黒田長徳とは? わかりやすく解説

黒田長徳

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/03/10 01:06 UTC 版)

 
黒田長徳
黒田長徳
時代 江戸時代後期 - 明治時代
生誕 嘉永元年2月29日1848年4月2日
死没 明治25年(1892年6月15日
改名 幼名:岩虎、長徳
別名 通称:篤之允
戒名 長徳院義山良雄
官位 従五位下甲斐守
幕府 江戸幕府
主君 徳川家茂慶喜明治天皇
筑前秋月藩
氏族 黒田氏
父母 父:黒田長元、母:今村氏
兄弟 山内豊福織田信民松平忠毅長義長徳、毛登子ら
秋月種殷の娘
新政信の娘
養子:長敬
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黒田 長徳(くろだ ながのり)は、幕末から明治時代の大名華族筑前秋月藩の第12代(最後)の藩主で、明治に入り子爵。第10代藩主・黒田長元の八男。母は今村氏。

経歴

側室を母に持った庶子で、はじめは他家の養子に出される予定であったが、文久2年(1862年)7月25日に兄の長義が嗣子なくして死去したため、急遽その養嗣子となって家督を継いだ。同年8月17日、将軍徳川家茂御目見する。元治元年(1864年)4月6日、従五位下・甲斐守に叙任する。慶応元年(1865年)、宗家の福岡藩に代わって長崎警備を務めている。

慶応4年(1868年)閏4月10日、上洛する。明治2年(1869年)の版籍奉還藩知事となり、明治4年(1871年)の廃藩置県東京に移住した。1884年(明治17年)7月8日、子爵を叙爵[1]。明治25年(1892年)6月15日、東京にて45歳で死去した。家督は本家福岡藩黒田家から養子入りした長敬が継いだ。

家族

父母

養子

脚注

  1. ^ 『官報』第308号、明治17年7月9日。
日本の爵位
先代
叙爵
子爵
秋月黒田家初代
1884年 - 1892年
次代
黒田長敬




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