青山京子とは? わかりやすく解説

青山京子

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2026/06/01 02:31 UTC 版)

あおやま きょうこ
青山 京子
『サンケイグラフ』1954年11月28日号
本名 小林 みどり
生年月日 (1935-11-23) 1935年11月23日
没年月日 (2020-01-12) 2020年1月12日(84歳没)
出生地 日本 東京府東京市(現・東京都世田谷区
死没地 日本 東京都
職業 女優
ジャンル 映画テレビドラマ
活動期間 1952年 - 1967年
配偶者 小林旭(1967年 - 2020年)
主な作品
映画
潮騒』(1954年)
生きものの記録』(1955年)
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青山 京子(あおやま きょうこ、1935年11月23日 - 2020年1月12日[1] は、1950年代から1960年代にかけて活動していた日本の女優。本名・小林 みどり(こばやし みどり)[1]東京都世田谷区出身[2]。夫は俳優・歌手小林旭[1]

経歴

『キネマ旬報』第100号(1954年)より

香蘭女学校中等科卒業後、玉川聖学院高等部在学中の1952年に、東宝丸山誠治監督作品『思春期』に登場する女子高校生役のオーディションを受け、2000人の中から合格し、本名の中西みどり名義でデビューした[3]。映画公開後に青山京子と改名[3]。同年に退学処分となったために、文化学院へ転校して卒業。

東宝の5期ニューフェイスとして演技の勉強を続け、1953年以降50本余の東宝作品に出演した。中でも1954年の『潮騒』は相手役の久保明とのコンビで、女優として大きく躍進する作品となった。1958年にフリーとなり、松竹の『江戸遊民伝』など時代劇女優で脚光を浴び、1960年だけで18本の映画に出演する。1967年、小林旭と結婚し引退した[1]。その後亡くなるまで芸能界に復帰することは全くなかった。

2020年1月12日、肺がんのため、東京都内の病院で死去した[1]84歳没

没後5年となる2025年1月6日放送のテレビ朝日『徹子の部屋』に出演した夫の小林旭によれば、亡くなる約1年前頃から体調を崩しており、医師の診断の結果、脳腫瘍に侵されていたことが判明して入院・手術を受け、その後は日常生活も不自由となって字も書けなくなり、その後がんは肺に転移したと明かしている[4]

エピソード

主な出演作品

映画

潮騒』(1954年)
若い樹』(1956年)。右は山田真二。下は佐野周二
若き日の信長』(1959年)。左から青山京子、金田一敦子市川雷蔵

テレビドラマ

脚注

  1. 1 2 3 4 5 “小林旭の妻、元女優・青山京子さん死去、84歳”. サンケイスポーツ. 産経デジタル. 2020年1月16日. 2020年1月16日閲覧.
  2. 小林旭の妻、元女優の青山京子さんが肺がんで死去 享年84」『スポーツ報知』2020年1月16日。2026年3月30日閲覧
  3. 1 2 『日本映画史研究(2) 東宝映画50年のあゆみ(2)』 19頁。
  4. 小林旭 5年前に元女優の妻が他界 「大丈夫」も脳腫瘍が判明し即入院手術から…息子に残した最期の言葉は - Sponichi Annex 2025年1月6日
  5. スイングジャーナル』1956年10月号(37頁)のいソノてルヲとの対談記事で、着物で街を歩くとイタリア人にモテて、非常に親切にされたとコメントしている。

参考文献

外部リンク





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