黒田長韶とは? わかりやすく解説

黒田長韶

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/03/10 01:02 UTC 版)

 
黒田長韶
黒田長韶像(古心寺蔵)
時代 江戸時代後期
生誕 寛政元年閏6月13日1789年8月4日
死没 天保11年2月26日1840年3月29日
改名 幼名:犬万→長寛→長房、号:韶翁
別名 通称:金十郎、勘解由
戒名 竜徳院楽斎文水
墓所 福岡県朝倉市秋月の古心寺
官位 従五位下壱岐守甲斐守兵庫頭
幕府 江戸幕府
主君 徳川家斉
筑前秋月藩
氏族 黒田氏
父母 父:黒田長舒、母:美須子(松平忠啓娘)
兄弟 長媛、長韶、唐橋在経室
正室:兼子(寿光院、松平直恒娘)
側室:内藤氏、小山田氏ら
長惺、慶子(黒田長元正室)、娘(平松時門室のち立花次郎大夫室)、娘(秋月種殷正室)、娘(武田信禄正室のち大田原広清正室)、娘(黒田利武室)
長元
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黒田 長韶(くろだ ながつぐ)は、筑前秋月藩の第9代藩主。第8代藩主・黒田長舒の次男。母は奥平松平忠啓の娘・大円院(美須子)。

略伝

江戸新堀の藩邸で生まれる。文化4年(1807年)1月15日、将軍徳川家斉御目見する。同年12月16日、従五位下・壱岐守に叙任する。後に甲斐守に改める。文化5年(1808年)4月9日、父の死去により跡を継いだ。

宗家福岡藩の藩主・黒田斉清は若年のため、長韶が補佐して長崎警備も務めたが、長韶には家臣団を統率できる力がなく、家臣の間小四郎らに専権を振るわれ、不正を働かれるという有様であった。このため逆に、福岡藩から監督的な指導を受けている。

文政13年(1830年)10月6日、婿養子の長元に家督を譲って隠居した。隠居後、官名を兵庫頭に改めた。天保3年(1832年)9月3日、韶翁と号する。天保11年(1840年)2月26日に秋月で死去した。

系譜

父母

正室

側室

  • 内藤氏
  • 小山田氏

子女

養子





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