小田原にて
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小田原の北条氏は全関東の統領、東国随一の豪族だが、すでに早雲の遺風なく、家門を知って天下を知らぬ平々凡々たる旧家であった。時代についての見識が欠け、豊臣秀吉から上洛をうながされても、成上り者の関白など相手にしなかった。この頃の秀吉はよく辛抱し、あせらず怒らず、なるべく干戈を動かさず天下統一の意向をもって3年間待った。やがて北条が、旧領の沼田8万石を還してくれれば朝礼する、と言ってきたので、真田昌幸に因果を含めて沼田城を還させたが、北条は城を貰っておいて上洛しなかった。北条の思い上ること甚だしく、成上りの関白・秀吉が見事なぐらいからかわれ、我慢しかねて北条征伐となる。 秀吉が小田原へ攻めるためには尾張、三河、駿河を通って行かねばならないが、そこは織田信雄、徳川家康の所領で、両氏は現在秀吉の麾下に属しているものの、いつ異心を現すか分からず、家康の娘は北条氏直の奥方で、両家の関係は密接であるから、反旗をひるがへす怖れもあった。秀吉から軍略の話をきり出された如水は、「先ず家康と信雄を小田原へ先発させ、先発の仲間に前田、上杉などの古狸(家康)の煙たいところを御指名なさるのが一策でござろう」と進言した。「このチンバめ!」と秀吉は思わず叫んだ。寝ずに思案にくれて編みだした策を、言下に如水が答えたからだ。「お主は腹黒い奴じゃのう。骨の髄まで策略だ。その手で天下がとりたかろう。ワッハッハ」秀吉は頗る御機嫌だった。 しかし早春始めた包囲陣に、真夏が来てもまだ北条は落ちなかった。石田三成、羽柴雄利の降伏勧告も徒労に終り、浮田秀家が北条十郎氏房と和睦に動いても氏政父子が受けつけなかった。北条家随一の重臣・松田憲秀とその長男・新六郎が主家への裏切りの心を固め、秀吉方の軍兵を城内へ引入れる手筈をたてたが、松田憲秀の次男で、北条氏直の小姓をしていた左馬助が、父兄の陰謀を主人に訴え、寸前のところで陰謀は泡と消えた。百計失敗に帰して暫時の空白状態、何か工夫をめぐらして打開の方策を立てねばならぬ秀吉は夜中に隠居の如水を召し寄せた。如水は、和談の使者に北条家と縁のある徳川殿を煩わす一手でござろうと進言し、翌日、徳川家康の陣屋へでかけた。 天正18年の真夏の日ざかり、家康と如水が膝を突き合わせ、直接顔を合せたのはこの日が初だった。「温和な狸」と「律義な策師」と暗々裡に相許したから、遠く関ヶ原へ続く妖雲の一片がこのとき生れてしまった。頭から爪先まで弓矢の金言で出来ている大将だと、如水はたった一日で最大級に家康を買いかぶった。小牧山で秀吉に勝って外交で負けた家康は、その時以来、40歳過ぎて初めて天下への恋を知った。如水は律儀な顔をしているが、その道にかけては15、6歳の時から色気づき、ただ思うは天下ただ一人で、いわば二人は恋仇同士だが、今は振られた同士、妙な親近感にひかれた。如水は、家康に親睦すれば、再び天下は面白く廻り出してくる時期があるかもしれぬと、にわかに青空ひらけて、猿め(秀吉)の前には隠居したが、また人生蒔き直しと思った。 北条家への和談の使者の話は断られてしまったが、如水は家康に惚れたから、呑込みよろしく引上げ、何食わぬ顔で秀吉の前に立戻り、自ら北条との和談の大役を買って出た。武蔵、相模、伊豆三国の領有を許す旨の秀吉の誓紙を持ち、熱弁真情あふれた如水の和談の使者口上に和平の心が動いた北条氏政は、家臣一同の助命を乞う、いわば無条件降伏を決意した。ところが降伏開城に先立ち、裏切り者の松田憲秀をひきだして首をはねたことが、降伏に対する不満の意、不服従の表現と秀吉に認められた。秀吉は誓約を無視して領地を全部没収、氏政氏照に死を命じ、北条氏を断絶せしめてしまった。北条氏の存続は、後々徳川家康の火勢を煽る油になりかねないため下策ではなかったが、和談の使者をした如水は顔をつぶされ、大いにひがんだ。 そこで如水は秀吉から、あの小僧め(氏直に父兄の陰謀を密告した左馬助)の首をはねてここへ持て、と言われた時、秀吉から厚遇を受けていた新六郎の方の首を、痛憤秀吉を切断する心ではねて来た。「なぜ殺した!」と怒る秀吉に、如水はいささかも動じず、左馬助は父の悪逆に忠孝の岐路に立ち、父兄の助命を恩賞に忠義の道を尽した健気な若者で天晴な男でござるが、この新六郎めは父と謀り主家を売った裏切者、このような奴が生き残っては、本人の面汚しはさることながら、同席の武辺者がとんだ迷惑だと考えていたから、殿下のお言葉、よくも承りませずにかん違いを致した、とんだ粗相ととぼけた。「チンバめ!」と秀吉は叫んだが、追求はしなかった。如水はこの一件でいささか重なる鬱を散じたが、家康にめぐる天運をしきりに望む心が老いたる如水の悲願となった。
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