マーシアの残した影響
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/07/26 19:09 UTC 版)
「マーシア王国」の記事における「マーシアの残した影響」の解説
マーシアはアングロサクソンの社会を色濃く残し、比較的ローマやキリスト教の影響の埒外にあった。いうなれば「野蛮な」勢力のひとつで、その性格は北に隣接する大国ノーサンブリアが早くからキリスト教に改宗して華やかな文化を築いたことと対照的だった。ロンドンを勢力下に収めてからは商業に力を入れ、王の肖像と名を刻印した貨幣を多く鋳造した。マーシアとその覇権は、イングランドに以下のような社会の変化をもたらした。 七王国時代のブリテン島は大小無数の王国が林立し、戦士団の首長として王が君臨していた。王は自らの威光を保つために戦って勝利しつづけなければならず、敗北と死は同義であるのみならず、安定的な王位継承制度など望むべくもなかった。マーシア王国の「トライバル・ハイデジ」はブレトワルダ時代に作成された徴税のための土地台帳である。マーシアは単なる戦士団としての王国から、統治機構としての王国へと変貌をとげつつあった。 七王国時代のイングランドは、ブリトン人もアングル人もサクソン人も、それぞれ個々の王国に拠って相争っていた。オファが「全アングル人の王」と名乗ったこと、さらにこの時期にヴァイキングの襲来が始まっていたことなどから、アングロサクソン人の間に仲間意識が芽生え始めていたという指摘もある。イングランドは無数の小王国が林立する状態から統一へと舵を切りつつあった。
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