各説
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/26 16:20 UTC 版)
『日本書紀』や『新撰姓氏録』には、百済に渡来した漢人であるとされ、支持する研究者が多い。姓である王氏から楽浪郡の漢人の王氏とする見解がある。朝鮮半島の人間が中国風の一字姓を名乗りはじめるのは統一新羅以降の風習で、当時の百済の人間が王姓を名乗っているとは考えにくく、この点から考えても中国系渡来人の家系ではないかと推測されている。前漢が紀元前108年に朝鮮半島に置いた楽浪郡では官吏に王氏が多く、313年に高句麗が楽浪郡を滅ぼすと王氏は百済に亡命した。日本が369年に新羅を征討すると、百済が日本へ政治的保護を求めた際に文化を日本に輸出し、こうした背景のなか王仁も訪日したともいわれる。一方、津田左右吉をはじめ実在を疑問視する説も多数ある。山尾幸久は儒教を伝えた実在の王辰爾(王智仁)の功績に基づいて渡来人らが作成した伝承とする。
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