小田原での療養
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1927年(昭和2年)1月、「F村での春」を雑誌『女性』に発表。2月、「西瓜を喰ふ人」を雑誌『新潮』に発表。3月、「鱗雲」を雑誌『中央公論』に発表。この頃、神経衰弱に陥り、プロレタリア文学の進出に押され、小田原に帰る。痔疾のために病院に通う。4月、「山を越えて」を雑誌『太陽』に発表。鈴木十郎の姉の世話で借りた小田原郊外の海浜の一室を仕事場とする。6月、「昔の歌留多」を雑誌『婦人公論』に発表。7月、「藪のほとり」を雑誌『新潮』に発表。9月、「雪景色」を雑誌『文藝春秋』に発表。健康の回復を目指して、海岸や附近の山々を散策する。 1928年(昭和3年)1月、「十三夜までのこと」(のち「鶴がいた家」と改題)を雑誌『太陽』に発表。2月、「舞踏会余話」を雑誌『文藝春秋』に発表。6月、「村のストア派」を雑誌『新潮』に発表。作品に豊かな夢想が見受けられはじめる。作品9月、「小川の流れ」を雑誌『文藝春秋』に発表。この年、プラトンの『ソクラテスの弁明』、『クリトン』、アリストテレスの『詩学』、ミゲル・デ・セルバンテスの『ドン・キホーテ』、ゲーテの『ファウスト』、スウィフトの『ガリバー旅行記』、スターンの『感傷旅行』(A Sentimental Journey)などを愛読。作風の転換をはかる。
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