マーシアの自立
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2010/05/19 19:06 UTC 版)
「チェルル (マーシア王)」の記事における「マーシアの自立」の解説
この当時マーシアはノーサンブリアの従属国となっており、後代の王ペンダの時になってようやく独立を果たしたと9世紀の史書『ブリトン人の歴史(Historia Brittonum)』に書かれているが、現代の史家たちは、既にチェルルの治世の時点ではマーシアはまだノーサンブリアの支配下ではなく、恐らく後代になって従属国へと転じていったのではと考えている。チェルルは当時のノーサンブリア王エゼルフリスの政敵であったエドウィンに娘を嫁しており、もし仮にエゼルフリスが宗主であったならばチェルルはこのような敵対行動を決してしなかったはずだからである。しかし歴史家D.P.Kirbyの説では、マーシアは当時やはりノーサンブリアの影響下にあったものの、同時にチェルルは当時強大な力を持っていたイースト・アングリア王レドワルドの影響下にもあったためにこの婚儀を成立させる事ができたと説いている。
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