風間次郎太郎の伝授を受けた鳶加藤とは? わかりやすく解説

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風間次郎太郎の伝授を受けた鳶加藤

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/01/05 09:37 UTC 版)

加藤段蔵」の記事における「風間次郎太郎の伝授を受けた鳶加藤」の解説

伽婢子巻10には、上記の「飛加藤」の話と別に武田信玄家宝にしていた古今集盗んで甲州西郡を風のような速さ進んでいたが、歩行達人だった「熊若」に捕らえられ犯人が、「我は上州箕輪城主永野が家につかへし窃(しのび)のもの、もとは小田原の風間が弟子也。わが主君の敵なれば信玄公をころさんとこそはかりしに、本意なき事かな」と言って殺された、という物語載せていた。 元禄11年1698年成立槙島照武『北越軍談』に登場する加藤は、常州茨城郡出で小田原風間次郎太郎伝授受けて幻術を身につけたとされている。 箕輪長野業正仕えた後、越府にやってきて長尾景虎の前で「牛を呑む幻術披露し、「牛を呑んでいるのではない、牛の背に乗っているだけだ」と声を上げた軽卒がいたので、瓠瓜(ひさご)の種を発芽させ、扇であおいで実を結ばせて、その実引きちぎると、樹上軽卒の首が切られていた。その夜景虎山岸宮内少輔貞臣の邸宅から長刀取って来させると、加藤引き受けて無事に薙刀提げて来た。 これを見た景虎は、加藤の技を危険視し、山岸身柄預けたが、加藤陶器を沢山並べさせてそれをからくり仕掛け傀儡(くぐつ)のように操って目を引かせ、術が終わって陶器片付けをしているすきに逃亡したその後甲府現れて、跡部大炊助信春の下に寄寓し武田晴信仕官した数ヶ月して、武田家秘蔵古今集が行不明になり、加藤犯人であるとわかった加藤は、「宝物欲しかったわけではない旧主長野業正武田家攻められ苦労していると聞いて耐えられなくなった。晴信公を殺して旧恩報いよう考え寝所の物を盗んだのだ」云々、と白状して誅戮された。 この話は、『伽婢子』の「飛加藤」の話と「熊若」の話を足して、細かい人物情報などを(創作的に補った説話、と解釈されている。 なお、後者事件については、『上杉家御年譜』の永禄2年12月上旬記事にほぼ同じ内容の話が載っている。 またこの「小田原風間」との関係から、加藤風魔忍者といわれることがある元文元年1736年)の江島其磧の『風流軍配団(うちわ)』では、風間三郎大夫とその弟子となった飛加藤は、2人長尾謙信仕え武田氏との合戦夜討ち盗みをして活躍するが、1年ほどで命を狙われるようになり、風間生国近江戻って百姓になり、飛加藤大磯で貧乏暮らしをしていたが、三浦氏遺臣依頼受けて北条早雲家宝の鎧を盗み出す

※この「風間次郎太郎の伝授を受けた鳶加藤」の解説は、「加藤段蔵」の解説の一部です。
「風間次郎太郎の伝授を受けた鳶加藤」を含む「加藤段蔵」の記事については、「加藤段蔵」の概要を参照ください。

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