黒田如水とは?

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くろだじょすい 【黒田如水】 ○

黒田孝高よしたか

黒田如水

作者坂口安吾

収載図書短篇小説集 軍師死にざま
出版社作品社
刊行年月2006.10

収載図書軍師生きざま―時代小説傑作
出版社コスミック出版
刊行年月2008.11
シリーズ名コスミック時代文庫


黒田如水

作者海音寺潮五郎

収載図書武将列伝 戦国終末新装
出版社文藝春秋
刊行年月2008.6
シリーズ名文春文庫


黒田如水

読み方:クロダジョスイ(kurodajosui)

作者 武者小路実篤

初出 昭和10年

ジャンル 小説


黒田如水

読み方:クロダジョスイ(kurodajosui)

作者 吉川英治

初出 昭和18年

ジャンル 小説


黒田孝高

(黒田如水 から転送)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/10/26 09:10 UTC 版)

黒田 孝高(くろだ よしたか、旧字体: 黑田 孝高)は、戦国時代から江戸時代前期にかけての武将大名。戦国の三英傑に重用され筑前国福岡藩祖となる。キリシタン大名でもあった。




注釈

  1. ^ a b 祐隆」(「祐」の字は赤松義祐より受けたものか)の名は、永禄10年(1567年)12月23日の「小寺祐隆下地売券」に見られ、同13年(1570年)3月12日の「小寺孝隆借銭請取状」では「孝隆」とあることからこの間に改名しているものとみられる。「小寺孝隆」の名は、天正11年(1583年賤ヶ岳の戦いを記録した『天正記-柴田退治記』など)の段階までに確認され、これ以降に黒田に改姓および曽祖父・黒田高政以前の通字である「高」の字を取って「黒田孝高」と名乗ったと思われる。
  2. ^ 先夫・尾上武則の死後、孝高より毛利家臣との縁談を紹介されたが、断り地元の麻生氏と再婚した。
  3. ^ a b 『備前軍記』によると孝高の娘とされているが、年齢的に合わず、孝高ではなく父の職隆の子ではないかという説がある。なお黒田氏の系図類ではその名は一切見られず、養女と見る向きもある。
  4. ^ 今日では一般的に「黒田官兵衛」とは黒田孝高のことを指すが、他にも後世の黒田家の当主が「官兵衛」を通称としている。
  5. ^ 偽書とされることが多い『江源武鑑』、及びこれを参考とした貞享4年(1687年)に福岡藩貝原益軒が編纂した『黒田家譜』などにも「近江源氏佐々木氏京極氏)の傍系である」と同様に記載されるが不明瞭で、『寛政重修諸家譜』などには省かれている。 [2]
  6. ^ 浦上村宗から逃れたとされる。
  7. ^ 置塩城守護赤松晴政に属したとも言われる。
  8. ^ 小寺則職にも要請が届いている。
  9. ^ 2月に娘・さこの方を義昭の侍女としている。[4]
  10. ^ 『黒田家譜』では天正4年の事とするが、感状から天正5年の誤りとされる。
  11. ^ 別名は妻鹿城・甲山城・功山城・袴垂城ともいう。
  12. ^ 孝高の妻・光の実家である櫛橋氏なども離反し、東播磨で織田方に残ったのは孝高の従兄弟にあたる明石則実、当初より織田派であった別所重宗、赤松広秀など僅か。
  13. ^ 8月、別所氏に呼応した書写山西向かいの、峰相山鶏足寺 (姫路市)を攻めている
  14. ^ 直家は、小西行長を取次として秀吉に帰属を申し入れている。
  15. ^ 賤ヶ岳の戦いを当時に記録した『天正記-柴田退治記』などに、小寺孝隆での記載があることから、それ以降とも考えられる。
  16. ^ 天正8年(1580年)7月に、秀吉が姫路城普請を命じた文書に黒官兵と記されているのが、黒田姓の初見。一方で天正16年(1588年)のフロイスの手紙には、「Condera Cambioyedono」とある。
  17. ^ 『吉田大略記』によると孝高の家臣吉田長利(八代道慶と乳母の子で黒田二十四騎の1人)から孝高へ提案されている。
  18. ^ 大返しの前に小早川隆景より人質と共に20本の旗を借り受け、宇喜多秀家の旗10本と共に掲げた。中国の大勢力が加勢していると見せて、味方を増やし、敵を弱気にさせる策略とされる。[3]
  19. ^ 高名していた配下の秦桐若丸を、この戦いの負傷が元に失っている[要出典]
  20. ^ 香宗我部親泰の与力の菅達長
  21. ^ 黒田孝高、黒田長政、蜂須賀正勝、前野長康生駒親正、明石則実ら在番衆。(『浅野家文書』)
  22. ^ フロイス日本史』によると、天正11年(1583年)頃から室津の小西行長に影響され、明石城の高山右近や蒲生氏郷らに勧められ、天正13年に洗礼を受けた三木城の前野長康(間も無く出石城へ移り、中川秀政が入城)と共に、播磨における布教の入り口となっていたとされる。
  23. ^ 他に、障子岳城、原田信種の高祖城など。
  24. ^ 家臣の久野重勝が担当し、博多商人の神屋宗湛島井宗室が参画している。
  25. ^ 蔵入地は2万石程。自己申告である差出検地を認められている。
  26. ^ 豊前国でも上毛郡の如法寺久信などによる規模な一揆は起きていた。(『金苗文書』)
  27. ^ その間、妹婿の尾上武則などが戦死している。
  28. ^ 天正15年(1587年)12月、下毛郡の犬丸城の攻略に対し、秀吉より長政が感状を受けている。
  29. ^ 『黒田家譜』によると、孝高が朝房を伴い肥後国に出陣していた際、中津城を訪れた鎮房を、長政が酒宴の席で謀殺した。その報告を受けて、孝高は陣に加わっていた朝房を殺害した。
  30. ^ 金子堅太郎は、位牌や系図などから事件は天正17年(1589年)の出来事としている。[7]
  31. ^ 『川角太閤記』では、まだ妻がいなかった長政に鎮房の17歳の息女と縁組をし、孝高が出陣中に留守居役として鎮房を誘い出して殺害した。孝高は「息女たちは親類のいる周防国へ送れ」と指示していたが、長政は手ぬるいとして息女と乳母を火炙りの刑、侍女たちを磔の刑にしたとする。ただし、既に長政には蜂須賀正勝の娘・糸姫を正室としている。
  32. ^ この如水剃髪に関わる三奉行との確執も、戦略・戦術をめぐっての建設的な衝突ではなく、豊臣政権内における主導権争いであり、それも太閤権力を一手に握ろうとする三奉行の一方的な仕掛けによるものであったために、如水としては弁明の機会も失い、自ら剃髪する以外に危機を脱する術がなかったとされている[9]
  33. ^ 実父は保科正直
  34. ^ 熊谷直盛の安岐城、毛利高政角牟礼城日隈城毛利勝信小倉城、毛利信友の香春岳城など。
  35. ^ 当時、「博多」という地名は「福岡と博多を合わせた双子都市」を指した。[10]
  36. ^ 滋賀県長浜市木之本地区、兵庫県但馬地方、香美町村岡地区など。
  37. ^ 渡邊大門は『黒田家譜』について「参考になる点は多々ある一方で、孝高については黒田家藩祖として顕彰する傾向がある」としている。[15]
  38. ^ (原文)「 上方、美濃口御取り相い当月までも御座候は、中国へ切りあげ、花々と見知返し候て、一合戦仕るべしと存じ候に、むやく内府御勝手に罷り成り残り多し候」
  39. ^ 「くゎんひゃうゑ(くわんひやうゑ)」は「官兵衛」当時の正式なカナ表記。実際の発音としては「かんびょーえ」などが知られる。[18]
  40. ^ ローマ字で表記された以下の人名は全て黒田孝高を指す。Simon Condera (Simon 小寺), Simeon Condera (Simeon 小寺), Kodera Cambyoye (小寺官兵衛), Kodera Kambyoye (小寺官兵衛), Quadera Quanbioi (小寺官兵衛), Kuroda Kambroye (黒田官兵衛、なお KambroyeはKambyoyeの誤読と考えられる), Cuwanbioye (官兵衛), Cambioiendono (官兵衛殿、なお母音のつぎにdなどが続くと、その母音を発音するときに息を鼻に送る[19]。donoの前のnはこの鼻母音を表したものと考えられる), Quambioi-dono (官兵衛殿), and Condera-quansioye (小寺官兵衛、なお18世紀以前、sは時にſと書かれており、quansioyeはquanfioyeの誤読と考えられる。「兵衛」の読みはfioyeとbioyeの二通りがあった[20]
  41. ^ 毛利側にも、御着、志方、山﨑、野間などと共に、姫路も寝返ったと伝わっている。(『毛利家文書』)
  42. ^ この家紋とは石餅(こくもち)の事を指す。石餅とは石高の加増を願う家紋である。
  43. ^ 孝高の母方の祖父に当たる枝吉城主・明石正風は風流武人であったと記録が残る。
  44. ^ 『如水公夢想連歌』の一節、慶長7年(1602年)1月16日付で「松むめ(梅)や 末なか(長)かれと みとり(緑)たつ 山よりつゝく(続く) さとはふく岡(福岡)」と詠んだ記載が現在の初見。[41]

出典

  1. ^ 福本日南『黒田如水』
  2. ^ 福岡市博物館 - 黒田家のご先祖探し
  3. ^ a b c d e f g h i j k l 貝原益軒『黒田家譜』
  4. ^ 『大阪城天守閣所蔵文書』
  5. ^ a b c d e f 『黒田家文書』
  6. ^ 賤ケ岳合戦:黒田官兵衛も参戦していた…秀吉の古文書発見(毎日新聞2013年5月10日)
  7. ^ 金子堅太郎 『黒田如水傳』(博文館、1916年、のちに文献出版から1976年に再版)
  8. ^ 福岡市博物館蔵、黒田家文書
  9. ^ 宮本義己「如水剃髪の真相」(『別冊歴史読本』32巻24号、2007年)
  10. ^ キリシタン研究19, pp. 116, 131, 137, 153, 168.
  11. ^ キリシタン研究19, pp. 23.
  12. ^ キリシタン研究19, pp. 23-24.
  13. ^ キリシタン研究19, pp. 27.
  14. ^ 『官報』第5812号「叙任及辞令」1902年11月17日
  15. ^ 渡邊大門 『誰も書かなかった 黒田官兵衛の謎』(中経出版、2013年)
  16. ^ 完訳フロイス日本史5 第44章
  17. ^ 西日本文化協会 福岡県地域史研究所編『福岡県史』近世史料編 福岡藩初期(下)(西日本文化協会、1983年)pp.487,489。
  18. ^ クリセル神父校閲・吉田小五郎訳『日本切支丹宗門史(上)』岩波書店、1938年、p.39など
  19. ^ 池上岑夫訳『日本語小文典 上』岩波書店、1993年、73頁
  20. ^ 池上岑夫訳『日本語小文典 下』岩波書店、1993年、198頁
  21. ^ 土居忠生ほか訳『邦訳 日葡辞書』(岩波書店、1980年)巻末「ローマ字綴り・音注対照表」(p.863の次の頁)、また、池上岑夫訳『ロドリゲス 日本語小文典(上)』(岩波書店、1993年)p.266。
  22. ^ 黒田長政と二十四騎展実行委員会編集・発行 『黒田長政生誕四四〇年記念展 黒田長政と二十四騎 黒田武士の世界』 福岡市美術館、2008年9月、p.93。
  23. ^ 諏訪 2013.
  24. ^ 新井トシ訳『グスマン東方伝道史』下巻、養徳社、1945年、536-537頁。原文:..., te quite grande parte de darte lo que auia determinado do darte (dixo esto) porque siendo su capi tan en las guerras del Ximo, le auia prometido de darle dos Reynos, y con el disgusto que enton ces tomo contra los Padres, y corra la Christiandad, no quiso darle despues sino la mayor parte te del Reyno de Buygen, con el titulo de aquel reyno.
  25. ^ 官兵衛、幽閉への遺恨なし? 荒木村重への書状確認
  26. ^ a b 岡谷繁実 『名将言行録』 前編下冊 巻之二十九
  27. ^ a b c d e 黒田如水と一族, p. 5
  28. ^ (福岡市博物館発行『黒田家の甲冑と刀剣』第二版)
  29. ^ 黒田長政と二十四騎-福岡市博物館のウェブサイトより-2008年9月21日確認
  30. ^ 諏訪勝則『黒田官兵衛』(中央公論新社、2013年、34-35頁)
  31. ^ 国宝刀 名物「へし切長谷部」-福岡市博物館のウェブサイト-2008年9月21日確認
  32. ^ 第一次四国征伐ー2008年9月21日確認
  33. ^ 刀と能面-福岡市博物館ウェブサイトより-2008年9月21日確認
  34. ^ 国宝太刀 名物「日光一文字」-福岡市博物館のウェブサイト-2008年9月21日確認
  35. ^ a b 黒田如水と一族, p. 4
  36. ^ 黒田如水と一族, p. 65.
  37. ^ 黒田家 その歴史と名宝展-福岡市博物館のウェブサイト-2008年9月21日確認
  38. ^ 黒田如水と一族, p. 25.
  39. ^ [1]開運!なんでも鑑定団2010年8月3日放送分
  40. ^ 金子堅太郎『黒田如水傳』
  41. ^ 西日本新聞2013年7月10日
  42. ^ 『「如水発行 勝浦浜「塩」皆済状」』。
  43. ^ 「播磨黒田氏 黒田官兵衛」参照。
  44. ^ 渡邊大門「黒田官兵衛の生涯」(『歴史読本』58巻5号、2013年)
  45. ^ 官兵衛スポットに新戦力!~中津城下で黒田官兵衛“石造”除幕式が開催されました~、2015年6月5日閲覧。
  46. ^ 【市長フォト】黒田官兵衛正室「光姫」石造除幕式 |”. 中津市役所. 2018年6月2日閲覧。




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