小田原の風間が弟子
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/13 15:27 UTC 版)
寛文6年(1666年)刊の浅井了意『伽婢子』では、武田軍が信州割峠(割ヶ嶽城)に出馬した永禄4年(1561年)頃、武田信玄が今川氏真から借りて秘蔵していた『古今和歌集』を盗み出して甲州の西郡を風のような速さで進んでいた犯人が、歩行の達者・熊若に捕えられ、「(前略)我は上州箕輪の城主・永野が家につかへし竊(しのび)のもの、もとは小田原の風間が弟子也。わが主君の敵なれば信玄公をころさんとこそはかりしに、本意なき事かな。(後略)」と言い残して、殺される。
※この「小田原の風間が弟子」の解説は、「風魔小太郎」の解説の一部です。
「小田原の風間が弟子」を含む「風魔小太郎」の記事については、「風魔小太郎」の概要を参照ください。
- 小田原の風間が弟子のページへのリンク