では、上記の伝説が史実でないことで一致している[1][2][3]。この伝説にちなんで、馬に乗ったゴダイヴァの像が市の中心部に建っている。

近世・近代

14世紀になると、布貿易の中心地として栄えるようになる。コヴェントリーは、中世のイングランドで最も重要な都市のひとつであった[要出典]

19世紀後半になると自転車が流行し、英国中にサイクリング・クラブができる。ローバーがコヴェントリーで自転車製造を開始し、多くの自転車製造業者が後に続いた。1896年に赤旗法が廃止されたのをきっかけとして、20世紀初頭、これら自転車製造業者は自動車の製造を始める。こうしてコヴェントリーは自動車産業の中心地となった。

コヴェントリー爆撃

破壊された大聖堂
新大聖堂の内部

工業都市であったため、第二次世界大戦中の1940年11月14日にはナチス・ドイツによる爆撃「コヴェントリー爆撃英語版」(Coventry Blitz)の標的となり、コヴェントリー大聖堂英語版を含む市の中心の大部分が破壊された。

1950年に新しい大聖堂を建てる設計コンペが開催された。設計を勝ち取ったのは、バジル・スペンス英語版である。1962年、廃墟となった旧大聖堂の脇に新大聖堂が再建され、戦争の爪痕と戦後の復興のシンボルとなった。また、ジェイコブ・エプスタイン英語版作『聖ミカエルと悪魔』の青銅像、ジョン・パイパー英語版作の色彩豊かなステンドグラスおよびグレアム・サザランドのキリストの巨大なタペストリーが注目されるようになった。

ナチス・ドイツによる空襲について、イギリス政府は事前にドイツ軍エニグマ暗号を解読し察知しながら、その後の迎撃戦を有利に運ぶため、コヴェントリー爆撃隊を見逃したとする陰謀論があり、「小の虫を殺し大の虫を生かす」類の説話としてしばしば語られる。しかし、BBCの説明によれば、イギリスはエニグマ暗号自体の解読には成功していたが、電文中で標的は「Korn」とコードネームで書かれていたために、それがコヴェントリーを指すことまではわからなかったという[4]

観光

コヴェントリー大聖堂が観光地として人気である。第二次世界大戦で破壊された旧大聖堂の隣に、近代的なデザインの新しい大聖堂が建っている。

コヴェントリー交通博物館 (Coventry Transport Museum) では自動車・自転車の街としてのコヴェントリーを知ることができる。

コヴェントリー近郊には、シェイクスピアの生地であるストラトフォード・アポン・エイヴォンや、荘厳な城で有名なウォリックがある。バーミンガムからもアクセスしやすい立地である。

経済

コヴェントリーは1890年代から自転車と自動車産業で栄えた都市である。ジャガーの本部、コヴェントリー・クライマックスの本社と工場があり、デイムラートライアンフプジョーなどの組立工場もある。ロンドンタクシーとして有名なブラック・キャブもコヴェントリーで生産されている。

芸術

クリスマス・キャロルのひとつで、16世紀に成立した『コヴェントリー・キャロル』で知られる都市である。

19世紀初めには、小説家のジョージ・エリオットの作品『ミドルマーチ』の舞台となった。

1962年、ベンジャミン・ブリテンによる『戦争レクイエム』が初演された。

現在ではコヴェントリー・ジャズ・フェスティバルなどの音楽イベントで人気を博している。

市内のウォーリック大学には、ロンドン以外ではイングランド最大規模の舞台劇場を備えたウォリック・アート・センター (Warwick Arts Centre) がある。

教育

スポーツ

出身人物

姉妹都市

出典

  1. ^ [1] Coe, Charles. "Lady Godiva: The Naked Truth." Harvard Magazine. July-Aug. 2003 (July 28, 2008) 第2段落目 But as it happens, most medieval scholars agree the ride never took place.
  2. ^ [2] Lady Godiva: The naked truth, BBC News, 24 August, 2001, 15:31 GMT 第13段落目 Regrettably, though, the story of Lady Godiva's ride is almost certainly a myth. 
  3. ^ [3] Why did Lady Godiva take a naked horse ride?  第2ページの最終段落 Too bad it's not true. On the next page, we'll take a closer look at the story and see why historians have discounted it. 第3ページの第5段落目 Therefore, Godiva's ride never happened because there simply was no need for her to prove anything.  
  4. ^ “The Coventry Blitz 'conspiracy'”. BBC News. (2012年11月10日). http://www.bbc.co.uk/news/mobile/uk-11486219 
  5. ^ “City remembers schoolgirl Mowlam”. BBC News Online (BBC). (19 August 2005). http://news.bbc.co.uk/1/hi/england/coventry_warwickshire/4165334.stm 23 September 2009閲覧。 

外部リンク


コヴェントリー

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/07/19 06:26 UTC 版)

ヘルマン・フレイザルソン」の記事における「コヴェントリー」の解説

長期間怪我から復帰後も限られた時間しか出場出来ずにいたが、2012年1月14日に同じ2部コヴェントリー・シティFCへ6ヶ月契約加入した2011-12シーズン終了に伴い契約終了したため放出された。同シーズン自身所属したコヴェントリーとポーツマスは共に降格した

※この「コヴェントリー」の解説は、「ヘルマン・フレイザルソン」の解説の一部です。
「コヴェントリー」を含む「ヘルマン・フレイザルソン」の記事については、「ヘルマン・フレイザルソン」の概要を参照ください。

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